安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2016年04月

 掛町の広場から本川の新港橋角(国道)185号線がL字に曲がる所)へ移設された頼山陽像、詩吟をたしなむ知人から三十年前ぐらいに竹原といえば頼山陽、頼山陽といえば詩吟の「鞭声粛々夜河を渡る・・・」が有名であると教えられたことがある。掛町で生まれた私が成人過ぎまで竹原町に住んでいても自分の親ですら「頼山陽と竹原のゆかり」をまともには知らなかった。まぁ、学校でも歴史の授業では習わなかったし、私の同級生の殆どはこんな程度であろうか。その頼山陽が幼少名の久太郎時代(9歳)に作った漢詩「朝日山」が頼山陽像の座台側面にはめ込まれている。久しぶりに訪れた頼山陽広場にてその朝日山を像の背に撮ってみたが、黄昏時で像の輪郭が強調されたせいか何だか切なく物悲しい。

撮影月日:2015.12.29
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 その掛町の広場にあった頃・・・こちらの場所のほうが親しみやすかった気がする。

撮影月日:2003.05.04
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撮影月日:2004.08.01
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 頼山陽と竹原のゆかりは、中通にある中電の送電線鉄塔下のプレートで概要を知ることが出来る。
山陽の祖父の生家が町並み保存地区の中にあり、大阪生まれ広島育ちの山陽が、時々、竹原を訪れていた。

撮影月日:2003.05.04
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 「1948 たまゆら ~卒業写真~ 第3部 憧 ~あこがれ~」に続く最終の4部上映が4月2日から始まった。これまでと同じ映画館で今回も夫婦で鑑賞となった。隣のカミさん、映画泥棒辺りから前半(7話)は寝ていたようだが、さすがに憧れの吉田玲子さんが脚本だったせいか否か最終話はしっかりと観ていたようだ。来場特典は前回と同様に色紙がダブッてしまったが、必須目的がパンフレット全巻購入だったが在庫△マークでも買えたので問題なし。まあ、いつもチケットと交換時に重なった2枚を貰えるのだが、せめて交互に混ぜておいて欲しかったところだ。

 ストーリーはOVAの「ふたつめ」を観て記憶しているとスタートからゴールまでスーッと心地よくつながる内容だ。スタートから5年半が経過したが、いよいよこの第4部がゴールとなったのである。このホームページにおける「たまゆら」のスタートは、WEBラジオ『たけはらんど ~儀武ゆう子が行く!~ 第1回(2010_04_09)』(儀武さんが大広苑に泊まるやつ)を偶然聞いた2010年4月に遡り、5月の「1422 榎木町市営駐車場できる」辺りで確度の高い噂を知り、2010年9月の「1450 日の丸冩眞舘(旧店舗)がアニメの聖地になるかも」で具体化(アタック)を知る。そして2010年10月の「1456 たまゆらイベント(10月10日)特派員レポート」で地元竹原でのイベントが開催され、予告編しか観れなかったのが11月ついに「1470 たまゆらDVD第1巻」でDVDを購入。その直後の12月「1472 たまゆらBR版1&2巻+「唯一無二!!の特典」」でこの作品のTV化に僅かながら携わる(ディケイ)ことができたのである。で・・・数年間続いて(サスティーン)このページ1985がゴールとなるのだが、その後の余韻(リリース)が消えるまでを見届けておきたい。市役所や蜜の駅の看板や芸陽バスと山陽商船のラッピング、「大好きがいっぱいの町、なので」の竹原を訪れてくれるリピータの様子等々。

 竹原の代名詞となった「変わらないようで変わっていく・・」を初めてホームページに書いたのが1998年5月の「10340 #6 76か77か78段か?」だが、そのゆっくりと変化する様子を約20年間に渡って記録できたのは感慨深い。

鑑賞月日:2016.04.03
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 OVA添付のこの行き先の書かれていない「水色のちっさな切符」には何が入るのだろう・・・。「将来は写真家とか目指してるの?」~「そんな大それたことは・・・」の夢が叶ったということで「写真家」、それとも単純に進学就職先の「東京」?いや、このまま何も書かれていない「ふわふわの夢に似たたまゆら」状態にしておくのが良いのかな。それにしてもOVAのエンディング『メロディ』は何と言って良いか、何気なく聴いていた歌詞がこの『たまゆら』ストーリー全般そのままなのである。
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 不審者の侵入で「毒物を投げ込んだ可能性がある」とのことで一時的に断水措置が実施された事件が昨年9月にあった。下野町の水源地との記事だったので、恐ろしく長い石段を上がった小山の上に円柱型の建造物があり、これが水源地だったような記憶があったので、その辺りを訪れてみることにした。竹中の正門前を通り過ぎた所に「朝日山」への登山道入口があり、その少し先に石段はあるのだが、その分かれ道に「成井浄水場」なる施設を見つけたのである。ここが水源地?いや、浄水場ということは水を浄化する施設なので正確には水源地そのものではない。では何を浄化しているのか?下水の浄化施設がここなのか?それとも成井川の水を浄化して水道水にしているのか?金網で囲まれた施設内には3つの大きなプールがあり、3段階に分けて浄化する仕組みのようである。反対側には上る気も直ぐに萎えるほど長い石段があり、特に立入禁止とか施錠等はされておらず、数十年ぶりにここを上ってみようかと少し悩んだが、どう考えても傍から見れば「不審者」そのもの。通報されて警察に捕らえられ「写真を撮りたかっただけ」と答えても容易には解放されはしないだろう・・・。この石段の頂上にある建物が水源地なのか、浄水された水道水をそこへ揚水して竹原町内への配水圧力を得ているのか等、色々と調べてみたかったが、事件後からはピリピリ状態に違いないので浄水場の門も撮らずに退散した。

撮影月日:2015.12.30
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