これまで何度も西方寺を訪れていながら、北側の墓地入口に鎮座する複数体が並ぶ地蔵尊には気が付かなかった。西方寺吉名説教所にも同様に複数体の地蔵尊が並んでおり、どちらも地蔵尊を数えてみると7体。センターに座る地蔵尊の1体と、その両脇は立った地蔵尊がそれぞれ左右に3体という特徴あるスタイルなのてある。
著書『竹原聞きある記』に西方寺の地蔵尊の謂れを調べてみたが、「今昔物語の六地蔵」と大石の建長寺にある「六地蔵尊の縁起」ついての記事はあった。
また、『たけはらの神仏を訪ねて』を探すと、なぜか補足的な章に西方寺と吉名説教所の六地蔵が見つかった。他にも高崎の薬師寺、忠海の記念時と地蔵禅院もあり、どれも西方寺と同様の7体ではあるが、7体全てが座っていた。各場所については特筆は無く写真と由来について「六界・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の興味深い単語が並べられていた。
今回は竹原各地にある六地蔵の内、普明閣を訪れた際に立ち寄った西方寺の六地蔵を写真に撮ってみた、(2022/08/02撮影)
石段を上がって山門を潜り出たら、境内の左側奥に六地蔵が鎮座している。
かなり目立ってはいるものの、観光客は西方寺本堂と同様にここに立ち寄る姿は稀である。
よく見れば3+1+3体が並んでいるが、それぞれの台座には複数の小さな地蔵尊も並べてあった。
今回確認したかったのは前述の「六界・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」であり、「竹原聞きある記」の「今昔物語の六地蔵」においては、六地蔵は六道(ろくどう又はりくどう)の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の衆生のために形を六種に変えたものであることが書かれていた。
さて、どの地蔵尊が六道のどの姿なのだろうか?掲載されていた各地蔵尊の粗い写真をヒントに対比しててみると
左側の3体から順に写真を拡大して姿を調べてみた。
著書『竹原聞きある記』に西方寺の地蔵尊の謂れを調べてみたが、「今昔物語の六地蔵」と大石の建長寺にある「六地蔵尊の縁起」ついての記事はあった。
また、『たけはらの神仏を訪ねて』を探すと、なぜか補足的な章に西方寺と吉名説教所の六地蔵が見つかった。他にも高崎の薬師寺、忠海の記念時と地蔵禅院もあり、どれも西方寺と同様の7体ではあるが、7体全てが座っていた。各場所については特筆は無く写真と由来について「六界・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の興味深い単語が並べられていた。
今回は竹原各地にある六地蔵の内、普明閣を訪れた際に立ち寄った西方寺の六地蔵を写真に撮ってみた、(2022/08/02撮影)
石段を上がって山門を潜り出たら、境内の左側奥に六地蔵が鎮座している。
かなり目立ってはいるものの、観光客は西方寺本堂と同様にここに立ち寄る姿は稀である。
よく見れば3+1+3体が並んでいるが、それぞれの台座には複数の小さな地蔵尊も並べてあった。
今回確認したかったのは前述の「六界・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」であり、「竹原聞きある記」の「今昔物語の六地蔵」においては、六地蔵は六道(ろくどう又はりくどう)の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の衆生のために形を六種に変えたものであることが書かれていた。
さて、どの地蔵尊が六道のどの姿なのだろうか?掲載されていた各地蔵尊の粗い写真をヒントに対比しててみると
- 香炉を掲げるのが「地獄」
- 合掌しているのが「修羅」
- 数珠(小さい環)を持つのが「餓鬼」
- 錫枝(棒状)を執るのが「畜生」
- 花筥(けろ=小籠)を手にしているのが「天上(天道)」
- 念珠(大きな環)を持つのが「人間(人道)」
左側の3体から順に写真を拡大して姿を調べてみた。
- 前掛けに隠れて見えないが数珠か念珠であろう
- たぶん合掌していそう
- 錫枝(棒状?)のようだが先端が見えない
- 六地蔵ではないセンターは明らかに錫枝を持っている
- 数珠か念珠のどちらかだろう(長ければ念珠)
- 錫枝のようだが先端がネギ坊主みたいだし・・・
- 花筥らしきものを持っている
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