安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年02月

2020.02.19

 竹原駅前圏のパチンコ店といえばガイア竹原店(パーラー富士→レッツ588→ガイア)が存在感大だが、馴染み深い店なら竹原駅前商店街内のトキホワールであろうか。・・・とは言っても訪れたことは一度もないのだが。数年前にフェリー乗り場横のサンフレッチェ竹原店が完全閉店となり、ここトキホワールは閉店したことさえ知らないまま更地となっていた。かなり前に大井から吉名への国道沿いに有ったラッキー2が廃墟となり、現在、私が知る限りではガイア以外で残っているのは大広苑向いのオリンピアぐらいであろう。
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#01:パチンコ トキワホール(2004/05/05撮影)

 トキホワールの場所は末広堂向いで神田薬局隣りである。この先、ここががどうなるのか予測できないが更地のままでは寂しすぎる。
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#02-03:パチンコ トキワホール跡地(2019/07/25撮影)

 私が産まれてからパチンコ店を訪れたのは計2度である。1度目はバイト上司の付き添いで30分程度、2度目は会社の同僚に時間つぶしで誘われて15分程度。どちらもワンコインしか使っていない。パチンコ店側が儲かるということはプロでない限り勝ち目はないはず。時々、儲かっても平均してみれば損している。まぁ、時間潰し程度の趣味であれば問題はないが、喫茶店でコーヒーを飲むほうが良いのではという考えである。過去には日当を瞬時に使い果たしてしまうバイト仲間が身近にいたが、喫煙とセットで習慣性がひどかった。今住んでいる街では、10時開店なのに朝6時には50人程度が列を作っている駅前店があるのだが、それも平日なのだ。パチンコ店が儲かる時は不況と言われているが、逆にパチンコ店が潰れている時は好況と考えて良いのだろうか。

2020.02.18

 2014年末からテレビ放映されていたソフトバンクCM「運試し篇」をご存じだろうか?CMに登場したのは西方寺の石段~佐倉商店店頭に置かれたガチャだったのだが、「あそこは竹原だよ!」とのSNS情報は多数あるものの、堺雅人がカプセルに入っていた黒眉毛シールを父さん犬に貼るシーンについては誰も触れてはいないようだ。このCMは公式サイトでは公開終了なので、もう非公式動画でしか見ることができない。
 私がこのCM放映を偶然見た時、これは花田少年史のジロをモチーフ?パロディ?にしたことに即気がついたのだが、周りには「花田少年史」自体を知るものが皆無だったので説明のしようがなかった。このCM放映と映画「花田少年史」のロードショー当時、竹原ではどのような反応が有ったかが知りたいところ。

 私が映画「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」を知ったのは2006年、何かのネット記事に忠海町がそのまま舞台となったことが書かれていたからである。コミックやアニメの実写映画化版であるが豪華キャストでありながら興行的には上位だったがマスメディア的にはあまり話題にはならなかった。

 これは放映当時にどこかで手に入れた映画のリーフレット(チラシ)である。右上の悪役は今季のNHK朝ドラに登場していた北村一輝さん、主人公の両親が西村雅彦さんと篠原涼子さんである。
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#01:リーフレット(入手時期不明)

 ロケ地および場所設定は忠海町で、廃校となってしまった忠海東小学校(二窓地区)の校庭から始まる。主人公の一路は「忠海中央通り商店街」を自転車で走るのだが、実際の場所は竹原町本川通りの鮮魚センターと平川生花店周辺を走り抜ける。各店舗には「かぐや姫スタンプ」の幟があり、「はこにわ最中」の幟も写り込む。電柱には「寝具つたや」の巻き看板に「本川」と書かれている。自転車で本川を爆走したら黒滝山の登山口へワープ。忠海港に架かる虹がタイトル文字に変って物語が始まる。そして一路はトンネルで事故に遭い幽体離脱。(このトンネルは竹原には無いので別ロケ地)事故の知らせを聞いた母(篠原涼子)は本川商店街を走り事故現場へ。竹原消防署の救急車も後を追う。幽体離脱した一路は忠海の上空から天へと昇る途中で幽霊に「戻れ」と言われ抜け殻となった身体へ入って生き返る。搬送された病院は壁の色から安田病院かと思われたが本郷中央病院だった。他にも大乗の団地や忠海の漁港も登場する。エンドールの撮影協力には、竹原市、三原市FC、浅野内科医院、井口耳鼻咽喉・眼科、広果連、JA三原、芸南漁協組合、シシンヨー、竹原ダイハツ、田原商店、竹原葬祭などが流れた。

 結局、ロードショーでは見られなかったのでDVDを購入した。DVDは2枚組でDISC1が本篇、DISC2はメイキングと撮影エピソード、全予告CMが盛り込まれていた。監督の談話ではロケーションハンティングで昭和の風景が今も残る「竹原」を選んだとのこと。
 さて、チラシやこのDISC1のラベルを見て欲しい。犬のジロの黒眉毛がソフトバンクの父さん犬と同じなのである。同じ犬ではないと思われるが、明らかにこの映画をモチーフ(それともパロ?)にしている。
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#04-07:花田少年史DVD(2007年春購入)


 当時の竹原ではどのようなイベントが有ったのだろうか?先行上映等がされたかもしれないが、上映当時に写していたものは観光案内処のこのポスターだけであった。ここは元駅前交番だったので、このガラスケースには指名手配の写真が貼られるイメージしかなく、このポスターを見付けて撮ったものではない。(交番当時の写真も付けておく)
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#08:花田少年史ポスター(2006/08/12撮影)
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#09:駅前交番当時(2003/08/11撮影)

2020.02.17

 あいふる316の北側路にあった「おおさわ」の包み紙「銘菓たけはら」が見つかった。2000年頃まで帰省土産(勤め先用)をここで買っていたが、いつしか店舗が閉じられてしまい再開したのかと思われた時は別店舗となっていた。それ以後の土産は殆ど「末広堂」で買っている。

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#01-02:銘菓たけはら(1998/08/13購入)

 この包み紙には「おおさわ本舗」と書かれているのだが、古い竹原の広告などでは「おおさわ(PATISSERIE)」となっていたので洋菓子工房の時代もあったようだ。また、店舗左横側には和風の喫茶店入口があったのを憶えている。古い竹原の市街地図では「喫茶おおさわ」と「菓子のおおさわ」が並んでいるのだが撮った写真は以下2枚(正面アーケード下と左路地側)しか残っていない。
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#07,03:おおさわ店舗(1996/10/11撮影)


 これは「おおさわ」の店舗ビルのタイルアート壁面である。これは現在もそのまま残されているが、ここへ入る店舗は著しく変わっていたようで、現在は何になっているのか分からない。このアートの存在は古くから知ってはいたが、気に留めるほどではなかったのか古い写真はゼロに近い。以下はこれがアニメに登場したことで改めて撮っておいたものである。なぜかこれ以後の写真も見つからない。
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#04-06:壁面タイルアート(2012/05/04撮影)

2020.02.16

 これらは1999年のGW帰省時に撮った的場海水浴場の様子だ。GW時期の的場といえば多くのバーベキュー客が砂浜を訪れているイメージがあったのだが、この頃(時代)の砂浜には誰一人いない。的場公園内には藤棚に満開の花が咲き、駐車している車も10台以上はあるのだが、どこで何をしているのであろうか。公園内では火気厳禁(花火、キャンプなど)と貼紙警告されているのだが、砂浜も公園の一部であるならば火を使うバーベキューも禁止対象となるではなかろうか。そうであれば帰郷後にやってみたかった事のひとつ「的場でバーベキュー」は市の条例違反となってしまうので実現不可。

 では皆どこへ?ということで的場西海水浴場(ぼら網)も訪れてみたのだが誰もおらず・・・。途中の岩場で捨てられて錆びた自転車やオイル缶などが更なる寂しさを漂わせる。潮だまりにイソギンチャクや巻貝を見つけた。スタートレックのクリンゴン人の頭ような「じじい虫」と呼んでいたヒザラガイや、日陰に潜むフナムシも多数いた。

 インゴとブンザイで思い出したが「あんもな~」と呼んでいた貝もいた。どんな貝だったか思い出せないのだが、巻貝だったらアンモナイトが語源の可能性もありうる。的場に生息していた貝は3種類あり、巻貝のフタが薄いものと厚いもの、それと角のようにとがったものだ。どれがどれだったかもう分からなくなった。憶えているのは的場の海岸で煮たり焼いたりした貝のフタの隙間へ爪楊枝を挿し込んで「クルッ」と捻ると螺旋状の身がきれいに出てくる。その身の途中までは旨いが、先の深緑色の身はドブと呼ばれ磯臭かった。だがその磯臭さが逆に旨いという酒飲みが親戚にいたなぁ。その親戚で使っていた醤油は、未だ量り売りだった頃に遣いに行かされた「堀川醤油」の一升瓶だった。

 トリビアを書き忘れるところだったが、写真の中にある赤い橋の名は「渚橋(なぎさばし)」、それが架かる川の名は「仮屋谷川(かりやだにがわ)」である。国道185号線の暗渠を抜けて的場山沿いに海岸へと流れ出る川だが、普段は水が殆ど流れていない。
 
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#01-39:的場海水浴場(1999/05/06撮影)

2020.02.15

 大事なお客さんが来そうな時は「モンシェリでケーキこ~てこんにゃいけんかの~」とよく母が言っていた。楠神社から渡逢橋を渡って秋葉神社へ抜ける新町区に「モンシェリ」の旧店舗が有ったのだが、結局、大事なお客が訪れたことは一度も無かったので買いに行くことも一度ぐらいしか無かった。

 これが旧店舗の様子である。ショートケーキが売られていたのは知っていたのだが、テントに書かれている「コーヒー」とは何だろうか?コーヒー豆が売られていたのか、今でいうイートインのように店舗内にてケーキを食べながらコーヒーが飲めたのだろうか。
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#01:モンシェリ旧店舗(1997/08/14撮影)
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#02:モンシェリ旧店舗(1998/08/08撮影)


  2002年夏頃に扇町へ新たなケーキ店「フレシュール」(現在はナフコ裏へ移転)ができた。その頃に「モンシェリ」が新店舗へ移転する噂を耳にする。2003年の春には「おもちゃのお城きり屋」向いに新店舗ができていた。
 これがその新店舗である。店名は「菓子工房モンシェリ」「pâtisserie Mon cheri(パティスリー・モンシェリ)」へと変わった。今まで気にしたことが無かったが「Mon cheri」の意味は「(女性から男性へ呼びかける)愛しい人」のようだ。英語での「My Darling」と言ったところであろう。
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#03:モンシェリ新店舗(2003/05/01撮影)
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#12:モンシェリ新店舗(2010/12/29撮影)
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#11:モンシェリ新店舗(2009/08/05撮影)
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#13:モンシェリ新店舗(2013/01/02撮影)

 2006年の正月にショートケーキを買ったところ、「お年賀」とサービスで生菓子を頂いた。
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#04-05:お年賀(2006/01/03撮影)
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#04-05,07:お年賀と生菓子(2006/01/03頂く)


 そのショートケーキがこれだ。
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#06-07:モンシェリ新店舗(2006/01/03購入)


 気になるのが旧店舗の様子である。解体されずそのままの状態で「売家」となっていたが、長らく訪れなかった間に解体されて新築の一般住宅となっていた。
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#09:モンシェリ旧店舗(2008/08/17撮影)
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#10:モンシェリ旧店舗(2009/12/26撮影)

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