昨年9月のブログ記事「耳地蔵(吉名町宗越)」の末尾に書いた御利益についての継続調査だが、光海神社舞殿に掲示されている「吉名の歴史」の複数パネルの中に「耳鳴地蔵(みみなりじぞう)」がある。
このパネルの解説では以下の謂れと御利益が書かれていた。
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天保2年(1831)の建立。
堤防の汐留で少女が犠牲になった夜から、この地の当主の耳鳴りが止まらず、難儀をしましたが、少女の霊を供養しようと地蔵を建立したところ、立ちどころに耳鳴りが止んだそうです。それ以降、地蔵に触り、自分の患部をなでるとその病が治ると噂になり、遠くからも参拝者が訪れるようになりました。耳の病には霊験新たかと評判です。

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また、パネルには「お地蔵さんの両耳は貫通してます。」と書かれた横顔の写真も添えられていた。

前回の参拝では正面からのみの地蔵さんしか撮らなかったので、再度参拝した後に解説パネルと同様に横顔も撮らせて頂いた。(2021/12/30撮影)
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 患部を撫でると治るとのことで、お地蔵様の眼・顎・鼻・額・頭部と耳たぶに撫でたであろう艶が出ていた。お地蔵様をよく見ると手垢による艶は袖や膝に見られることから耳に限らないようである。
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 左耳穴から向こうが見えた。
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 右耳からも。
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 なお、初回参拝の後に購入した『竹原聞きある記』では、第3章12項「宗越の耳地蔵さん」にも以下の謂れが書かれている。こちらでは「耳鳴り」ではなく「激しい腹痛」と書かれていた。
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昔、土地造成のために海岸に堤防の構築を試みたが、決壊すること甚だしく、やむを得ず近所の若い娘さんを人柱という犠牲によって完成し、堤防内を塩田に造成した。
 当主旧家の主人がある夜中、激しい腹痛を患い、その夜の夢枕に、人柱になった娘さんの霊が、地蔵堂を建立して、霊を慰めて欲しいとの願いによって、造仏したのが、天保2年(1831)とのことである。

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 また、耳の病気に御利益があり、現在(平成7年当時?)も参拝者が多いとも書かれていたが、その御利益の謂れについては触れられてはいなかった。
 宗越に住まわれている方から聴いた話では、先ず「宗越」は「むなごえ」と読むとのこと。その地域では「耳鳴り地蔵」ではなく「耳地蔵さん」と親しく呼ばれており、尾道などの他市や他県からも参拝者が多く訪れているそうだが、なぜ「耳」なのかや謂れについては若い頃から聞いたことは無かったとの事である。更に「耳穴が貫通している」理由についても貫通自体御存じないとの事。宗越地区には他に「歯地蔵」もあるらしいのだが、『竹原聞きある記』では小吹林道の「歯地蔵さん」についてのみ書かれており、宗越の「歯地蔵」ではなかった。