安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2019年12月

No.2019.12.26

 昨日、長らく押入れにとらげていた旧インクジェットプリンタ(Canon PIXUS MP990)を復活再生。ジェネリック・インクを使うとノズルが何度も詰まるし、クリーニングだけでインクを使い切っていた。また、殆ど年末しか使わないのに年賀はがきが繰り込まなれなくなったので新型(Canon PIXUS MG6930)へ世代交代したものである。

 だがこれには特別な機能が有ったので捨てるに捨てられなかった。隠された場所にフィルムスキャナ機能が備わっているのである。フラットベット・スキャナの上蓋裏の白地プレート裏にはフィルム1カット分(35mm写真6コマ分)を挟むカートリッジがはめ込まれている。これを取り外してフィルムの裏表と上下を間違わないようにはめ、スキャナガラスの所定位置へセットする。ソフトはMP990のドライバ(Win8用までしかないがWin10でも動作する)をインストールしておけばよい。

 スキャナを使うには画像編集ソフト PhotoShop から「読み込み」を選んでMP990を選択し、拡張メニューからネガフィルムを指定して開始するだけ。サムネイルによるプレビュー機能もあるので短時間で写真の内容が把握はできる。あとは画面用か印刷用かとサイズを一度設定しておけば本スキャンを実行するだけでよい。L2版サイズの画面表示(1500 x 1200/300DPI)で6枚スキャンすると30分もかかるのが辛いところだが、どんな写真かをワクワクしながら待てばよい。

 撮りためたフィルムは多量にあるのだが、ライトに透かしても何が写っているのかが分かりづらい。ネガポジ反転機能があるスマホ用カメラアプリが有りそうだが、金を払ってまで使う程でもないし、無料版はどうせチカチカするゲーム広告と5★評価しろとのポップアップで萎えるものであろう。民放のCMズタズタ切り番組と変わらない。

 試しに7本のフィルムをスキャンしてみたところ、旧ホームページ作成時にデジカメで撮ったにしては画素数が多い写真を使っていたのが、実はスキャナでフィルムを読み込んだものだったことが判明した。色も変だし画質も粗いが、何となくレコードとCDの違いのような温かさが感じられるのは気のせいかもしれない。また、いつどこから付着したのかフィルムかガラスに着いたホコリが見事に読み込まれているのも「持ち味」としておこうか。

 当時使っていたフィルム専用スキャナは未だ「USBとは一体何だ?」時代で SCSI-2(スカジーツー)と呼ばれる太いケーブルでPCと接続していた。ソフトウェアからは TWAIN(トゥウェイン)という共通ドライバを介して制御が可能で、画像編集ソフトはこれを介してスキャンできる機能が標準装備されているのが通常であった。この旧世代のスキャナは世の中が USB 時代へ変わってしまい捨ててしまったが、ニッチ製品として安価でスタンドアロン仕様できる USB 版が多数存在している。

 フィルム撮影していた頃に多用していのが京セラのサムライである。現在のハンディムービーよりも一回り大きいが、ハーフで撮れるのでスナップ撮影に適していた。Canon EOS何たらも持っているが肩が凝るほど重くて使わなくなったし、まだカメラを持って竹原をウロウロしていると不審者扱いされていた観光化黎明期の頃であり、サッと出してサッと仕舞う小型でコマ数が撮れたのがサムライだったのである。この頃に出現したのがカシオ QV-10 なのだが最高画質は 320 x 160 であり、フィルムスキャナが 4800DPI だったので暫くは併用していたようだ。なのでデジカメQVGA時代にはそぐわない高解像度の写真が点在していたわけである。  

 さて、今回試しにスキャンしてみたフィルムから興味深い多数の写真が見つかったので紹介しておこう。町並み保存地区とその周辺には路上が御影石で保蔵されているのを御存じだろう。これはか前記事「今日は何の日(12月16日)」で紹介した82年に国から助成金認定された町並み保存地区を美観化する計画の一環として行われたものである。 その御影石を張る工事が行われている最中や、まだ路面がコンクリ舗装時代の写真がそれである。フィルムに日付が無いのでいつ頃の撮影かは確定できないが、ハーフサイズなので96~97年頃のものであろう。笠井邸の東先からは未だコンクリ舗装が残っていた気がするが、保存地区とその周辺は御影石による敷き詰めと電柱撤去にて美観化完了している。

#01,#03-#10:美観化前の舗装(1996~97頃)

#01

喫茶プリンスの通り

 

#03

村上パン横の通り

 

#04

樋口電化サービス辺り

 

#05

村上パン前の広場(頼山陽像の旧場所))

 

#06

酒蔵交流館への道(北へ)

 

#07

NIPPONIA HOTELの通り

 

#08

酒蔵交流館への道(南へ)

 

#09

春風館、復古館の通り

 

#10

大瀬邸の通り

 

No.2019.12.25

 過去記事で紹介した竹原駅ロータリーの竹オブジェ(当時は工事中)の完成状態を12月の帰省で撮ったので紹介する。先ずは工事中だった時の写真がこれである。写真では難読なので文字起こしをしてみた。(但し英訳は省く)見ての通り観光スポットなどへの「道しるべ」である。矢印下にはkmで道のりが書かれている。 

#01

#01:工事中の竹の道しるべ(2019/01/07撮影)

#04

  以下の写真が完成した竹オブジェである。本当は近くに寄って撮りたかったのだが、さすがに待機中のタクシー運転手の注目を浴びるので信号待ち時に撮ったものである。よって、英訳の文字がボケて読み取れないので省いた訳である。

#02

#03

#01:完成した竹の道しるべ(2019/12/18,19撮影)

#05

  お気付きたろうか?駅側から見ると「ようこそ」で、信号側からだと「またきんさい」となっている。もちろん矢印も変えてある。なぜだか「ようきんさったのぅ」でもなく「おかえりなさい」でもないのだが、まぁ~駅側を「おかえりなさい」にして信号側を「いってらっしゃい」にしたら「御主人様」を付け加えなければならなくなるが。

 夜中の様子も撮ってはいるが「かぐや姫物語」のように竹の柱が光りはしないし、スポットライトも浴びてはいなかった。月灯りが唯一の照明である。

 写真には一部しか写っていないが、工事中には無かったものが竹の筒から覗いているようだ。白い球の左右に黒い小さな球が付いているのだが、たぶんだろうの域だが「かぐや姫」ではなく「かぐやパンダ」が切り口から頭を出しているように見える。

 さて「竹の道しるべ」に書かれているスポットだが、ここ竹原駅を起点とするとかなり広域であり、北は西野町から東は忠海の沖にある島までである。矢印は所在地がある方向(方位)ではなく行先へ続く道の始点を示しているようにも見える。たとえは湯坂と美術館と朝日山は後方ではなく「ロータリーから右側へ」、保存地区は「後方のあいふる316経由」であり、その他は全て「ロータリーから左側へ」と解釈できる。

 ここで大切なものが2つ無いことに気が付いた。すぐ横にある「たけはら観光案内処」の所在地と撤去されたアナログ時計の復活である。幟や看板があるものの案内処は案外分かりづらい。駅から出て案内地図板がある左側の信号を渡ると見逃しがちとなる。アナログ時計は腕時計やスマホを出すまでもなく目に入るので、あと何時間何分でバスや電車が来るのか、フェリーに乗るまで何分余裕が有るかを瞬時に脳内で計算できるからである。

No.2019.12.24

 過去記事「出雲神社の由来」の宿題となっていた最新の説明看板を、12月の帰省で撮影できたので関連記事の扱いで載せることにした。
   その看板がこれである。ここの看板を撮り始めてから3代目であり、3代目も看板作成と管理が「本川自治会」となっている。この看板では2代目を分かり易く解説したものとなっているのだが、この看板左下にあるQRコードが重要だ。全記事ではこのリンク先に看板サイズでは到底書ききれないほどの詳細ホームページが存在していることを期待したのだが、その期待を良い意味で裏切る驚嘆すべき「出雲神社」(本川自治会)が用意されていたのである!!

 一時、素焼きの筍の置物にQRコードが付いていており、ガラケーで読み込んだら簡単な解説ホームページが表示される仕組みとなっていた。その素焼きの筍は街のいたるところで「超存在トマソン」となっている。この神社にも存在していた記憶が有り、実際にアクセスしてみた頃は30文字程度の説明が表示された。
#01
#02
出雲神社の立て札(2019/12/18撮影)


 そのQRコードのリンク先は竹原「出雲神社」(本川自治会による作成)なので、是非アクセスしてみて欲しい。なぜかYahoo検索「竹原 出雲神社」ではサーチできなかったホームページである。

 このホームページを読んでみて分かった概要を以下に示すが、これまでモヤモヤしていた出雲神社の由来が、仕事の後に生ビールを一気に飲み干した気分のようにカーッと晴れていった。

・説明板の正式名は「出雲神社の立て札」である。

・出雲神社は竹原絵図(竹原紹介時にいつも出る絵地図)にしっかり描かれている。

・浜子の地域住民の塩田繁盛・無病息災なとの生活安定祈願神として祀られていた。

・過酷労働に耐えかねた浜子のスト集会所

 これ以上は実際のホームページを閲覧して欲しい。竹原の塩田などについて詳細な説明がなされている。ただ、これは完成形ではなく作成中であり「塩田ヒストリー」と「竹原ヒストリー」の完成が待ち望まれる。要らぬ心配だが、これまでの超詳細な説明レベルを継続するとなると、作成担当者が過酷な労働に耐えかね出雲大社境内へ設置された長椅子に座ってストライキを起こしはしないか心配である。

 本ホームページのQRコードは拡散希望とのことで下にも大きく載せておいた。
#03

https://izumojinjya.jimdofree.com/

 

No.2019.12.23

  竹原簡易裁判所の裏(西隣)に建設中の竹原市立「認定こども園」の様子を見るため傍へ立ち寄ってみた。5月帰省では工事が始まっていたが整地作業だったので気に留めなかったが、そろそろ園舎の建物も出来上がっている頃だろうと普段通らない簡易裁判所横の道を抜けて様子見をした。

 朝9時過ぎだったが園庭の整備作業が進行中であった。園舎自体は既に完成していたが部外者は内装までは確認できない。園舎は逆Lの字で園門から入って園庭を抜けると正面が保育室棟で左側に遊戯室棟(兼講堂・体育館)が連結されている。保育室棟は表からは中2階のように見えるが高さ的には2階建のようである。園庭右には倉庫があり、庭整備品や防災用品が格納されるようだ。

 園庭にはフェンスは未だ無いが、西幼稚園のようにブランコ、雲梯、滑り台、花壇、砂場といった設備が設けられるであろう。

 #01
#01:竹原市立たけのここども園(2019/12/18撮影)

  この認定こども園は、西幼稚園、西保育所、中通保育所を統廃合した新たな施設であり、完成後の移転にて旧保育所や幼稚園は廃止となる。

 上記以外の公立保育所(竹原保育所、吉名保育所、東野保育所)については統廃合なしに来年4月からそのまま「認定こども園」に替わる。

 ちなみに私立については忠海の「明星こども園」と「忠海東部こども園」、大乗福田の「大乗こども園」、新庄の「賀茂川こども園」が既に運営中である。中央幼稚園についても平成27年に「中央こども幼稚園」に変わっている。この中央幼稚園の認定こども園化については旧ホームページで紹介済みであるが、長らく「中央幼稚園」と呼んでいたのは間違いで正しくは「中央幼児園」であったことが今更に判明、ここは広島県初の「幼稚園型認定こども園」であり保育園を併設しているのである。また園内には「CHUOU CAFE」があり、森近製材バタンコが元気に走っていた昭和30年代には市内を巡回する園送迎バスが存在していたハイスペックは健在である。 
 私が通っていた西幼稚園も来年3月で幕を閉じる。と言ってもその頃の西幼稚園は場所が違っていた。藤井酒造と旧岩瀬書店の間にある路地(畷:なわて)の真ん中あたりに幼稚園の門が有った。ここは熊野筆の工場の後に廃墟となって解体後され古庭会館(こにわ?)という集会所になっているが、ここから入ると講堂と幼児室が右手にあり、その先に園庭があった。その園庭は現在、照蓮寺の駐車場となっている。幼児室は年長から「松組」「竹組」「梅組」にクループ分けされ、灯油ストーブの上で弁当を温めていた。絵を描いたり、昼寝したり、積み木をしたりと楽しい毎日、面倒だったのは「お遊戯」だった。温まった弁当の匂いに不易糊と油粘土の臭いは今も忘れられない。一番の楽しみは鍵付き観音扉を開くと、中には白黒テレビが格納されており、NHKの「ブーフーウー」「チロリン村」「ひっこりひょうたん島」か「ケロヨン」などを床に正座(じんじょ)して無言で観ることだった。

 その講堂の壁には動物園にいる動物総出演にクジラやイルカを加えた巨大な絵が掛けてあり、現在の西幼稚園の遊戯室壁へ移設されたのを確認している。だが、部外者が中に入ることはできないので幼稚園の知人に撮影を頼んでいたが、その願いはもう叶わないのが現状である。この巨大動物絵画が統廃合後の「認定こども園」へ移設されることを物言わず望んでいる。それがまた拝めたならば、私が東京国立美術館(上野)で国宝・重要文化財である「阿修羅像」の背中側を観られた時以上の感動が得られるであろう。もしも廃棄するのならば竹原美術館の横山大観を外して替わりにこれを展示して欲しいぐらいだ。

 この竹原市立「認定こども園」だが正式名が公開された。それは「竹原市立たけのここども園」である。何だか長くて「・・ここ・・」が不細工だが「竹原市立こども園」か「竹原市立たけのこども園」にしたとしても長すぎる。「筍」では可愛くないので「筍子」にすると中国からお叱りがあるだろうし、ひらがなで書くと「たけはらいちりつたけのこここどもえん」となって、おかかえ地蔵の「おんかかかびさんまえいそわか」のような呪文に見えてしまう。まぁ、すぐに「たけのこども園」に定着するとここで予言しておこう。


No.2019.12.22

 

 久々に竹原消防署前を通ってみると、いつのまにか壁面アート(幕張り)が新しくなっていた。「平成30年竹原中学校美術部」と書かれているのでみ、この原画が部員にて描かれたのが30年12月中旬までとし、幕が作られたのが年明けの年度末、壁に張られたのが消防署の定期人事異動10月1日とすれば、今年の春以後から9月末までの間にお披露目となったと推測される。まあ、作画提出期限・製造納期・取替工事・企画完遂がギリギリだったとしてだが・・。

 今回の作品テーマは「その火事まった!!」と「救急車の適正利用にご協力ください」である。前者は、突然自然発火した竹林の竹に水を掛ける怯えたうさぎで「うさぎ島」がモチーフだろう。後者は、アンちゃんが救急車をタクシー代わり(いたずら含めて)に呼んだのがバレ、着物姿?の女性に叱られ「やんちゃしてごめんちゃい」とテヘペロしているオヤジの若かった頃の遠い思い出の絵であろうか。着物姿はかぐや姫ではなさそうなので昭和時代とすると、この若者は団塊の世代といえる。であれば、遠い目をして「若い頃は、よぉ~やんちゃしとったのぉ~」と衰えた自分に威勢を張ってみせる今時の「やんちゃ自慢おやじ」をモチーフにして皮肉ったものかも。そこまで深読みしても何の意味もないが、まぁ、この真新しいアートを一目見た時の私の根性が捻くれた感想ではある。と遠い目をしながら書き込んでいた自分。

 ではそのアートをまじめに紹介しよう。

#01

#02

#01-#02:竹原消防署(2019/12/18撮影)

  現在は竹原消防署は東広島消防本部の管轄だが、竹中美術部の作品を飾るのが恒例となっているようだ。これまでの挿げ替え周期は約8年であり、前作は色褪せと部分的に色が剥げ落ちてかなり劣化していた。

 前回のアートは以下である。写真はいくらかあるが程度の良いものを載せてみた。最古の写真は2010年末だがボケていたので2014年のもとした。平成21年の作成画であり2009年となるが、平成23年と火災報知器取付義務化の文も2010年には書き込み済みだった。モチーフは竹藪と少女なのだが、かぐや姫には見えないので分からず仕舞いのまま世代交代してしまった。

#03

#04

#03-#04:竹原消防署(2014/08/13撮影)

 そして前々回の作品がこれである。こちらは2006年元旦の撮影だが、作成は2002年4月であった。まだ古い写真が見つかるかもしれないが画質が荒いカメラの頃なのでこれを選定した。もちろんモチーフは竹藪とスタンダードなかぐや姫。

#05

#06

#05-#06:竹原消防署(2006/01/02撮影)

  

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