安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年06月

 国道185号を吉名方面へ進むと「毛木東詰切北」という信号機がある。名称の意味は’毛木の東側端の北’と思われるのだが、今現在「毛木」の読み方に迷っている。これまで「けき=KEKI」と呼んでいたのだが、ネット地図等を利用していると「けぎ=KEGI」と書かれていたものがある。今、思い出したが芸陽バスのバス停音声も「けぎ=KEGI」だった。そのバス停の時刻表がこれである。しかし、毛木近くに住む知人もこれを「けき」と呼び、「けぎ」とは呼んだ事など無いとのこと。
 これが気にはなるのだが、この信号から海側へ出ると「毛木海岸」と呼ばれる場所がある。海岸と言っても泳げるわけではないが、30年ぐらい前には「ナマコがゴロゴロしていた海岸」だった。以前、それを撮ろうとして訪れたが潮の満ち引きでナマコは確認できず。だが、その静かで吸い込まれるような景色の絶景スポットに驚いたことを思い出した。今回は、その絶景スポットを夕方に訪れてみたのである。
  毛木海岸の場所を地図で示す。明るく加工したところが今回撮影したエリアである。青い屋根は竹原浄化センターでこの辺りは下野町となっている。
#00
#00:毛木海岸(2020/06/15 yahoo地図利用)

 漁船やクルーザーが停泊している突堤ではなく、その脇から海岸へ降りてみたら長い雁木(階段状の堤防)が有ることが分かった。これが浄化センター敷地沿いに北東へ延びている。ここから眺めた契島や潮に浸かった雁木の透け具合が実に神秘的。またナマコを探すのを忘れてしまったが、この潮位では泥浜?の様子はわからない。以下の写真の解説は省くが、突堤側から浄化センターへと進みながら撮ったものである。
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13
#14
#15
#16
#01-16:毛木海岸(2020/06/15 18時頃に撮影)

 竹原で暮らし始めてから街中のどこかから時々「と~ふ~」の音が聞こえてくる。どうやら豆腐の移動販売が巡回しているようなのだが、未だその実体?を目撃したことは無かった。過去に物干し竿の「さおや~さおだけっ」、わらび餅の「おいしい、おいしい、わらび餅はいかかですかぁ~」のテープを流しながら街中をゆっくりと巡回する販売車がいたことを思い出す。竹原での移動販売で最古の記憶ではパン屋「ろばのおじさん、ちんからりん・・・」だろうか。最近は見ていないが手押車に代わって軽トラによる「魚屋さん」もいた。ホクストン、アンソロジー、ほり川のキッチンカーは移動しながらの販売ではないので別物かも。
 今週、その豆腐の移動販売を町並み保存地区を散策中に始めて目撃した。「と~ふ~」を鳴らしながら低速移動していたのは他県ナンバーのワンボックス軽自動車で「古式とうふ豆吉郎(とうきちろう)」であった。
#01
#02
#01-02:豆腐移動販売車(2020/06/16撮影)

 本社は福岡市で販売エリアは九州~大阪(四国、島根、鳥取を除く)であり、竹原地区は東広島営業所(八本松)が担当しているようだ。(公式プロモ動画あり)

 これが販売中の様子である。この時のお客様は二人で場所は保存地区の城原邸塀付近。昭和の時代、この塀の辺りに豆腐屋があって真鋳の鍋を持たされ木綿豆腐を買いに行かされたことが有った。醤油は一升瓶を持参して「堀川醤油」で計り買い。
#03
#03:豆腐販売中の様子(2020/06/16撮影)
 

 久しぶりに八幡橋の歩道橋を渡ってみたのだが、これを利用する人は一日に何人いるのだろうか。竹原町内の国道185号には他にも歩道橋が有った記憶があるのだが、もう場所は覚えていない。普段利用しているこの国道を歩道橋から俯瞰した眺めは新鮮である。
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#01-08:八幡橋より(2020/06/16撮影)

 歩道橋を下りて鳥居をくぐるとその先に礒宮八幡神社境内の鳥居と本殿が見える。ここを訪れるのは初詣ぐらいだったが、今年からは秋祭りなどのイベントを見に行けると喜んでいた矢先のコロナ禍である。
#09
#10
#09-10:礒宮八幡神社の参道(2020/06/16撮影)

 ここで何かの「お知らせ」を見つけた。市役所のイベント情報等で知っていた「夏越祭」が開催されると書いてある。コロナ禍で一部縮小ながらも開催されるとのことで、このお知らせのタイトルが興味深い。「新型コロナウイルス感染予防祈願 夏越の大祓い祭り」なのである。開催日がまた驚きの平日夕方。個々で「茅の輪くぐり」ができるようだ。ここに書かれている「人形・車型」とは何だろう。捨てるに捨てられない魂のこもった人形や縫いぐるみなどを焼却処分してくれるのかと期待したが、そうではなく「人形=ひとがた」「車型=くるまがた」でお祓い時に使う氏名などを描いた紙のことであった。社務所にて貰うものらしい。ある神社の「大祓」についての解説を見たら、人形には名前と生年月日を書いて病んでいる部分を撫でる。そして人形へ3回「ふ~っ」と息をかけて厄を人形へ移す。車形ならナンバーと運転手の名を書いてエンジン部分と四隅、キズやヘコミ部分を撫でることで厄祓いする。そして全国の神社にて年2回の「大祓」にて「焼祓」される。この年2回が6月30日と12月31日なのである。6月の「大祓」を「夏越大祓=なごしのおおはらい」、12月が「年越大祓=としこしのおおはらい」と呼ばれている。「お知らせ」にはサラッと「夏越の大祓い祭」「夏越祭」などと書かれているが、「夏越」は「なごし」と読むことを初めて知ったのである。
#11
#12
#13
#11-13:夏越しの大祓い祭のお知らせ(2020/06/16撮影)

 これは上市区の民家の塀に貼られていた「夏越祭」ポスターである。「茅の輪くぐり」についても調べてみるか。
#14
#14:夏越祭ポスター(2020/06/16撮影)

 あれっ!!市役所HPのイベント情報では「夏越祭<中止>」(6/19現在)となっているのだが・・・。未更新のままなのか中止決定となったのか?どちらにしても訪れてみることにしよう。

 竹原町内を車で走っていると普明閣右辺りの山腹にブルーシートがかけられているのがうかがえる。2年前の大雨で山がズレたにしては、ここが崩れていた記憶はない。以下の写真は「道の駅たけはら」の階段窓から撮ったものであるが、場所はどうやら長生寺の上辺りのようなので、寺山の現場近くまで訪れてみることにした。
#01
#01:道の駅から見た様子(2020/06/16撮影)

 場所が特定できたので長生寺まで徒歩で直行。地蔵堂の横からも痛々しい山腹のブルーシートとハゲ面が見えた。地蔵堂近くの側溝フタに「工事中 50m先」の看板が転がっていたが、解除中シールは貼られていなかった。
#02
#03
#02-03:地蔵堂から見た様子(2020/06/16撮影)

 長生寺への路地を曲がると山門までの石段がこの通り。工事用のモノレールが敷かれており、石段の下から境内間を工事用部材が運ばれているようであった。立入禁止ではなさそうだったので石段から境内まで上がってみた。
#04
#05
#06
#04-06:長生寺石段(2020/06/16撮影)

 山門を潜って境内に入り、先ずは本堂へお参り。本堂右側の八十八ヶ所巡り終点付近(おかかえ地蔵尊)から山肌を見るとズレたのではなく工事のために広範囲の森林が伐採されたようであった。この先に有った登山道?は木々が茂り通行不可能だった。
#07
#07:おかかえ地蔵尊から見た現場(2020/06/16撮影)

 ならば本堂左側からならどうだ。モノレールを辿ると工事の説明看板が見えた。
#08
#09
#10
#08-10:工事看板(2020/06/16撮影)

 工事名は「平成30年度 災害関連緊急治山事業 山腹工事 No.12-2」である。発注は広島県である。「法面を保護して山を崩れにくくしています。法面工事」とあるのでズレの修復か予防の工事てあることが分かった。竹原市内では馬場病院の裏山、吉名町の南側山腹、高崎童門手前などが法面工事を行っている最中である。これらは山腹をワッフルのような格子状のコンクリートで覆う法面保護工事であるが、長生寺の裏山が灰色コンクリートで覆われるのだろうか。本工事は広島県庁の発注で公示日は2019年11月6日となっている。施工は竹原市内の業者ではなさそう。それではその工事の様子を紹介する。撮影したのは長生寺から普明閣境内へつながる墓地の道途中からだ。工事の休憩中なのか作業者が伐採の際付近に2,3人座っていた。
#11
#12
#13
#14
#15
#16
#11-16:工事の様子(2020/06/16撮影)

 この工事場所には地蔵が見えており、八十八ヶ所巡りのコースの途中が法面工事対象となりそうである。工事期間は10月31日まで、どのような保護工事となるか追って経過をレポートする。

 新町の「ひのまるcafe」~「日の丸写真館」向かいのアーケード商店街北端に、かつて「ヒツジヤ」という洋服店があった。店舗自体はシャッターが閉じたままだが、その痕跡としては建物と壁の看板とアーケード軒下看板が残っている。20年程度前には未だガラス扉や陳列があり、昭和ならではの雰囲気が漂う店舗だったと記憶している。(営業中だった2004年頃の写真は旧ホームページを参照)このような廃業後の店舗が徐々に更地となって姿を消してゆくのはとても寂しいことである。これからはこのような店舗や看板を撮って残しておきたい。

 新町交差点を南側へ抜けた先に「ネーム ヒツジヤ」の文字が書かれた壁の看板が見える。撮らなかった長い間にかなり色褪せてしまたようだ。「ネーム」とは刺繍を入れたりワッペンなどを縫い付けてくれるサービスである。
#01
#02
#01-02:ネーム・ヒツジヤ(2020/06/16撮影)

 そしてこれがアーケード軒下に残っている2枚の看板「洋服のヒツジヤ」と「お誂・既製服ヒツジヤ」である。調べないと読めなかった「誂(あつらえ)」と「既製服」という表現がまたよい。現代の表現だと「オーダーメイド」と「レディーメイド(吊るし)」となるだろうか。
#03
#04
#05
#03-05:アーケード看板(2020/06/16撮影)

 そもそもなぜ「ヒツジヤ」なのだろう?ウールの洋服を販売していたからなのか。

↑このページのトップヘ