日暮れ前の照蓮寺へ立ち寄った際、本堂にて参拝を済ませたら鴬張りの廊下を踏み鳴らしてみたくなった。靴を脱いでゆっくりと廊下の端から端まで歩くと、あの独特の板の「がたつき」と「たわみ」を足の裏に感じながら、ひと踏みごとに「キュッ、キュッ・・・」と乾いた音色を聴くのは久しぶりであった。(2023/01/08撮影)

 照蓮寺の鐘楼門を潜るたびに思い出すのが「ええ門」(=豪華な門)。親戚の祖母からよく言われた「ええもん(=お菓子)が欲しいんじゃったら照蓮寺へ遊びに行きんさい」であった。
#01

 下校時の道草でよく遊んでいた石段と境内、歳をとって改めて西を観ればまるで絵画の額縁のような鐘楼門の開口部。
#02

 子供の頃からこの門の扉が閉じられたのを一度も見たことは無い。太陽が西へ傾いて遠くから16時半のサイレンが聴こえてきたら帰宅の合図。
#03

 ランドセルや体操服袋を本堂の階段へ置いて・・・
#04

 「キュッ、キュッ」と音を鳴らしながら近所に住む友達とこの廊下を走り回ってた。
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 そして今回初めて気が付いたのが、廊下の左側奥にある重厚な扉の文字。
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#08

 「帰浄庵」と書かれているのだが一体何の部屋だろうか?まさか便所ではないだろうし・・・
#09
 
 16時半、もう遠くからコガネムシのメロディやサイレンの音が聴こえてくることは無い。
#11

 さて・・・そろそろ帰るとしよう。

#10

 この「帰浄庵(きじょうあん)」については境内で住職に逢えたら詳しく訊いてみるが、浄土真宗では「大生(おおじょう)」を「帰浄(きじょう)」と言う(べきの)ようだ。「環浄」と「帰浄」の表記の違いについてはとても難かしいのだが、人は亡くなると地獄に生まれた存在から極楽浄土(本来居るべき場所)へ「帰る(行く?)ことができる」のであって、極楽浄土に元々居たのではないことから「環(=回って戻る)」の文字は使うべきではないのではと解釈した。例えれば「Uターン(=帰郷)」が「環浄」で「Iターン(=移住)」が「帰浄」となるのだろうか。