安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年08月

 掛町商店街にある村上ベーカリーについては未だブログ記事にはしていようだ。ここで峠下牛カレーパンなどを何度か買っているが、訪れるたびに思い出すのが「橋本商店」と「頼山陽像」。村上ベーカリーになる前の店舗が「橋本商店」で、その店舗前のスペースに「頼山陽像」があった。円山医院の駐車場側から眺めた現在の様子がこれである。(2020/03/24撮影)
#01

 下の2004年頃の地図に入れた赤矢印の位置に「橋本商店」がある。ここがいつ頃に村上ベーカリーとなったのかは分かっていない。
#02

 以下は1998年頃に撮った「橋本商店」の写真である。私はここを橋本金物店と呼んでいたが、シャッターには(株)ハシモト、店舗壁には株式会社橋本商店だった事が今になって分かった。ここではホームセンター内の釘、ネジ、塗料やセメントのコーナーのエリアのものが扱われており、一般客向けではなく業者向けだった。だが、釘1本でも買えたことから、私が工作などをしていた時はここで色々と買っていた。村上ベーカリーとなった後の痕跡としては左右のタイル張り部分、2Fと3Fのアルミサッシ窓、右サイドの壁のようである。
#03
#04

 そして店舗前に在ったのがこの「頼山陽像」。現在は新港橋の横へ移設されたが、当時は竹原といえば「製塩」と保存地区の玄関である掛町のシンボルが「頼山陽像」だった。今は何もない道路となっているが、観光客が像の傍を通って像を眺めたり顔出し看板で記念撮影をしていた懐かしい頃である。
#05
#06
#07

 地蔵堂の手前にある愛宕神社(あたご神社)。町並み保存地区内に在りながら先の地蔵堂に目を惹かれてしまうのか素通りしてしまう祠なのだが、2011年頃には注目を浴びた時期があった。よく見れば祠の中に小さな祠が有るユニークな二重構造となっている。その内側の祠には多量のダルマが雛壇状に並べられており、そのダルマは「長生きダルマ」と呼ばれ長生寺の本堂前で「おみくじ」として買うことができるものである。ダルマの底から「おみぐじ」を取り出して、その結果の良し悪しによるのか愛宕神社へ奉納されていた。そのダルマの数がジ徐々に減って行き、今回ここを訪れた時にはダルマはひとつも置かれていなかった。
 図書館で借りた「神仏を訪ねて」にて愛宕神社を調べたところ、祀られているのは火産巣日神で1764年に大火が数回起こり、家内安全・商売繁盛を祈り有志が京都の愛宕神社から勧請した。修理は昭和51年で平成9年に大改築。愛称は「愛宕さん」とのこと。ダルマについてと二重構造については記載は無かった。
(2020/08/20撮影)
#01
#02
#03

 その雛壇ダルマが一番多かった頃に撮った写真がこれである。愛宕神社の謂れについて書かれた板も置かれていたのだが、ダルマ同様に現在は無くなっていた。この説明では火産霊命(ホムスビノミコト)が火伏の神として祀られていると書かれていた。ちなみに私が長生寺で引いたダルマは「大吉」だった。
(2011/08/18撮影)
#04
#05
#06
#07

 「神仏を訪ねて」にて平成9年(1997年)に愛宕神社が大改築されたことが分り、過去に撮った写真を探してみたら1年後の1998年8月に撮ったものが見つかった。残念ながら大改築前の写真は見つからなかったが、二重構造の外側の祠が真新しいことは判る写真である。この時は「社神宕愛」の額は未だ無い。
(1998/08/09撮影)
#08

 そしてこれが2000年の「竹まつり」で撮ったもの。なぜか上半分のみという半端な撮影なのだが「社神宕愛」の額が取り付けられたことが判り、千社札が未だ貼られる前の状態である。
(2000/05/03撮影)
#09

 その他、減ったダルマを撮った記憶が有るはずなのだが探すには数時間を要するのでまたの機会としたい。

 竹小時代に通学路だったルートを徒歩で辿ってみた。現在の町並み保存地区から地蔵堂方面へ曲がって児玉商店先のT字路を右折、桜の木がはみ出す塀がある路地を抜け、タバコ屋を左折すると竹小の校門がある。当時は石畳などはなく、アスファルトかコンクリートのかまぼこ状の路面。木の電柱ごとにジャンケンして負けたら全員のランドセルを持つのが下校時の遊びだった。当時の痕跡はほぼ消滅しており、見覚えの有るのは児玉商店の壁に残っていた消火器、桜の木がある塀、タバコ屋のコンクリート塀ぐらいである。その通学路途中を容赦なく横切る県道ができたことで、実際に歩いてみると田ノ浦と田中エリアの記憶も切り刻まれてしまったようである。地蔵町や田中の地名は廃止され、田ノ浦という地名も現在は違うエリアに使われている。

それでは辿った時の写真を抜粋する。(2020/08/02撮影)
地蔵堂から長生寺への路地前を通り、50m程度歩くと児玉商店(跡)がある。ここは駄菓子屋も兼ねた食料品と日用品が売られていた。10円を入れて自分で作る綿菓子機があり、嘗めるとニッケの味がする紙や、紙のような薄い石鹸をよく買っていた。
#03

 これが当時から残されている地蔵区の消火器箱だ。竹原町内にはこのような旧町名が書かれた消火器箱がそのまま多数残されている。新町区、上市・下市区など、地元の年配者とは旧地名でないと場所の話が通じない。
#01
#02

 このミラーを右折すると竹小の校門へ近いルートとなる。真っ直ぐ行くと体育館(当時は講堂)への門前近くに出る。
#04

 右折すると当時の路面や塀などの痕跡が未だ残っている。右側は殆ど田んぼで1,2件の戸建が有ったが現在は激変していた。
#05

 ここが桜の木がはみ出していた塀だ。塀自体は過去に何度か訪れた時に真新しい時期が有ったので作り直されたようだ。
#06

 この先が県道で分断されている。
#07

 県道を横断するとその先に懐かしいコンクリートの塀がある。店名は忘れてしまったが、旧ホームページのどこかに20年以上前の写真を載せたはず。
#08

 このタバコ屋の前を通っているのが当時から在る田ノ浦川沿いの道である。これを横断すると校庭の隅に置かれた蒸気機関車の動輪が見えるのだが、私の竹小時代はここに百葉箱だけがあった気がする。
#09

 横断して川沿いを左折すれば週番が待ち構えていた校門に到着する。ハンカチは有るか?体操服は??忘れたら遅刻までに取りに帰るか、間に合わなければ男子はブリーフ一丁で体育授業に出されるかだった。色ひよこやゼニガメが校門前で売られていたのを思い出す。
#10
#11

 このような徒歩によるルート巡りも今後予定している。例えば本川通商店街とか、宮原、中通、東野などである。

 本日、4月からパンクしたまま放置していた自転車の修理で中通にある自転車店を訪れたのだが、空気が完全に抜けないもののチューブが劣化していた。修理代は何と4000円ぐらいとの事。現在は殆どが徒歩か自動車での生活なのだが、小回りの利く自転車でしか行けないところも多数あるので修理に踏み切ったのであった。
 その自転車修理ができる店の近くに有ったのが「花いち古書センター」である。ここは元々「ザ・シューズ」という靴店だったのだが、いつのまにか「花いち古書センター」となり、現在はテナント募集の空き店舗となっていた。古書センターの中に入った事は無いのだが、昨年か少し前に店内に有ったものであろう数台のアーケードゲームが店頭に出されていた。その後、看板が白く塗りつぶされて現在に至っている。
(2020/08/18撮影)
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08

 撮りだめた写真を全て探せば多数の「花いち」が見つかるかもしれないが、最近のものでは近くに出来た「コスモス」のほうに気が取られて撮っていなかったようである。また、どうしてここに在るのか「文化と竹の公園都市 竹原」の石碑がある花壇にも目が奪われたのかもしれない。
#09
#10
#11

 仕方が無いので「花いち」となる前の店舗「ザ・シューズ」と出来た当時の「花いち」の写真で我慢して頂きたい。別途、探して見つかれば追加としたい。どれも自動車走行中に撮ったせいでフレームから欠けてしまっているが「花いち」の看板にある巨大矢印や丸い水銀灯は靴店時代から存在していたことが分る。

花いち古書センター(2004/05/03撮影)
#15
#16

ザ・シューズ(1997/08/01撮影)
#12#13





(2003/01/04撮影)
#14

 毎年お盆の期間中、照蓮寺の境内で盆踊り会が開催されていたのだが、今年はどうだったのか確認を忘れてしまった。たぶんコロナ対応で中止となったと思われるが歩いて5分で行けるのに寄ってみるべきだった。これは8月2日に撮った照蓮寺の様子だが、やぐらを組む前だったのか境内はセミの鳴き声だけで閑散としていた。長年、訪れられなかった季節外れ?の大花火大会も中止。来年はどうなるのだろうか・・・。
 今回は胡堂側から上がったので裏門から正門への順となった。いつもなら裏門に「盆踊り会」の予告貼り紙が有るのだがベニヤ板のみ。(2020/08/02撮影)
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10



 以下は2015年の夏8月9日から14日の開催当日までに撮っていた「盆踊り会」の抜粋である。9日には既にやぐらが組まれていた。
#11

 14日の夕方に訪れると既に提灯が下げられて、やぐらには太鼓と紅白幕が垂れていた。
#15
#12
#13

 18時半からお経、19時から盆踊りが始まって50人程度訪れていた。20時半ぐらいまで滞在したのだが期待していた村田英雄の「竹原音頭」が流れなかったので帰った。
#14

 ちなみに東野小での盆踊り(2011年撮影)で撮った「竹原音頭」が動画サイトへ上げてあるので見て欲しい。来年以後に照蓮寺の盆踊りで「竹原音頭」が流れたなら踊りに参加してみたい。

↑このページのトップヘ