保存地区エリアから少し外れた田中地区に鎮座する地蔵尊。愛読書『たけはらの神仏を訪ねて』(著:神野勝)によれば俗称は「田中礒田」なのだが、その地蔵尊らしからぬ名称の謂れについては特に書かれてはいない。
 場所は道の駅から三原方面への県道75号沿いで、本著書の解説では地域住民が生活水として共同利用していた古い大井戸を枯渇から守る水引地蔵であり、昭和60年代に井戸が埋め立てられ、道路の拡充にて現在の場所へ移転したものと思われる・・と読み取れる短い内容であった。

 その地蔵尊が祀られた祠が矢印で示した場所にある。(2022/03/25撮影)
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 現在は歩道脇のゴミステーション脇となっているが、埋め立てられた共同大井戸があった場所と、ここへ移動する前の祠の場所は元々は何処であったのだろうか?
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 大井戸が埋め立てられる60年代より前に発行された昭和55年の住宅地図を細部まで確認してみたが、県道が貫く前の路地沿いにはそれらしき土地は無さそうであった。また、俗名が「田中礒田」であることから田中地区全域について地蔵尊「礒田家」も探してみたが見つからず、「田中礒田」の謂れや井戸と地蔵尊の元の場所についての手掛かりは得られなかった。

 昭和60年代に大井戸が埋められ、後に現在の場所へ地蔵尊が移動されたとのことで、多量の「蔵出し写真」を探ってみたところ、最古のものでは以下の2001年に撮った写真1枚に祠が写っていた。(祠と土台は現在のものとは異なる)撮ったのは県道が貫く前の路地なのだが、その祠は既に現在の場所であった。(地前の理容金本は現在は県道になっている)
20010503a

 この古い写真を写してから21年が経過、この時は電柱がある石畳が敷かれていない昔のままの路地であった田中地区を散策していた際に、レトロな散髪屋の青白赤サインポール看板が目に留まったって撮ったものである。その後、この辺りを県道75号が貫くとは・・・その計画さえも知らなかった。もしかしたら大井戸が埋められたのはその計画があったからかもしれない。