安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年04月

 以前のブログ記事「上成井橋 橋梁災害復旧工事」のその後の経過である。工事名:「市道成井1号線ほか1河川災害復旧工事(その2)」。1月に成井土手を走っていた時にこの工事を知った時には、橋桁中央が切断されていたのだが、成井土手の満開の桜が散り始めた4月上旬では、新たな橋脚の姿を見ることができた。(2021/04/05撮影)
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 本橋の河川内の橋脚は2本。2018年豪雨災害で壊れた西側の橋脚が再構築され、施工の為に切断撤去された鉄骨の橋桁を載せ戻した後、道路とガードレールを張る次の段階へ進むようである。
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 東側の橋脚は古いままだが、何れは西側と同様の工事が施工されるのだろうか。
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 以前、この橋は14トン制限で車両が通行できていたのだが、後ちに歩行者専用となり車止めが取り付けられていた。橋脚の修復で再び車両通行可能となるのか、歩行者専用のままとなるのか。歩行者専用であれば、路面の修復にて「通学路注意」が消えるであろう。
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 工事期間は3月31日完了だったが、梅雨入り前までの延長となったのか6月10日完了に更新されていた。賀茂川が恐ろしいほどの濁流となる梅雨の大雨までには完成さておく必要がありそうだ。
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 ちなみに東野町の「水の口橋」でも修復工事が行われているのだが、工事期間は令和4年3月末までとなっていた。

 竹原市にある現在の造り酒屋には、お馴染みの竹鶴酒造、藤井酒造と中尾醸造の3蔵があるのだが、過去には他に前田酒造、佐倉井酒造と賀茂櫻酒造があったことまでは調べていた。これに加えて新たに中通の柿井酒店裏に関西酒造があったことを最近になって知る。それらの場所跡は賀茂櫻酒造以外が特定できているのだが、佐倉井酒造跡は最近更地になり、前田酒造跡の敷地もいつのまにか全域が駐車と更地になっていた。今回はその前田酒造跡について紹介する。(2021/04/11撮影)

 まずは地図上での場所だが、Googleマップで示した黒浜の黄色部分が前田酒造であった。
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 90年代は酒造蔵跡が残されていたが後ちに解体されて更地から駐車場に、残っていた本宅も訪れなかったうちに更地になっていた。(Google Streetの2015年8月撮影では、駐車場は未だ更地の状態で本宅も残っていた)
 その酒造蔵跡の更地が駐車場になったのがこのフェンス内である。(2021/04/11撮影)
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 2015年時点では未だ残っていた本宅もいつのまにか更地に。「犬猫のフン お断り」の看板向こうに車庫と本宅があった。
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 これは1999年頃の風情のある本宅である。左手前のシャッターが車庫で、この手前に長い酒造蔵があったのを微かに憶えているのだが撮った写真はない。(1999/01/03撮影)
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 気になるのが残る賀茂櫻酒造跡である。東野町のどこかにあったことまでしか分かっていない。賀茂櫻酒造の探索を開始する。

 4月6日の的場が肌寒く曇天だったことから、朝方から快晴となった日曜日の午後に再び的場の突堤でマッタリとくつろぐことにした。時おり風が吹くものの暖かな陽射しを浴びながら折り畳み椅子に座って約2時間が経過。沖を行き来するフェリーや漁船、砂浜で遊ぶ家族連れを眺めながら、ローソンで買ったチョコモナカと菓子をつまんでスマホ記事をスクロール。(2021/04/11撮影)

 公園内に入ると砂浜前の堤防沿いには車がビッシリ。正面には空きが無かったので、比較的すいていた広大施設側の松の木の下へ駐車。常時積んでいる折り畳み椅子を西側の突堤に広げて座った。これまでよりは釣り客も多く、東突堤から西突堤を行き来する散歩も数人いた。
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 前回撮った写真は寒々としていたが、今回は阿波島や高崎洞門も暖かさが伝わってくる。
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 沖には竹原港からウサギ島を行き来する観光船。
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 砂浜では波打ち際ではしゃぐ子供や砂の城。
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 前回は誰一人いない砂浜だったが、家族連れやカップルで賑わっていた。
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 砂浜にテントやタープがあるものの、10年前のGW帰省で見たようなバーベキュー客はいないようだ。
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 少々重いがナフコで買ったキャンプ用折り畳み椅子(このナフコ製廉価版)の座り心地の良さ。右の肘置きにはゆったりサイズのカップホルダーがあるので特大サイズのペットボトルでも挿せる。ブランド品よりも安価な同型グレーのナフコ製のため、キャリーバッグが省かれて無いので持ち歩きが不便。自宅から的場まで歩いても30数分、次回は缶ビールでも飲みながら的場で過ごしてみたいのだが、背中に背負うにはキャリーバッグが必須だったようだ。

 先週の土曜日、弟から「今、福山時計自動車博物館に行いきょうる、プラモデル有ったら買っとこうか?」とのメールが届いたので「マツダのバタンコT2000が有ればお願い。」と返信。その夕方、これを買って来てくれた。(2021/04/10購入)
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 このプラモデルを買うのは2度目である。私が初めて新車トレノAE91(MT)を買って1000kmのルートを自動車で竹原帰省した際、竹原から瀬戸大橋経由で金毘羅さんまでドライブ途中に立ち寄った「福山時計自動車博物館」で偶然見付けて買ったのがマツダのバタンコ T2000のプラモデルであった。しかし、買ってはみたものの当然なのだが未塗装品で未組立て、そこで職場にいた仲の良い自動車模型好きの同僚へ頼んで忠実に塗装をして組み立てて貰った経緯がある。だが、その模型は徐々に壊れ始め、引っ越しを繰り返した際に廃棄してしまったようだ。あの時、添付のデカール(シール)「瀬木木材」を貼ってもらわずに「森近製材」を描いてもらっていたら、大切に保管して旧HPにも載せていたに違いない。未だデジカメが発明される前の遠い昔の想い出話しではある。
 
 ではデジカメなど無かった時代だったので改めてプラモデルの箱と中身を撮って商会する。上部は既に掲載したので先ずはサイドだが、横の左右どちらも同じだった。
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 縦の左右はT2000の説明が日英で書かれていた。その説明を始めて読んでみて驚いたのが「東洋工業」が元は「東洋コルク工業」だったということ。
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 その「東洋コルク工業」は竹原市東野町に本社工場がある「東洋コルク株式会社」と関係が有るのだろうか・・・。平成4年に武田のプラッシー工場が東洋コルクになった経緯があり、工場玄関前の賀茂川に架かる橋名は現在も「武田橋」のままとなっている。(2012/01/02撮影)
20120102
(2010/01/02撮影)
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 関係の有無はこの記事では置いといて箱の中身はこうである。開けてみると「福山時計自動車博物館」のパンフレットとステッカー(販売品だった)も一緒に入れてくれていた。
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 まだ内袋は開けないが中身はこのようなものが入っていた。92年頃に買った時の箱内もこうだったかは組立てと塗装を自分でしなかったので憶えていない。
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 その模型好きの同僚にはもう会えないので自力で塗装と組立てをするしかないのだが、ネットで探してみると非常に参考になるブログが見つかった。青緑色のスプレーを探してシューッと塗るぐらいで良いと思っていたのに・・気の遠くなるような工程だったことに驚いたのだが、同僚に頼んだ際もクロムメッキのトリムやサビ加減まで再現してくれていたので、あの時はここまでディテールな組立てをしてくれていたようだ。マツダの他にダイハツの三輪も一緒に頼んでいたのだが一週間で仕上がっていたのには驚きである。衛星放送の「名車再生」や「カーSOS」並みの苦労が有ったのであろう。

 そのマツダのバタンコは竹原では「森近製材」の車両を撮ったこれらの写真がある。イザ探すとなると数時間かかるのだが、これまで「蔵出し写真」をしておいたことで「バタンコ」を検索するだけで良くなった。
19980808
20000503a
20000503b
20070503c
20160725

 だが・・・・組み立てたとしても実車両の通りのウェザリング加工は私には無理そうだ。先ずはタミヤの塗料を竹原では何処で買えばよいのか・・・今も西藤模型店が在れば試し塗りの試行錯誤がスグできたのに・・・・。

 自宅で昼食を済ませた後に今週も二重焼を買いに出かけたのだが、店頭辺りに停められた自動車が5台に立ち待ち客が5,6人見えたので諦めて「道の駅」へ行くと入口が何だか賑やか。先日の広島FM「アヤノンスタイル笹原綾乃」で聴いていたリニューアル1周年イベントのまっ最中だった。スペースアンソロジーのキッチンカーや露店などのフードコーナーがあり、その中に私の大好物「たけのこ天ぷら」を見つけたので買おうとしたら観光客に先を越され、私と同じ注文「たけのこ天ぷらをひとつ・・・」「たけのこが全部売り切れてしまったので、すいませ~ん」・・・・傍に寄る前にガックリ。(2021/04/11撮影)
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 せっかく外に出たので本川通り商店街を抜けて「あいふる通り」から竹原駅向いの「あわむら商店」へ。その途中で「磯っ子」の前に新たな「たまゆら」マンホール蓋がハメられているのを発見。(2021/04/11撮影)
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 これは「桜田麻音」版で、私の知る限りではこれが「たまゆら」マンホール蓋の第2弾かと思われる。(竹原市水道課のPDF資料を見るとその通りであった)
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 以前に撮ったものは「沢渡楓」版。これはシオタ跡前のものだったか?いや、これはモード大岡跡の駐車場前のものだろうか。末広堂前のは左右に水道栓があったはず。第2弾と比較すると第1弾には「たけはら」の文字がない。(2019/10/20撮影)
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 メインキャラクターは4人+1人だったので、残る3名の「たまゆら」マンホール蓋も何れは製造されるのだろうか・・・。その前に「かぐや姫」マンホール蓋のカラー版を路上では未だ見つけられていない。そのような事を色々と考えていたら「あわむら商店」へ「タケハラ醤油」を買いに行くことを忘れたまま自宅へ戻っていた。

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