私が竹原の写真を撮り始めた1996年頃から殆ど変っていないのが「大衆酒場」の看板が残されたままのこの建物である。場所は「あいふる」の三叉路の角(オリオンのはす向かい)なのだが、この昭和レトロな看板がとても気になっている存在のひとつなのである。(2021/06/13撮影)
店舗名は看板そのままの「大衆酒場」ではないだろう。 昭和55年当時の三叉路角の区画地図を以下に示すが、この「大衆酒場」の看板がある店舗は「さかき酒場」であった。
過去に撮った「大衆酒場」の写真を探すと、現在は紙で覆われている看板が「大衆酒場さかき(おでん)」であり、地図の通り「さかき」であったことがわかった。(2010/04/30撮影)
その隣にも昭和レトロ感が漂う「旅館よしつね」があったが、現在は一般住宅になっている。(2013/12/31撮影)
ちなみに以下は2003年頃だが、この当時は竹原市の宿泊施設一覧には「旅館よしね」と「万惣旅館」が載せられていたのを憶えいる。右隣りのクリーニング店は既に更地(売地)になっていた。(2003/04/30撮影)
現在、解体中のード大岡は表の壁とシャッターを残すのみとなった。あの味わい深い「モード大岡」のシャッターも末広堂側のメンズ館跡を残すのみとなるであろう。竹原市内には他にも昭和レトロな看板やシャッターが多数残っており、今後も可能な限りそれらの変化を写真に収めておきたい。
店舗名は看板そのままの「大衆酒場」ではないだろう。 昭和55年当時の三叉路角の区画地図を以下に示すが、この「大衆酒場」の看板がある店舗は「さかき酒場」であった。
過去に撮った「大衆酒場」の写真を探すと、現在は紙で覆われている看板が「大衆酒場さかき(おでん)」であり、地図の通り「さかき」であったことがわかった。(2010/04/30撮影)
その隣にも昭和レトロ感が漂う「旅館よしつね」があったが、現在は一般住宅になっている。(2013/12/31撮影)
ちなみに以下は2003年頃だが、この当時は竹原市の宿泊施設一覧には「旅館よしね」と「万惣旅館」が載せられていたのを憶えいる。右隣りのクリーニング店は既に更地(売地)になっていた。(2003/04/30撮影)
現在、解体中のード大岡は表の壁とシャッターを残すのみとなった。あの味わい深い「モード大岡」のシャッターも末広堂側のメンズ館跡を残すのみとなるであろう。竹原市内には他にも昭和レトロな看板やシャッターが多数残っており、今後も可能な限りそれらの変化を写真に収めておきたい。