安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2019年11月

2019.11.13-2


 アナログカメラで撮ったフィルムが多数あるのだが、いつ撮ったのかが分からないものばかり。デジタルであればメタデータに撮影日などが残されるが、殆どが日付無し撮影だったので今となってはフィルム枠外にある年しか手がかりが無い。今考えてみれば芸術写真などではないから別に日付ぐらい入っていても良かった。本試行記事ではそのフィルム撮影した写真を掲載してみる。

 黎明期のデジカメで撮ると小サイズで低画質となるが、フィルムだとスキャナ次第ではメガピクセルのレベルでデジタル写真化が可能だったので併用していた。撮影していた当時は1200dpi/2400dpiのフィルムフォルダ付フラットベッドを使用していた。のちにフィルムスキャナ付インクジェットプリンタを買ったが、デジカメがメガピクセル時代となって殆ど機能を使用することなくお蔵入り。現在もフィルムスキャナは売られてはいるが、いつか使う日が来るとの思いで捨てられずに10数年が経過した。今更、立ち上げてTWAIN対応ソフトなどを探すのも面倒なので、既にデジタル化していたものを少しだが紹介する。但し、撮影日が分からないのとスキャン仕立てのbmp形式ではブログに読み込めなかったので画質劣化するjpeg形式に変換した。デシカメと比べてみるとザラザラ感はあるがシャープだ。掲載最後の「普明閣と西方寺石段」には幸運にも撮影日があり、88年9月12日であったがネガを裏返しでスキャンした失敗物だった。なんと!今から31年前の写真なのである。 

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#01:中四国フェリー停泊中の第五さんよう

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#02,06:三井の煙突(全景)


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#05,04.03:三井の煙突(上/中/下)


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#07:この辺りから町並み保存地区(ハーフサイズ)


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#08:旧竹原警察署付近(現在の道の駅付近)


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#02:普明閣


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#09:掛町の本川雁木(住吉橋より)


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#10:普明閣と西方寺石段(ハーフサイズ)

2019.11.13-1
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#01:竹原市民館の横にある「かぐや姫貯水槽」(2013//03/22撮影)


 今、竹原で「かぐや姫」で連想するものといえば芸陽バスの「かぐや姫号」だが、ならば2番目は?では竹原公式ゆるキャラ「かぐやパンダ」か「竹の駅」にある胸像「かぐや姫」オブジェであろう。そして敢えて挙げるなら3番目が忠海にある「かぐや姫美術館」で4番目が市民館のこの貯水槽といったところか。

 インターネットなどまだ無い頃は、離郷してしまうとリアルタイムな竹原の様子はわからない。そのひとつが沢口靖子主演の「竹取物語」(87年東宝)で、竹と言えば竹原、竹取物語ならばもちろんロケ地は竹原の小吹に違いないと関東の映画館で鑑賞したのだが、エンドロールまで見ても竹原の「竹」の字さえ出てこなかった苦い経験がある。ドラマ、旅番組で何度も登場してきた竹原なのになぜ・・。さすがに高畑勲の「かぐや姫の物語」と竹原との関連性はゼロだったが、長澤まさみ主演の「潔く柔く」で真冬の磯宮八幡神社が使われたこと、最近では忠海が舞台の「テロルンとルンルン」など帰省して同級生に聞かなければ知る由もない。

 逆に映画に限れば1950年の鶴田浩二主演「エデンの海」に続いて忠海が舞台となった「花田少年史」やアニメ「たまゆら~卒業写真~」、上映当時は尾道の一部として竹原が扱われた原田知世主演「時をかける少女」、ドラマであれば船越英一郎や片平なぎさでおなじみのサスペンス・シリーズや実写版で北川景子主演「この世界の片隅に」については離郷して関東で暮らしていたからこそ即知り得たものもある。

 

 さて、その「竹の駅」にある「かぐや姫」だが、元々これは電電公社(NTT)郵便局となり、現在の眼鏡市場の歩道に有ったものだ。なんと!「かぐや姫電話ボックス」として尾根に載せられていたもので、のちにこれが撤去され普通のボックスに交換された際、第二の人生として「道の駅」が譲り受け店のシンボルとなったのである。最初に撮ったのがQV-10であり画質も画素数も最低だが、次の年にサンヨーのデジカメで撮った写真も見つかった。3本の竹筒自体が電話ボックスとテレホンカード自販機になっており、中央の筒の中には既に十二単を身にまとった「かぐや姫」がスッポリ入っているのが確認できる。左右のどちらかが国際電話かユニバーサルデザインだった。今にしてみれば中々シュールな電話ボックスであり、「迷走する公共デザイン」というテレビ番組で三原のタコ電話ボックスと一緒に是非を検証されたことがある。
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#02:かぐや姫電話ボックス(1996/10/11撮影)

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#05:かぐや姫電話ボックス(1997/08頃撮影)

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#03:かぐや姫の下はテレカ自動販売機(1998年頃撮影)

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#04:ETV特集「迷走する公共デザイン」(1997年3月26日 NHK教育テレビ放映)

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#06:NTT電話ボックス(2013/03/22撮影)

 そしてこれが「竹の駅」に移設された「かぐや姫」である。「竹の駅」ができた当時の写真で、スベスベ・ツルツルしており化粧し直されたのか真新しさが伺える。
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#07:竹の駅のシンボル(2003/08/09撮影) 


  竹原警察署跡に「道の駅」ができてからは「竹の駅」と混同されることが多くなり、月日は流れて季節は変り、更に10歳をとった「かぐや姫」。それなりに老けたようで、着た切りすずめの十二単は色褪せてキズだらけ。最初に撮ったNTT時代を産まれて三ヶ月とするなら今年で人間ならば23歳、時間の流れが違う天人にとっては何年分となるのだろうか・・・竹取の翁もとっくに他界して月の使者も来そうもない。
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#08:それから10年経過(2013/01/02撮影) 


 そもそも「かぐや姫」と「竹原」との関係だが、ここまで色々と書いておいておきながらその由縁を自分で分かっていないのがくやしい。単に昔から竹藪が多くて地名にも「竹」があるだけで「竹取物語」とからめていたなら弱すぎるし、沢口靖子の「竹取物語」を観てから色々と文献を調べてみたが、出てくるのは京都ばかり、竹小時代に竹原の竹も試されたと聞いていたエジソン電球の竹フィラメントでさえ竹原とは関係が無かった。

 やはり「竹原」と言えば「塩」の代名詞であり、保存地区の境界に新しく出来たホテル名に付けた「製塩町」の命名は必然といえる。帰省時に家族で忠海に出来たばかりの「かぐや姫美術館」を訪れた際、境内の福石猫に見惚れず竹原との由縁を聞いておけばよかった。そういえば「竹の駅」に「竹焼塩」が売られているので「竹原」といえば塩→竹焼塩→竹→かぐや姫で連想がつながっていたのか。まだ有った「かぐや姫」→竹→竹原→竹林→笹→パンダとなるので「かぐやパンダ」の謂われを聞くのも近道だ。 

2019.11.12-2


 1年前に上野にある国立科学博物館で開催された「日本を変えた千の技術展」を訪れた時、とても懐かしいものが沢山展示されていた。有難いことに全展示品が撮影自由だった。

 中に入ると見た使った覚えのある電気製品や通信機器などがぞろぞろ。最初に遠い思い出がよみがえったのが、この「答えイッパツ!カシオミニ」(1972年発売)である。電子卓上計算機でありながら手のひらサイズだった。今ならワンコインで買えてしまう電卓が、その当時の価格が¥12800だったらしく、テレビCMで何度も宣伝されようが一般家庭ではまず買わない買えやしない時代である。ところがこれを中学校の教室へ持ち込んだ生徒がいたのである。休憩時間に皆に取り囲まれ、見たこともない賢い機械を廻しながら試しの計算が色々と行われた。表示部は液晶ではなく青緑に光る6桁の7セグの蛍光表示板、テンキーには珍しい[+=]と[→]があり、小数部表示は[→]でスクロールしていたようだ。 
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#01-02:カシオミニ(2018/12/19撮影)


  もう記憶が定かではないが10÷3=3.33333で、これに3を掛けたら10だったのか9.99999となったのかがもう思い出せない。当時、毎週楽しみに見ていたスタートレックで人に危害を加え始めた喋るコンピュータへカーク船長が「10÷3を最後の桁まで計算して答えろ」と命令してオーバーロードさせたか、それを計算させて不安定となった電卓をコンピュータ心臓部へ投げ込んで狂わせたかの回があり、それを試してみた記憶のみが残っている。

 そして大学時代では実験で関数電卓が必要となり、駅前のイマイチでカシオの関数電卓fx-30と、その後にプログラム可能なfx-502を購入したのであった。当時のシャープ製はドットの英数文字でプログラミングが可能であったが、カンニングに使われるのか試験への持ち込みは不可、カシオ製は7セグ表示のみだったので許されていた。電卓による操作や全ての関数・数値はプログラムとして記憶ができ、その表示はFF-05、FE-B3・・のような機械語と言われる16進数的なものだった。もちろんこれを見ただけでプログラムや数式に逆変換ができるなら、試験に出る複雑な計算式群や計算順序を予め入れておけば良い。試験問題の数値を打ち込めば瞬時に答えが出せるし、機械語を逆変換すれば答案用紙に計算式とその手順に答えが書けてしまうのである。試験時間の2時間をかけても終わらない複雑な問題がたった30分で離席できる。これこそ1980年の「答えイッパツ!カシオミニ」であった。 

 次に展示で見つけたのがパーソナルコンピュータとトレーニング用コンピュータ。この4台が私の人生の線路を引いてきたといえる。最初がシャープのベーシックマスター・レベル2で、大学時代、なぜか友人がこれを持っていて1週間借りてプログラミングの世界を初めて知った。これがきっかけでNECのPC-8001を親に買ってもらい、今でも夜の呉線電車の棚にダンボール箱を載せて広島から竹原へ帰る様子を思い出す。まだソフトウェアという言葉は無かった頃で、手で打ち込んだプログラムをテープレコーダでメタルテープへ録音/再生して保存していた40年前。PCのカンブリア紀のような時代である。
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#03:ベーシックマスター・レベル2(2018/12/19撮影)

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#04:PC-8001(2018/12/19撮影) 


 会社に入ると職場でもPC-8001が未だ働いていた。アスキーやI/Oといったコンピュータ・ホビー雑誌が分厚くなってきたのもこの頃で、すぐに継機機のPC-8801へと入れ替わり、暫くすると8インチフロッピー・ドライブがつながるこのPC-9801が登場する。そして5インチフロッピーと大容量5MバイトHDD内蔵のPC-9801F3が職場で使われ始めたのが1984年。何に使っていたかと言えば原始的なワープロか昼食後のゲームだった。なのに仕事自体は未だ穿孔テープやパンチカードが活躍していたのである。

 

 最後にNECのこのTK-80が私を離郷させた張本人である。大学のゼミに入るとこれが数台棚にあって肥やしになっていた。そこでこれを使ってサーボモータや電磁石を制御する風力発電機の模型を作って卒論として仕上げた結果、卒業後に「ひがしへ~と向かうれっしゃ~で~」に乗るはハメとなった。因みに40年前に買ってもらったPC-8001は捨てられず今も押入れに眠ったまま。電源が入ったとしても専用モニタもテレビが使えるモジュレータも無いので自室のコレクション棚で肥やしと化すであろう。

 

 記事を書いているうちに何だかハイになってしまったが、イマイチで買ったカシオのfx-30を使って12音階の周波数係数を数日使って少数10桁まで求めたところで脳みそがオーバーロードしてしまい、10年以上経ってからその値が電卓で「2の1/12乗」を押せば瞬時に求められる係数であったことを思い出した。
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#05:TK-80(2018/12/19撮影)

2019.11.12-1


 2008年の冬帰省、なんだか垢抜けた竹原駅を出て石段を下りようとしたら路面に「おかえりなさい」と描かれていた。これができた経緯は未だ今でも分からないが、当時は「よ~帰ってきんさったの~」と書かれるよりはマシかぐらいしか思わなかった。

 駅前交番(現在は観光案内所)近くにも同じ塗装で竹の絵が描かれており、これらの役目は信号を渡ってシオタ前から町並み保存地区へと誘う始点的なものだろうか。地元民への挨拶というより、帰省客と観光客への「おもてなし」かもしれない。帰省客が懐かしいのは当然で、観光客が「初めて訪れたはずなのに何だか懐かしい」で「また訪れたくなる(また帰りたくなる)」に気が付いた発案者がいるに違いない。それでは2008年から2015年までの変貌を見てみよう。
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#01:初めての「おかえりなささい」(2008/12/30撮影)


 初めて撮ってから2年が経過した頃はもう誰も関心が薄れたようだったが、のちにこれがアニメファン巡礼撮影ポイントのひとつとなる。それを何となく予感できていた2010年末の帰省だったので、初回撮影は「おかえり・」で切れていたが「・・なさい」まで入いるようにした。なぜ正面ではないかというと単純にフレームに入り切らなかっただけのこと。 
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#02:2年後の「おかえりなさい」(2010/12/29撮影) 


 それから2年経った2012年、年明けの帰省では何だか薄くなっていた。踏まれすぎて擦れたか。でもこれを撮る来訪者はまだ多く見かけた。
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#03:更に2年後、なんだか薄くなった(2012/01/04撮影) 


 更に2年後の2014年正月の帰省、何だが以前とは雰囲気が違っていた。路面に描かれていた文字は微妙にトメハネが異ったエンボス文字へと代わり、点字ブロックと御影石風の敷石が敷かれており、文字の位置まで上側にズレでこのままで現在に至っている。ここ数年は駅を何度も出入りしても、これを撮る来訪者を見かけなくなった。 
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#04:二代目「おかえりなさい」(2014/01/03撮影)

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#05:それから1年後の「おかえりなさい」(2014/12/30撮影) 


 これが撮っていた最新の写真。「おかえりなさい」がフレームに収まっているのは、要らぬことをしなければワイドに撮れるスマホが手軽だとわかってきたからだ。これまでとの違いは横縦比16:9。手持ちのコンデジは記録機能がまた壊れかけているし、大げさなミラーレスは保存地区以外では出し辛くなってきた。
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#07:それから1年後(2015/12/31撮影)

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 家庭でフイルム式カメラを使っていた時代は、カメラ店でフイルムを買ってカメラに入れ、フイルムを使い切ったらカメラ店へ持ち込んで同時プリントに出す。我が家のカメラは2倍の枚数が撮れるハーフサイズのオリンパスPENだった。高額の骨董価値は無いが父親の形見として今も所有している。

 数日経って同時プリントが出来上がると、現像済フイルムとプリント写真が袋に入れられ、サービスでポケットアルバムがもらえた。のちに同時プリントが数日から同日に早まり、30分が15分となった頃にはカセット式フイルムでプリント前にサムネイル一覧で選択できる便利な時代となった。・・が、その頃から店名の無い袋が多用され、新型カメラに使い慣れた頃にはデジカメがそろそろ普及し始めたのである。そのフイルム時代に使われていたアイテムがこれらである。どれも昭和の臭いプンプンで竹原町内のカメラ店の店名入り。

 今は趣味でない限りフイルムを使ってカメラ店へ持ち込むことは無いだろうが、SDカードを持ち込んでプリント依頼したら店名の入った写真袋に入れてもらえるのだろうか?それともプリント機へ案内され「画面の説明に従って操作しんさい」でサヨナラなのだろうか。
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#01:藤井写真館(1998/08/10撮影)

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#02:藤井寫眞舘(1998/08/10撮影)

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#03:日の丸写真舘(1998/08/10撮影)

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#04:峠田写場(1998/08/10撮影)

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#05:竹原フォトサービス(1998/08/10撮影)

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#06:竹原フォトサービス(1998/08/10撮影)

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