「すき家」と「はないち古書跡」の中間辺りにある巨大送電鉄塔。この鉄塔下には「頼山陽」に関する解説パネルが掲示されており、私が最初にこれを撮った1997年から殆ど劣化せず現在に至っている。竹原市内にて私がこれまで鉄塔下が確認できた巨大送電鉄塔の中ではこれが唯一である。
 なお、通常ならば電力にまつわるトリビア的な情報が解説されるのであろうが、中国電力が「竹原といえば頼山陽」といえるこの立派なパネルを取り付けたことは実に興味深い。もしかしたら頼山陽九歳作の漢詩「朝日山」と送電網に何らかの関係があるのかもしれない。(2021/08/24撮影)
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 頼山陽パネルは歩道上から見ることができる。
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 パネルは2枚構成。
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 人名辞典の内容レベルの頼山陽の解説。
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 頼山陽の九歳作「朝日山」の漢詩と解説。高さ454.1mの朝日山を頼山陽(久太郎)が九歳になるまでに登った時の感想である。
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 この頼山陽パネルを初めて撮った写真がこれ。(1997/04/28撮影)
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 他にも何度か撮っているが 2003年と1016年のものを掲載。(2003/05/04撮影)
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(2016/08/06撮影)
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 本送電鉄塔は上写真にあるよう「南西条竹原線77番」である。中電WEBサイトの公開資料を見たところ、大乗の火力発電所で造られた電力(110kV)が中通の竹原変電所と安芸津の三津変電所を経由して西条の南広島変電所までの送電線が「南西条竹原線」、そのルートにある77番目の鉄塔がここである。77番鉄塔の送電線(南西条竹原線)は、竹中上空から頼山陽が登ったかもしれない朝日山登山道のある裾野を越えて、三津変電所方面へと走っているようだ。