7月の豪雨直後に田ノ浦からの広島県道369号南方竹原線が不通となり、小梨町へ行く用事があった知人が国道2号線側から迂回して行くはめになったとの雑談中、「宮原からも行ける道があったろうが・・・」「あげーな山道こそ崩れて通れんかもしれんじゃろうが・・・」との掛け合いを聞いて、そのような私にとって未踏のルートが有ったことをこの雑談にて初めて知った。
昨日は宮原にある浄念寺がカメラの不備で撮れなかったので、本日は浄念寺とその先から小梨小学校跡まで繋がる山道を走破してみることにした。(2021/09/12撮影)
下図の地図にて赤ラインが今回の走破ルートである。(途中の黄ラインは道を間違えて行止りで引き返す)
撮影スタートは中通簡易郵便局の先、中電変電所辺りからである。(本来ならば動画掲載とすべきだが、ブログのサイト内に動画データが保存できないのと、写真でさえ15Gバイト上限があるため、敢えてパラパラ漫画的な写真掲載とした)
中通小へと下る本川の橋のある辺り。
本川に斜めに架かる橋を渡ると浄念寺が見えてくる。
これが浄念寺。右側のガードレール下には本川が流れている。
山門辺りから本川は道から右川へ反れて流れている。
少し先にてY分岐となるが、どちらへ行っても合流する。本川は再び道沿いとなるが、今回は本川を跨ぐ右ルートを走ってみた。
この辺りから本川が段々と反れて源流地域となる。
徐々に悪路となってきた。
ここが左ルートからの合流点。
どうやら平日はここから先が復旧工事で通行止めとなっていたようだ。この日は運よく休日だったためか工事は解除中。
左側を眺めると集落。
来た道を振り向く。
ここから先は徐々に勾配がきつくなり、路面が荒れてきた。
離合場所が殆ど無く、対向車が来たら逃げ場がない。恐る恐る道なりに進む。
ここに浄念寺の貼り紙。看板によくある地区名を期待したのだが見当たらない。(この辺りも下野町のようだ)
どうやらこの辺りが工事中区域のようだ。道の左法面を修復中。
分岐点で直進したら行止りだった。(地図の黄ライン)手前の民家前にいた人に訊いたら分岐は右曲がりだった。
分岐点を右へ進む。
ポツリポツリと有った民家はもうない。
道はシケイン状となり、途中で左右を眺めると遠くに朝日山が見えていた。
路面には豪雨の水流痕が見られた。
右下には砂防ダム。
更に進むと右下に溜め池。
なんだか開けてきた。もうここは小梨町のようだ。純正カーナビはここから先が道として表示されていた。
茂みを抜け出た場所も工事中通行止めの看板。
ここは「鳥巧ブロイラー小梨農場」(生産部だが道の左側の建物には居酒屋が併設されているようた)
カーナビー地図に道があるので、ここを抜ければそろそろ小梨町の集落が近いことが分った。
抜け出られた!
右カーブ沿いにはビニールハウスの列。
ここを右に曲がれは小梨小跡が見える場所となる。
先にある赤屋根の建物は集会所辺りであろう。
小梨小跡の校庭が見えてきた。現在ここは「小梨スポーツ広場」として使われている。
何度か撮りに来た小梨小跡の校門柱、門柱右側奥に有った二宮金次郎像がいない。
ここで広島県道369号南方竹原線に合流。
右へ曲がれば竹原町田ノ浦方面への過酷なワインディングと斎場がある道がある。
中通簡易郵便局から小梨小跡までの所要時間は約15分。途中で引き返したり、写真を撮っていたので通常ならば10分程度で小梨町の中心へ到達できる。竹原斎場コース(広島県道369号南方竹原線)が通れなくなった場合、国道432号から新庄交差点を右折して国道2号側から小梨町へ迂回すると小一時間は掛かることから大幅な時間短縮ができるのだ。大井国道185号線から始まる朝日山登山道半ばの「宿根の大桜」辺りまでの山道が延々と続いているような難易度的には中レベルの感じたったので、通行止めが解消されたら話のタネに走破してみてはどうだろうか。
昨日は宮原にある浄念寺がカメラの不備で撮れなかったので、本日は浄念寺とその先から小梨小学校跡まで繋がる山道を走破してみることにした。(2021/09/12撮影)
下図の地図にて赤ラインが今回の走破ルートである。(途中の黄ラインは道を間違えて行止りで引き返す)
撮影スタートは中通簡易郵便局の先、中電変電所辺りからである。(本来ならば動画掲載とすべきだが、ブログのサイト内に動画データが保存できないのと、写真でさえ15Gバイト上限があるため、敢えてパラパラ漫画的な写真掲載とした)
中通小へと下る本川の橋のある辺り。
本川に斜めに架かる橋を渡ると浄念寺が見えてくる。
これが浄念寺。右側のガードレール下には本川が流れている。
山門辺りから本川は道から右川へ反れて流れている。
少し先にてY分岐となるが、どちらへ行っても合流する。本川は再び道沿いとなるが、今回は本川を跨ぐ右ルートを走ってみた。
この辺りから本川が段々と反れて源流地域となる。
徐々に悪路となってきた。
ここが左ルートからの合流点。
どうやら平日はここから先が復旧工事で通行止めとなっていたようだ。この日は運よく休日だったためか工事は解除中。
左側を眺めると集落。
来た道を振り向く。
ここから先は徐々に勾配がきつくなり、路面が荒れてきた。
離合場所が殆ど無く、対向車が来たら逃げ場がない。恐る恐る道なりに進む。
ここに浄念寺の貼り紙。看板によくある地区名を期待したのだが見当たらない。(この辺りも下野町のようだ)
どうやらこの辺りが工事中区域のようだ。道の左法面を修復中。
分岐点で直進したら行止りだった。(地図の黄ライン)手前の民家前にいた人に訊いたら分岐は右曲がりだった。
分岐点を右へ進む。
ポツリポツリと有った民家はもうない。
道はシケイン状となり、途中で左右を眺めると遠くに朝日山が見えていた。
路面には豪雨の水流痕が見られた。
右下には砂防ダム。
更に進むと右下に溜め池。
なんだか開けてきた。もうここは小梨町のようだ。純正カーナビはここから先が道として表示されていた。
茂みを抜け出た場所も工事中通行止めの看板。
ここは「鳥巧ブロイラー小梨農場」(生産部だが道の左側の建物には居酒屋が併設されているようた)
カーナビー地図に道があるので、ここを抜ければそろそろ小梨町の集落が近いことが分った。
抜け出られた!
右カーブ沿いにはビニールハウスの列。
ここを右に曲がれは小梨小跡が見える場所となる。
先にある赤屋根の建物は集会所辺りであろう。
小梨小跡の校庭が見えてきた。現在ここは「小梨スポーツ広場」として使われている。
何度か撮りに来た小梨小跡の校門柱、門柱右側奥に有った二宮金次郎像がいない。
ここで広島県道369号南方竹原線に合流。
右へ曲がれば竹原町田ノ浦方面への過酷なワインディングと斎場がある道がある。
中通簡易郵便局から小梨小跡までの所要時間は約15分。途中で引き返したり、写真を撮っていたので通常ならば10分程度で小梨町の中心へ到達できる。竹原斎場コース(広島県道369号南方竹原線)が通れなくなった場合、国道432号から新庄交差点を右折して国道2号側から小梨町へ迂回すると小一時間は掛かることから大幅な時間短縮ができるのだ。大井国道185号線から始まる朝日山登山道半ばの「宿根の大桜」辺りまでの山道が延々と続いているような難易度的には中レベルの感じたったので、通行止めが解消されたら話のタネに走破してみてはどうだろうか。
コメント
コメント一覧 (15)
写真#20~行き止まりあたりが、下野町の「受矢」。#20あたりの左に行く道をいくと「正負」です。
子供のころ一度だけ同じルートで歩いて小梨、十八原、松橋あたりまで歩いたことがあります。
受矢地区の避難場所は小梨らしいですよ・・・。
takehara_photo
がしました
また中通小に通ってた頃、遠足でしょうぶや受矢によく行ってました!
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うちは子供のころ車がなかったので、竹原駅からタクシーで「受矢までお願いします。」と言うと、よく無茶苦茶イヤな顔をされました・・・。
「しょうぶ」ですが、うちでは「正負」と書いていたと思いますが、ものによっては「正部」やら「勝部」と書いてあったものもあったような気がします。どれが正しいのですかね?
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正部が正式なのですね。もう誰も住んでいないとか噂を聞くのですが、知り合いが亡くなってからは何も情報がないのです。タネットの文字放送で、ゴミの収集日とかで地名は見たような気がするし、市のHPに出てるならそんなことはないのでしょう。
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行きは良いが、帰りはめちゃ×めちゃ大変だっただろうに
小学校の遠足で与茂九郎池に行ったことを思い出した
よくあんなところまで歩かされたもんだ(><);
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私も知りません
普通に「よもくろいけ」と呼ぶのかと思っています。
そこに行ったのは、小学校の遠足と、高校時代に夏のアルバイトで
「サンパーク日名内」駐車場の整理要員で行ったぐらいです。
『・・・本郷町南方尾原地区は、川や湧水を利用して百戸の農家により稲作が営まれていた江戸時代中期の明和期(1764-1771)水不足に悩まされていました。尾原の組頭・児玉政次郎は溜池を造ることを決意しました。難工事で、私財をも投入して着工4年目の1774(安永3)年完成。周囲約1km、面積1.2haで尾原60haの水田を潤して余りある溜池でした。
その後、政次郎は真良村、南方村の庄屋を務め1789(寛政元)年死去。1891(明治24)年尾原の人たちはその功績を讃え、与茂九郎池の小島に芦白神社を建立しました。』と紹介がありました。
ここ宗長(南方)神社の石段途中に建立の「與茂九郎池紀念碑」も同時期に建立されたのではないかとわたしは思いました。
富山県高岡市にも与茂九郎池があるみたいですね
かつて与茂九郎池の堤の上には、蛇が女神に巻き付く極彩色の弁天像が祀られていたというが、現在は池名が記された修築記念の石碑が立っているだけである。なんでもわざわざ信州まで赴き、戸隠山にある池の守り神を分祀してきたものであるという。
戸隠神社の近くの池といえば、みどりヶ池、小鳥ヶ池、鏡池の三つしか思い浮かばないが、この池のどれかであったろうか。それとも他に池があるのだろうか。
この弁天に由来し、池には竜(大蛇)が棲むという言い伝えも残っている。
https://bunbun.hatenablog.com/entry/yomokuroike
http://masuda901.web.fc2.com/page3ex54j.html
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