掛町の広場から本川の新港橋角(国道)185号線がL字に曲がる所)へ移設された頼山陽像、詩吟をたしなむ知人から三十年前ぐらいに竹原といえば頼山陽、頼山陽といえば詩吟の「鞭声粛々夜河を渡る・・・」が有名であると教えられたことがある。掛町で生まれた私が成人過ぎまで竹原町に住んでいても自分の親ですら「頼山陽と竹原のゆかり」をまともには知らなかった。まぁ、学校でも歴史の授業では習わなかったし、私の同級生の殆どはこんな程度であろうか。その頼山陽が幼少名の久太郎時代(9歳)に作った漢詩「朝日山」が頼山陽像の座台側面にはめ込まれている。久しぶりに訪れた頼山陽広場にてその朝日山を像の背に撮ってみたが、黄昏時で像の輪郭が強調されたせいか何だか切なく物悲しい。
撮影月日:2015.12.29
その掛町の広場にあった頃・・・こちらの場所のほうが親しみやすかった気がする。
撮影月日:2003.05.04
撮影月日:2004.08.01
頼山陽と竹原のゆかりは、中通にある中電の送電線鉄塔下のプレートで概要を知ることが出来る。
山陽の祖父の生家が町並み保存地区の中にあり、大阪生まれ広島育ちの山陽が、時々、竹原を訪れていた。
山陽の祖父の生家が町並み保存地区の中にあり、大阪生まれ広島育ちの山陽が、時々、竹原を訪れていた。
撮影月日:2003.05.04