安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年10月

 毎年デザインが変っている礒宮八幡神社の「七五三詣」ポスター。昨年はカラー写真タイプだったが、今年はシンプルなイラストタイプであった。(2021/10/24撮影)

 これが昨年のカラー写真ポスター。
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 町並み保存地区を散策していたら「そば處かんの」に貼られていた礒宮八幡神社の七五三詣ポスターを見つけた。
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 これと同じイラストが描かれたポスターを過去に見た気もするが、フリー素材なのかそれとも礒宮専属?のイラストレーターによるものか。
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 ならば礒宮の掲示板はどのようなポスターが貼られているのだろうか。
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 幟は昨年と同じものだが、毎年のポスターに書かれている「七五三詣」とは少々異なっていて「七五三詣」になっていることに気が付いた。「詣」そのものは「もうで」だが、「詣り」は「まいり」と読むようで、お寺や墓へは「参り」を使い、神社へは「詣り」を使うとのことだが、ならば「参」がある「参拝」はどちら?これは社寺まとめて拝む行為とのことでややこしい。
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 礒宮の掲示板にもイラストタイプのポスターが貼ってある。
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 「かんの」に貼られていたポスターとは一部異なり、「十一月一日より」が「コロナウイルス感染予防「密」を避けるため早目の予約を受けます」と毛筆の直筆にて書かれていた。
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 過去のポスターを何種類か撮ってはいるのだが、「蔵出し写真」に「七五三」のキャプションを付けていなかったので見付けられず。旧HPにて2008年版のみ探し出せたのがこれ。(2008/12/30撮影、合田商店雨戸)
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 このポスター2枚を比べてみたら微妙に違っているような・・・もしかして直書きなのだろうか?画像処理にて2枚を透かしてみたら朱書きの「七五三」が重ならず、1枚ごとに一部分は直書きの可能性が高い。
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 ついでに今年もポスターも比較してみた。
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 蘭島閣から竹原に戻って町並み保存地区などを散策。これまで土日でも閑散としていた各路地や通りには多くの観光客の姿、憧憬広場では着物姿のモデル撮影、公式ガイドの案内による外国人観光客なども見られ、少々寒い秋風が吹いてはいたが、何となく安堵の気分で町並みを散策することができた。
 その最中、新たな掲示物?を見つけた。「道の駅たけはら」から街並み保存地区へのアプローチ・ロードに旧町名が書かれたプレートが取り付けられていた。(2021/10/24撮影)

 先ずは「松屋二重焼」から県道75号を渡ったポイントから始まる「栄町(さかえまち)通り」のプレート。
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 もうひとつが、その西隣の路地である「享保町(きょうほまち)通り」のプレート・・・あれっ?なぜか「」が抜けて「享保通り」になっている。
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 ならば他の「✕✕通り」や「✕✕小路」にもプレートが有るかもしれないと、全路地の始点終点を探し回ったが見当たらず。楠神社に設置されていた以下の地図の最上部に描かれている「栄町通り」と「享保(町)通り」のみプレートが設置されているようであった。
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 既にgoogleマップには各旧町名に因んだ路地名が書かれているのだが、この旧町名の掲示パネルが掲げられたことは実に嬉しい。昭和生まれ同士の会話では「二葉のパン屋」が在った「享保町」とか「袋尻商店」が在った「栄町」のほうが直感的に分かり易いのだ。
 あれっ?確か「袋尻商店」は「京栄区」だったはずだが、上市や下市のような区画表記なら「京栄」で、その「通り」を表す場合には「栄町」となるのだろうか?そもそも「✕✕通り」という表現・表記を当時はしていなかったし、敢えて「旧」が付加されていることから新たに作られた「通り」名ではなさそうだ。これまで「掛町」とか「久保町」、「田中」とか「鳥羽町」とかのナニガシと呼んでいたが、地図に描かれていた旧町名になぜか違和感があったのはこの「通り」が付いていたからであったようだ。
 以上、プレートをネタに思い付くまま書いてみたが、それはそれとして、せっかくの旧町名による「通り」名のプレート設置、「栄町通り」と「享保通り」以外にも順次設置をして欲しい。

 本日は竹原書院図書館で見つけたリーフレット「にゃんこいろいろ浮世絵づくし」のイベントを訪れた。場所呉市下蒲刈の蘭島閣美術館、本来ならば無料開放となる11月3日(祝)に出かけるべきだなのが、来訪者混雑によるコロナ感染を避けるために敢えて本日にしていた。(2021/10/24撮影)

 さて、ここ下蒲刈が何で竹原と関連があるのか?であるが、蘭島閣(らんとうかく)美術館とその裏にある白雪楼(はくせつろう)に関係が有るのである。どちらも竹原アニメ「たまゆら」(OVA版)の第2話に登場しているのだが、ただ登場したというだけでブログ・カテゴリを「番外編」にするのなら、須波・尾道や呉も同様に混ぜるが如く竹原成分が薄まってしまうのでは・・・と言われてしまうだろう。だが、この白雪楼は頼家ゆかりの茶室であり、平成5年に竹原からここへ移築されたという経緯がある。これだけでも十分に「番外編」にしてもよかろう。
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 蒲刈を訪れるのは今回が初めて。国道185号をひたすら仁方まで小一時間、安芸灘大橋の料金所で570円(軽自動車)を支払って下蒲刈へ到着。
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 道なりに進むとアスファルト舗装から石畳路へと変り、無料駐車場がある下蒲刈市民センターに車を停めた。
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 イベント会場は駐車場(下地図の現在地)から260m戻った蘭島閣美術館。(赤矢印)
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 ここが蘭島閣美術館の玄関である。
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 本イベントは蘭島閣美術館の開館30周年記念特別展。
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 入館料は大人500円で夫婦2枚購入。何と!安芸灘大橋を利用した領収証との交換で、戻り時に使える回数券1枚が貰えた。館内エリアは撮影禁止なので撮った写真は無いが、全展示画をゆっくりと閲覧して1時間程度はかかったかも。2階の展示室の様子は「たまゆら」(OVA)そのままであった。
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 続いて訪れたのが蘭島閣美術館の裏山にある白雪楼である。
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 ここを訪れたのは初めてなのに懐かしいのは、竹原から移設されたという事前知識によるのだろうか。
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  元々沼隈(福山市)の豪農山路家が邸内に建てた学問所「奇好亭」で、明治期に頼春風の子孫である竹原頼家によって竹原に移設し「留春居」としていたものを、下蒲刈町が無償で譲り受けたもの。(Wikipwdia"三之瀬"より)
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 入場料は大人400円。抹茶&茶菓子も含まれている。この館内は撮影自由であった。
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 それでは2階へ。
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 ここだ!天井を見ながら畳でゴロゴロしたいけど監視カメラが睨んでいる。
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 見上げているとくらくらと目まいしそう。壁には超詳細な解説の貼り紙か有ったが老眼鏡が無いと読めない。
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 窓からの景色と天井を満喫したので1階へ。
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 ここが1階の座敷。赤い敷物に座って茶菓子と抹茶で一息つける。
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 これが茶菓子と抹茶。これだけでも400円以上しそう。白雪楼についての説明を受けながら、何だか妙に懐かしい舌触りと甘さの茶菓子を口に入れ、抹茶を啜るが・・・久しぶりだった正座は数分間で足がしびれた。
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 この座敷での見所はこの可動壁。これを開けると離れの茶室につながっている。 
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 抹茶を呑み終えて外へ。この建物は竹原の何処に建っていたのだろうか。竹原推しのテレビ局であるテレビ東京の旅番組か、牧瀬里穂がアシスタントの「百年名家」か何かで移築の話が出たのは遠い過去。
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 石段を下りて昼食へ。
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 駐車場近くに「お好み焼」屋があったが満席で外待ち客が数人。となりの無料休憩所で旅本を探したところ、近くにカフェが載っていたが土日祝日はクローズだった。ならば下蒲刈島を一周すれば何処かにレストランぐらいあるだろうと・・・どこまで行っても見つからず元に戻ってきてしまった。そのカフェすら見つからず、「お好み焼」屋へは更に待ち客がたむろ・・・・。仕方なく安芸灘大橋を渡って竹原方面へ向かった。だが、国道沿いのカフェは駐車場満車や土日クローズの店ばかり。結局、安浦の「うどん処やまき醤油蔵」にて遅いランチとなった。

 高崎町に住まわれている方から「頓挫した阿波島のリゾート地化」の逸話を聞けたのだが、Wikipediaの「阿波島」やネット検索ではそれらしき情報なし。その確証が未だ得られない最中、別の方から更なる逸話が加わった。それは「阿波島はナタリーになる予定だった」との驚くべき情報なのである。
 この「ナタリー」とは1970年代~90年代まで宮島の対岸辺りにあった遊園施設「広島ナタリー」のことで、阿波島での立地が消えて広島市へと移されたのか、広島ナタリー最盛期に阿波島をナタリーの関連リゾート施設にする計画だったのかまでは聴けていない。
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 もしも阿波島のリゾート地化が実現していたなら、その名称は「阿波島ナタリー」とか「竹原ナタリー」になっていただろう。島のリゾート地なので「阿波島リゾート・アイランド」のほうが語呂が良さそうだが、これに「ナタリー」を付け足すと長すぎるし・・・。思いは駆け巡るが、私のような島へと渡る手段が無い者にとっては対岸から眺めることしかできない。

今週の水曜日、自治会(月番)へ「えびすじんじゃの寄付」を出して御札と紅白餅を頂いた。御札は昨年のものが未だ柱に残っているのでいずれ貼り替えるが、紅白餅はカビが生える前にと本日ゼンザイにした。(2021/10/22撮影)
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 上市区にある「胡堂」の祭礼がコロナで中止となったかは未確認だが、昨日まで中通地区に注連縄(しめなわ)が張られていたのを初めて目撃。中通地区に祭礼が行われるような神社があっただろうか?もしかしたら中通の中程に在るこの神社だろうか?(2021/10/22撮影)
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 何と!!鳥居の額には「神社」と彫られている。毎年の寄付で貰っている御札は「大神」で「神社」とは書かれていない。もしかして寄付していたのは中通地区の「神社」へのものだったのだろうか。回覧板の寄付願いチラシを細かく読んでいなかったし、そもそも「胡堂」を「神社」として意識していなかったので益々混乱してしまった。

 混乱整理の為、先ずは御札の再確認。朱印の4文字の中には「」があるので「胡堂」の御札として確証あり。
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 「胡堂」の祭礼は上市区全班の持ち回りで行われており、以下は2019年10月の帰省時に行われた祭礼の様子であるが、立てられた幟には「神社」と書かれていることから御札と「」が一致。これによって「胡堂」は中通の「恵美須神社」と同名であることが分った。(2019/10/19撮影)
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 竹原市内の神社仏閣が書かれた『たけはらの神仏を訪ねて』を確認。

胡堂](上市区:町並み保存地区内)
  • 掲載名称:上市 神社(俗名:胡堂)
  • 祭礼:10月3曜日
恵美須神社](中通地区)
  • 掲載名称:中通 神社
  • 祭礼:記載なし
 どちらもに「」とは書かれていないが、祭礼時期は「胡堂」が10月第3週で寄附の時期と一致。だが中通に張られていた注連縄が「恵美須神社」の祭礼用だった可能性は残る。

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 整理した結果だが、「えびす」の漢字表記が曖昧過ぎることから毎年の寄付が「胡堂」へのものだった可能性は100%とは言えず。我が家は上市区の自治体に入っているが、地区を越えての中通地区の神社への寄付だった可能性もありうる。今更、自治会班長へ確認するのもおかしいし、結局、来年の寄付時に月番の方へ訊くか(たぶん分からないままの集金となろう)、回覧板のチラシをよく読むしか無さそうである。

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