昭和時代の古い地域地図を数枚確認してみると「喫茶 大学」や「中華料理 大学」の時期も有った「餃子楼大学」。実際に店を訪れて店主に店の歴史を訊いてみたかったのだが、残念なことに「閉店のお知らせ」が貼られていた。(2023/01/22撮影)




昭和55年の地図では「喫茶 大学」だったのだが、その頃は竹原高校の女子生徒たちが部活帰宅時に今で言う「女子会」をよくここで開いていたそうである。(竹高OGからの実情報)
そもそもの「大学」や「楼」という名の由来を訊けなくなってしまったが、「餃子楼大学」が学食風のセルフサービス式だったのは、このような「学生たちの集い」に使われていた名残りだろうか。その当時は現代の「マックカフェ(マクドナルド185竹原店)」のような存在だったのかもしれない。




昭和55年の地図では「喫茶 大学」だったのだが、その頃は竹原高校の女子生徒たちが部活帰宅時に今で言う「女子会」をよくここで開いていたそうである。(竹高OGからの実情報)
そもそもの「大学」や「楼」という名の由来を訊けなくなってしまったが、「餃子楼大学」が学食風のセルフサービス式だったのは、このような「学生たちの集い」に使われていた名残りだろうか。その当時は現代の「マックカフェ(マクドナルド185竹原店)」のような存在だったのかもしれない。
コメント
コメント一覧 (3)
入った事は一度もありませんが、前を通る度
気になっていたお店でした。
飲食店で大学?!と長年の謎でした。
最近、閉店続きで寂しいです。
takehara_photo
が
しました
あとで、知り合い等に訂正しておかねばです。
多分、ご多忙な筆者様が色々な諸事情で今年になって発見されたなら判りますが、理解に苦しみますし、語弊がある表現方法ですよ。中華・大学からのリニューアルオープン時にあった餃子楼の広告くらいの裏付けが欲しいですね。
あと「楼」は法改正で使用できなくなった2階部分を指す楼閣と考えるか、蕎麦屋の屋号に「○○庵」って付けて、それっぽい風にしたかって事なのでは?また、食券スタイルではない学食風のセルフサービス的になったのは、コロナ禍で非接触対策の一部だったはずなので、その頃までは普通の街中華スタイルのだったので、活気ある店内だったのを覚えていますので、過去に何回か利用されているならばイージーな問題でしたが、これも記憶があやふやになり鮮やかだった彩りはセピア色になる位に、店と共に栄枯盛衰と言う感じですかね?
ってなると、この文面の信憑性は?ってなりますし、今までの文面は、果たして合っていたのか、なんて懐疑的になりますが、ガイド役がよく陥る無知の知をたまたま今回やってしまったりしたんですかね?
最近、閉店が続いて寂しいですね。
takehara_photo
が
しました