安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年02月

 昨日のブログ記事「1983年夏の町並み保存地区」の元動画を youtube にアップロードしたので紹介する。旧アカウントを長らく放置してログインができなくなったことから、新たなアカウントへ全動画を再掲載したので、これらはブログへの写真掲載に加えて竹原で撮った動画を youtube へ追加していくことにした。

 今回アップロードした以下の動画は全動画における20本目と21本目となる。かびていたビデオテープを壊れかけのデッキで再生しながらアナログコピーを数段重ねたことで画質は劣悪だが、私にとっては昭和時代の貴重な竹原映像資料といえよう。
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安芸の小京都 竹原 021 竹原1983夏帰省1
普明閣境内と西方寺石段下にて撮影(昭和58年8月4日)。
  • 普明閣から廊下で通じる籠堂の窓が開け放たれたままで廃墟になっていた
  • 長生寺へ抜ける境内奥には「時かけ」エンドロールのラストで映っている丸太が転がっていた
  • 普明閣境内の土壁塀は無く、有刺鉄線が張られていた
  • ボタンを押すと解説テープが流れる箱は未だ設置されていなかった


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安芸の小京都 竹原 022 竹原1983夏帰省2
弟が運転する車の助手席から適当に車窓を撮影。車内でカセットテープに録った歌謡曲を流し続けていたので著作権に絡むことから音声は全カットした。(忠海町先を越えて三原側から戻るまでの数分間、データ破損による停止状態がある)
  • 1日目は照蓮寺前の十字路からスタート
  • 右折して西田たばこ店前ら宮下お好み焼店を左折
  • 胡堂から笠井邸まで直進(城原邸辺りで石畳が途切れていた)
  • 笠井邸を左折して田中地区を貫通
  • 国道185号へ出て竹原大橋を越えて高崎方面へ
  • 高崎洞門を潜って選果場でUターン
  • 北崎のフェリー乗場へ立ち寄る
  • 扇橋を渡って明神方面へ、灯台をズームアップ
  • 保存地区へ、ほり川や向いのクラブ天国辺りが映っている
  • 石田医院の看板、胡堂を曲がってスタート地点にて終了
  • 2日目は竹原大橋からスタート(00:13:31~
  • 高崎を抜けて福田~長浜方面へ、安芸長浜駅は未だ無い
  • エデンの海Pは崩れる前の山だった
  • 忠海高校~忠海駅の先へ(竹原市境界から先は数分間加画像が停止)
  • 竹原市境界から忠海駅方面へ、忠海から旧竹原警察署を左折
  • 近末の十字路を新町へ右折、大広苑過ぎて終了


 この動画022に映っている乗用車の全てがフェンダーミラーだったのが興味深い。他にも1990年頃にベータからVHSへダビングしておいたものをPCへ取り込んだ動画データが多数有ったのだが、まとめて保存していた大容量ハードディスクを床に落としてしまい機構部故障(カタン・・・カタン・・のシーク音)でどうしても読み取れず。この最古の動画のみ他のメディアにもコピーしておいたのでかろうじて消失は免れた。
 また、ハンディカムで竹原を撮ったHi-8やVHS-Cのテープもムービーカメラ数台と共に数10本が未だ倉庫に有るのだが、これを再生しようにもテープが内部に絡まってグシャグシャになるばかり。その中の一部である20本の動画は youtube 側へ加工&保存していた 001~020 である。
 やれ FAXや印鑑は時代遅れだのとデジタル化を推進する時代となったが、このような保存データ消失事故があれば一瞬で泣き寝入りとなってしまう。ちなみに私が 1982年に就職した会社で最初に携わったのが FAXの開発、2000年からは今で言うガラケーの開発であった。母の実家が昭和の終わりまで印鑑屋であったのも皮肉なものだが、苦い経験上、大切なもだけはアナログ的にも残しておくに限るようである。

 古いVHSビデオテープを整理中に1983年夏の帰省中に撮った最古の竹原動画が見つかった。これを撮った当時はハンディカム等の片手で持って撮れる小型ムービーなどなく、最小でも右肩に載せて右腕で抱えながらファインダーを覗くカメラ部と、タスキ掛けのショルダーバッグ型のベータマックスビデオデッキ録画部(バッテリーはとらやの羊羹1本サイズ)が太いケーブルで接続されたセット(ソニー製)であった。
 関東の会社に就職して1年が経過した1983年春頃の日曜日、社員寮の部屋でテレビを視ていると体中に電撃が走った。突然ブラウン管の画面に「西方寺の石段」や「胡堂の屋根」らしき場所が映されたのである。何かの映画の15秒CMなのだが何が何だか分からなかった。そのCMが放映されるチャンネルと時間帯をビデオデッキで毎日録画し続けた結果、角川映画の「時をかける少女」のロードショウ予告CMであることが分った。
 尾道映画なのにナゼが竹原の懐かし場所が映っているのだろうか。映画紹介番組等でもショート映像が流されたが「尾道三部作」の話ばかりで「竹原」については一切語られず。職場の友人に「あれは竹原で撮られているはず」と言っても全く信じて貰えなかった。
 そこで考えたのが帰省時に「西方寺の石段」や「普明閣の」をビデオに撮って見せて自慢してやろうとアキハバラへショルダー型のカメラ&デッキを買いに出かけた。もちろん高額であり、気が付けば冬のボーナスを使い果たしていた。寮生活だったから衝動買いしても気にならなかったのであろう。そしてその年の夏、一式をスーツケースに入れて新幹線で竹原に帰省して撮りまくったのであった。これが私がホームページ「安芸の小京都」を1996年に始めたきっかけとなった。
 録画メディアはベータ、自宅(寮)部屋内のデッキ2台もソニー製、竹原で撮った動画は10本以上あったが、ソニーと松下のビデオ市場競争でベータが廃れてしまい再生できるデッキが買えず、その後に壊れる寸前にVHSへかろうじでコピーしておいたもの一部を、壊れかけのVHSデッキで再生してパソコンに取り込んだみのである。
 これを機に長年ログインできずに放置していた youtube 旧アカウント(bamboofield432)を新たに作成したアカウント(takehara_photo)へ引っ越して、これまでの写真に加えて新たな竹原の動画もSNSへ掲載することとした。今回見つかった1983年に撮った動画は現在アップロードの前準備中であり、車内に流していた当時のカセットテープ歌謡曲が著作権に触れる為、音声のみ消去中なのだが3時間経過しても完了しない。仕方ないので、その中から興味深いシーン2つを先行して本ブログへ掲載した。

 先ずは照蓮寺十字路から胡堂へ向かう際に映っていた1983年当時の「お好み焼き宮下」である。コカコーラの看板し赤い自販機のある店舗が「宮下」なのだが、現在とは全く違う建物であったことが分る。
#01
同じフレームで撮った現在の下の写真と比べてほしい。古民家風に外観がリフォームされていたことがわかる。
#03
 
 2つ目は町並み保存地区の石畳み。照蓮寺から城原邸の塀を過ぎた辺りで、私が助手席に座っていたシティーターボのタイヤ音「パチパチ・・」が聞こえなくなった。敷きたての石畳の鋭いエッジをタイヤが踏んで鳴っていた音なのだが、どこからか石畳が未だ敷かれていないようで、映像を何度も確認すると現在の「まちなみ竹工房」で石畳が途切れていた。以下の写真で色が変わっている部分がお分かりだろうか。
#02
 同じフレームで撮った現在の写真と比べてる見ると、石畳のパターンが変わっている辺りがその切れ目であったことが分る。
#04

 以上の写真は1983年の動画からキャプチャしたものであるが、youtubeへアップロードができた時点でブログ記事からも紹介する予定である。
 考えてみれば1983年から『大林監督の「時をかける少女」は殆どが竹原が舞台である』と言い続けても身近な誰からも信じては貰えず、インターネット黎明期1996年にホームページを作って竹原の写真を掲載して「時かけは竹原が舞台」と書けば尾道狂信者から厳しいクレームのメールが届く有様。その後、旅番組「遠くへ行きたい」で大林監督と原田貴和子が竹原を訪れて「ここはね~妹の知世ちゃんが歩いた道なんだよね~」と語るシーンなどが放映されて、やっと得た確証でクレームから救われたことを思い出した。

 以前から気になっていた本川の白いパネル「異常気象時、裏の排水蓋を開閉調整」。先ずはその「裏」がどうなっているのか、「異常気象時」とはどんな気象の異常時なのか、誰が何処の管理責任者の指示で操作をするのか、本排水蓋は何カ所あるのか・・・・考えだしたらキリが無いが、今回はその「裏」と排水蓋が意外に多かったことが分った。(2022/02/11撮影)

 日本橋旅館前の信号から横断歩道を渡って日本橋の東詰めへ。ここならば国道185号の路肩にへばりつかなくてもパネルが読める。パネル下には排水口らしき開口孔がある。「排水蓋」という名称から国道路面側に溜った水を本川側へ排水するための孔のようだ。
#01
壁面の裏へ回って見ると4段の梯子と開口部右でヒンジ開閉できる蓋があり、全開時の蓋は壁面右側から伸びたボルトに蝶ネジで固定されている。
何らかの異常気象時に蓋を閉じる際は以下の手順となるに違いない。口頭で言うなら「梯子で降りて全部の蓋を閉めといて~」であろう。
  1. 先ずは安全ベルトを梯子に架けてつかまって最下段まで下りる
  2. 右手を伸ばしながら屈み込む
  3. 蓋の右端にある蝶ネジを緩めて壁面側のボルトを蓋から外す
  4. 開きドアのように蓋を左側へ軽く閉める
  5. 壁面左側のボルトに締められた蝶ネジを適度に緩めておく
  6. 軽く閉めた蓋の溝へ壁面左側のボルトをはめ込む
  7. 緩めた蝶ネジを締めながら蓋の隙間が最適となるよう開閉調整する
  8. 梯子を上って安全ベルトを外す
  9. 隣りの排水蓋へ移動してから以上の手順を全排水蓋に対して行う
  10. 異常気象が治まったら以上の逆手順にて閉じた蓋を再び開いて固定する
ツイスターゲームのような姿勢となりそうなこの操作、ひとつの蓋だけでも勘弁である。大潮の満潮時なら開口部や蓋は水没するので水中での作業となるのかもしれない。
#02
よく見ると右隣りの排水蓋は半開きとなっている。
#03
一体、何ヶ所あるのだろうか?
#04
#05
#06
#07
八幡橋の歩道橋部手前まで排水蓋は連なっていた。汐入橋を渡って反対側から排水口を見てみる。壁面に白いパネルがある箇所が排水口である。
#08
#09
排水口は、最初に撮った日本橋左側まで設置されていた。その数は数えていない。
#10

 異常気象として考えられるのは2つ。異常潮位によって本川側から道路へ川の水が逆流して路上冠水する際には臨時的に全蓋を閉じる。豪雨時に雨水が路上に溜る際には数箇所ある排水口の開け閉め具合を最適に調整して雨水を本川側へ排水する。・・・ぐらいであろうか。この「異常」は予測はできるが排他的には発生しないので開け閉め具合はその都度変える必要がある。まぁ、普段は殆ど開けて置いて大潮時に異常潮位となりそうな時にのみ全閉するだけで良いのかもしれない。この排水蓋の操作は本川河口堰(巨大水門)の開け閉めとの連携も必要と思われる。

 吉名町の毛木(けき)海岸から松本煉瓦のある沖辺(おきべ)までの県道に「掛之浦(かけのうら)」という絶景スポットがある。吉名町に昭和初期頃から住まわれている方々から「掛之浦」について色々と訊いてみると、口を揃えて「あそこは昔、白浜の海岸じゃったんよ・・」とか「よ~泳ぎに行きょ~たの~」とか言われるのだが、その海岸線は現在の県道沿い辺りだったようで、その県道すらも未だ無い時代。昨年末に訪れた県道沿の「藤九郎神社」の急な石段下辺りも昔は海だったとのことである。

 幸運なことに当時の海岸線が分る地図と「掛之浦」の写真が「光海神社」の舞殿に掲示されており、以下に転載したので参照してほしい。江戸時代の海岸線が赤いラインで描かれており、右端中程の「掛之浦」辺りはかなり奥まっている。吉名を訪れる機会があれば他にも貴重な写真・図解パネル等が多数掲示されているので実際に「光海神社」を参拝されると良いであろう。

※「江戸期の開発」パネル(「光海神社」舞殿掲示の「吉名の歴史」より)
#00a

 また、以下の中段の写真が昭和初期頃の「掛之浦」の様子で、手前の山が「藤九郎神社」でその向こう側が湾になっており、そこが白浜の海岸であったようだ。解説には「現在、三井の堆積場として埋め立てられていますが、以前は遠浅の素晴らしい海水浴場でした。」と書かれている。

※「往時の吉名」パネル(「光海神社」舞殿掲示の「吉名の歴史」より)
#00b

 そして以下が白浜だった海水浴場が埋め立てられた現在の「掛之浦」の様子である。(2022/02/01撮影)
#01
#02
#03

 この堆積場は訪れる度に少しずつ景観が変っているようだ。2020年夏に書いたブログ記事「掛之浦たい積場」の写真と比べると、新たな堆積物で覆われているようで、最初に撮った以下の写真は、まるでゴルフ場のような景観であった。(2013/08/13撮影)
20130813a
20130813b

 写真に写る並木辺りが、白浜だった海水浴場の海岸線と思われる。もし、現存していれば的場海水浴場(昭和時代は石ころだらけ)や長浜とは比較にならないほどの素晴らしい海水浴場になっていたであろう。

 昨年6月の「猫寺?照蓮寺」に続いて第二弾。照蓮寺前の十字路にて今春オープン準備中の「café 根古屋」の様子見と「酒蔵交流館」へ再び「酒粕」を買いに町並み保存地区を訪れた際、照蓮寺の貯水池に見慣れない看板を見つけた。(2022/02/08撮影)

貯水池にて何か作業中のようなのだが・・・
#01
どう見ても・・・そんなはずはない。いつもならば常時駐車の車両で見えなかった看板が、今日に限って一台も停められていなかったことで見えるようになったのであろう。
#02
看板の写真を撮っていると遠くから猫が近寄ってきた。
#03
いつもなら「ボロ(雑巾)」(勝手に名付けた)がやって来るのだが、今日は見慣れない「ふじびたい」が一匹。
#04
何か貰えるのでは?と近寄ってきたようだ。今日は運よく我が家の猫用のカリカリおやつパック(5粒入)を持っていたので1粒投げてみた・・・が完全に無視された。
#05
そこへ、どこからかいつもの「ボロ」が登場。投げたおやつをすかさず見付けて食べてしまった。
#06
次をせがむこともせずどこかへ行ってしまった。
#07
「ふじびたい」に2粒目を手の平でやってみたら用心しながらもカリカリと食べてくた。
#08
照蓮寺の本堂へ参拝しようと石段を昇っていたら、どこからか「ボロ」が再び登場。近寄ることも無くそそくさと山門へ。
#09
「ボロ」は山門脇に黒猫がいたのを追い払いに行ったようで、せがまずに待っていた先程の「ふじひだい」に3粒目をあげた。
#10
その時、山門前に「残念な三毛」(サバトラと茶トラの混合)が遠巻きに鳴きながら突然登場。そこへ黒猫を何処かへ追いやってきた「ボロ」が蹴散らすように「残念な三毛」も追いやった。
#11
民家の脇から新たな白黒の猫が登場。こちらは襟元が白い「モーニング」柄である。「ふじびたい」の兄弟姉妹なのか、おやつをやる様子を遠くから眺めていた。
#12
それを見た「ふじびたい」はなんとなくツン・モードからデレ・モードに急変。仕方なく4粒目をやった。
#13
「モーニング」はそのデレデレの様子を見ながら石段を駆け上がって行った。
#14
「ボロ」に追いやられた猫たちや「モーニング」が境内にいるのではと、山門を潜って本堂にて参拝。
#15
だが、どこにもいなかったので石段を下りた。そこにはまた新たな猫が待っていた。
#16
鼻にぶち模様がある見掛けない猫だが、逃げないので最後の5粒目をあげて引き上げた。
#17

どうやら、この地域のボス猫的存在の「ボロ」以外は石段下の民家で飼われている子猫が無事に成猫に育ったようで、岩合さんの番組に登場していた柄の猫も混じっていたようだった。どおりでカツえていないハズである。もう16時過ぎ、今春オープン予定の「根古屋」の外観は特に変わりなし。「酒粕(龍勢)」を再び買いに行きたかった「酒蔵交流館」は16時に閉館していた。

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