安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年10月

 敷地内に神社がある「道の駅たけはら」は施設しとてはユニークなのではと思う。その神社の元々の場所は旧竹原警察署隣りの田ノ浦川沿いに在ったもので、岡本芸南堂薬局の裏であった。下の写真は1999年頃のものでハイライトを施した橋の向こうに見える祠や地蔵様が現在の場所へ移設されものである。当時は数基の祠と数えられない程の御地蔵様が20坪の敷地に詰め込まれていた。
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 以下が現在の橋から写真である。芸南堂が解体された場所に川向こう側に在った消防庫や火の見櫓が移転。
小さく見える「たまゆら」のパネル裏辺りが神社が在った場所であり、道の駅の工事前には新設の鳥居がある石塀内へと移設されていた。
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 これまでは神社の前を通り過ぎるだけで境内内へは入った事が一度も無かったが、鳥居の神社名を眺めただけでは納まらず観光客のフリをして突入。一眼カメラを出して撮ってみたのがこれらである。(2020/10/20撮影)
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 神社の名前は「正一位玉福神社」。鳥居は真新しいが額は当時のままにしては朽ち方が足らなさすぎる。新調されたにしては古すぎるので文字部分以外を磨いたような感じがする。
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 多用している「たけはらの神仏を訪ねて」によると移設前の写真が掲載されていた。俗称は「たまふくさん」。丸太づくりの鳥居から正面には小さな祠が数基、左には大きな祠、右側に地蔵様が雛壇状に置かれていた。この辺りの旧地名は「京栄町」だったことも書かれていた。

 真新しい鳥居をくぐると目の前に大きな新社殿があり、鈴はあるが賽銭箱が見当たらない。移設前には社殿は無く、格子から中を覗くと何も置かれていなかった。

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 社殿から右を振り向くと大きな地蔵様が祀られている祠で、これは移設前からのもののようだった。
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 ここで賽銭を入れて「特別な撮影許可を頂きます」と地蔵様へお願いした。
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 保存地区などの御地蔵様同様に「おん かかかび さんま えい そわか」がある。
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 その隣奥には移設前と同様にお地蔵様の雛壇。
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 社殿裏には、元々は鳥居正面にあった複数の祠。扉は閉じたままだったのでご本尊は拝めなかった。
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 社殿の裏となっているが、神社の構造としては社殿(本殿)越しの向こうにご本尊の祠があるので問題なし。
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 これが移設前の将正一位玉福神社でデジカメではなくフィルム撮影だったようである。(1997/08撮影)
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 以下は道の駅ができる前に移設された確証となる写真である。(2008/12/28撮影)

 移設前の場所には鳥居、祠や地蔵様は無くなっていた。
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 新築の本殿には移設後の祠が見えている。
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 この神社、「正一位」であることから神様の位は最高位である。密かなパワースポットとなっているとの情報があったが本当だろうか・・・。これまで拝んでいる人を見掛けたことは無かった。

 2003年夏季休暇の帰省写真のうち、枚数がかなり多いので1/3を掲載。


・場所を教わっていた知人からハマショー生家写真が届く
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・柿井商店から宮原方面、中電の中通変電所
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・宮原の県営住宅
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・その川向こうの尾道酒店
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・・の辺りから周辺
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・中通の通信中継塔
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・その近くの長太
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・そこからの朝日山と安田医院(新)
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・松田石油GS
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・ファミマ下野町店の交差点
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・・を曲がってカフェテリア・マイウェイ
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・・そこから見た安田歯科
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・・マイウェイ向いの竹原農協下野支店
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・マイウェイと併設するBon-bon
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・そのはす向いの安田歯科胃腸科(旧)、介護施設さくらとして再利用
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・Bon-bon裏の小川沿い
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・忠海港の駐車場から
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・・その駐車場近くの旅館長寿園
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・・その近くのアヲハタ
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・忠海国道185暗渠へ流れ出る川
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・的場のキッチンママから
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・的場海水浴場へ
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・竹の駅へ
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・その向いの安田歯科新築工事中
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・東野の長善寺
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・西野町の竹原ロイヤルホテル跡
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・仁賀へ
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・仁賀の消防団移動中
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・賀茂川荘
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・パルティフジの夏祭り
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・野外映画シアター、アンパンマン上映゛ったかも
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・祭りが終わって帰路へ
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以上。

 一雨ごとに寒さが増して松屋の二重焼が食べたくなる季節が訪れたようだ。本川橋傍から「道の駅たけはら」の裏辺りへと移転した新しい「松屋」では未だ二重焼が買えていない。暑い夏季の間は長期の閉店のようで、冬季の帰省時には即売り切れでとなり長らく買えず仕舞いだった。このところ田ノ浦地区を色々と散策しているとどうやら営業が再開したようで、旧店舗と同様に店頭に客が訪れているのを見る機会が多くなってきた。(2020/10/20撮影)

 現状の価格は二重焼1個130円、計り売りの餡子が100g150円である。旧店舗時は10時過ぎに開店で30分程度の焼きあがり待ち、そして餡子が無くなり次第閉店であったが、現在の営業開始時間は未だ調べていない。ちなみに下の様子は11時半頃である。
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 店頭の駐車スペースは軽2台程度。このところ何度か店舗付近を通り過ぎたが自動車が途切れることなく入れ替わっているようだ。自転車で散策中だったこの時には二重焼を買いに寄ってみたかったが、既に客が3人焼き上がり待ちで窓口に張り付いていたのであきらめた。
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 そして30分後、別の客1人が窓口で待っているのだが、なぜか自動車は2台。車内でも待ち客が居たようだ。少し待てば買えるかも・・・。
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 ・・・と左側を見たら、松屋の待ち客専用駐車場なのか更に3台の自動車が置かれていた。
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 なお、この辺りの地元の年配者とはなぜか「松屋」では話が通じず店主の本名に会話が替えられてしまうことが多い。また「二重焼」とは呼ばずに「太鼓饅頭」や「大判焼」などと人と世代によって色々と呼び名が違っている。更に拘りもあるようで一般的な「今川焼」とは呼ばれたくないようで「餡が違うけんのぉ~」とのこと。しかし「二重焼」の「二重」とは一体何が二重なのだろうか?初めて訪れる人は「ふたえやき」と読むかもしれないし、次回、タイミングよく買えたら店主に由来も訊いてみて本ブログに掲載したい。

 2003年の帰省は8月8日~18日だったようだ。その帰省前7月に弟からメールで届いていた竹原写真を全て紹介する。

・住吉まつり(準備中)
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・峠下畜産牧場(福田町)
うし1
うし2
・二窓踏切辺りの神社
おみや1
おみや2
おみや3
おみや4
おみや5
・忠海駅のキオスク?
キヨスク
・R185みちばた海道マップ
しまなみ、1
しまなみ2
しまなみ3
・竹原七夕まつり(あいふる316)
たけはら七夕まつり2
たけはら七夕まつり3
たけはら七夕まつり4
・電発西門から
でんぱつ西門から
・忠海駅舎
トライアスロン
・ニチイ跡
ニチイ跡
・忠海、ふくはま
ふくはま
・パルティのツタヤがバッハの頃
フジの道
フジの道2
・安芸長浜駅裏のビオトープ(ふれあい公園)、現在は従業員駐車場となった
ふれあい公園1
ふれあい公園2
ふれあい公園3
ふれあい公園4
・あいふるの楽市楽座
楽天1
楽天2
・忠海の楠神社
看板
・礒宮の祇園祭り
祇園祭
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祇園祭4
祇園祭5
祇園祭6
祇園祭7
祇園祭8
祇園祭9
祇園祭看板
・宮床
宮床海岸
・芸南学園の工事
芸南1
芸南2
芸南3
・忠海町床浦の賀儀城跡
山
山2
・あの田ノ浦川沿いのセメントアートだと思う。
七福神
・小吹からの海
小吹からの海
・床浦神社
床浦神社1
床浦神社2
・石風呂(宮床海岸の東端)
石風呂
・忠海東小
東小
・忠海の楠神社
楠木神社1
楠木神社2
楠木神社3
楠木神社4
・二窓漁港
二窓漁港1
二窓漁港2
二窓方面からの忠海港

以上。

 川崎フードモデルが「跡」になっていたことを知ったのはフェリー乗り場の駐車場から的場公園へ行く途中だった。フェリー乗り場の東屋では少しもくつろげなかったので海水浴の季節がとっくに去った的場公園ならば・・・と自転車で公園の中まで入ってみた。(2020/10/18撮影)
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 公園内は閑散としており、これならば次回から自動車で訪れて砂浜に折り畳み椅子を置いて・・・・
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・・・と防潮堤前は16時前なのに自動車だらけで自転車さえ置けそうなスペースが無い!!砂浜を覗くまでもなく、ここもくつろげない事がスグに分かった。
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 仕方なく渚橋側から公園の裏道(自動車では出られない)を通って国道へ戻ることにした。
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 その途中に10年ぐらい前に海水浴客がピークの際、警備員からよく「あっちへ置きんさい」と案内されていた臨時駐車場がまだ残っていた。
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 公園の遊具では親子連れが遊んでいたが、10年前とは違う遊具が置かれているようだった。微かに覚えていたコンクリート製のトンネル遊具はどこにも見当たらなかった。
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 国道へ戻ると芸陽バス停「的場」がある。
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 その向いは2018年の豪雨災害で崩れた場所付近で、当時は流れた土砂で荒れていた高崎の旧道への上り坂もきれいに修復されていた。現在は砂防ダムの工事中のようで、平日はダンプの出入りが時々ある。崩れる前は国道への出る時に見通しが悪くて交通的にも危険な場所だった。
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 そしてここが海水浴で的場を訪れる途中にアクアラングやボート用具が多数展示されているのを興味津々で覗いていた竹原マリン跡。閉店されてからかなりの年月が経過しており正面の看板は完全に消滅。
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 しかしサイドには色褪せて殆ど読めなくなった看板が残っていた。
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 肉眼では分からなかったがフォトショで画像補正してみるとこのように文字やロゴがクッキリ。営業されていた当時にボンベに空気を注入する設備が店頭に置かれていたのを思い出した。まるで自転車屋店頭の空気入れのような感じでボンベへ「シュー」と空気を注入していたのを何度か目撃している。
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 さて、的場も晩秋になれば寒くて長くは砂浜に居られない。帰郷したらまず初めにやりたかった「的場の砂浜でバーベキュー」は公園内禁止になって叶わぬ夢となった。今では吉名の山陽煉瓦先に有る「バーベキューハウス宗越」が気になっている。

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