安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年03月

 福田町の天井川「東川」河川底下を呉線が貫く「東川トンネル」。昨年の豪雨災害で護岸と河床が洗堀されトンネルか不通となった災害復旧工事が依然続いている。先月から東川土手の道路が通行止となっており、新たな河床となるコンクリートを固めるためにトンネル上部前後にポンプとホースで水路バイパスが設けられ、いよいよ本格的な仕上げの工事が始まったようだ。重機がトンネル上部を何度も移動するためか、先週辺りから呉線が運休となってJR代行バスが走っており、その様子が再びローカルTVニュースに取り上げられていた。
 本日は久しぶりに「お好み喫茶エデン」で「たけはら焼」を食べたのだが、その戻りにJR代行バスが乗車待ちの無い安芸長浜駅前(芸陽BS)を通過するのを目撃。祝日でも発電所はもちろん稼働なのだが、通勤時間帯以外は利用者が殆どいない安芸長浜駅。いつもは国道沿いの裏側からしか見ておらず、駅正面口側がどうなっているのか寄り道してみることにした。
 正面口へと行けるルートをカーナビで確認してみたが、国道沿いや線路沿いにはそれらしき幅広い道が見当たらない。「エデン」から100m戻った踏切から道なりに走ってみると、以前、自転車で訪れたことが有る「J-Power ふれあい公園」に辿り着いた。ここに「直進禁止」の看板があり、仕方なく左折したところ、その終端が安芸長浜駅の正面口であった。(註:直進禁止は電発関係者のみなのだが分かり辛い)

これは昨年、自転車で訪れた際に撮った「直進禁止」の看板。(2021/02/11撮影)
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 看板を左折して道なりに進むと見覚えがある高架の駅舎が見えた。(2022/03/21撮影)
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 左側にはバリアフリー路と思われる長いスロープ。
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 駅舎周辺には発電所の従業員専用駐車場があり、石段前はロータリーになっている。
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 石段を上がって見ると竹原市内の他の駅と比べ垢抜けたデザインだった。ほぼ電発従業員と社宅の家族ぐらいしか利用されないと思われるのだが、まるで関東圏郊外にある私鉄駅のような雰囲気。
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 待合室も筒状吹き抜け。
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 掲示物を見ると「波警報発令時の避難場所」。この高架型駅舎では高さが足りないことを知る。
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 もう1枚は全面禁煙についての知らせ。
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 改札口前に寄ると人感センサーに感知されて自動音声が流れ始めた。東川トンネル災害復旧工事による代行バス運行(呉線運休)のお知らせのようであった。
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 呉線の時刻表。SNSや掲示板等では呉線の便数の少なさや大雨時の不通多発を嘲笑う書込みを散見するが、そう書きながらも呉線で竹原を何度も訪れているようだ。この時刻表を見て呉線は路線記号が「Y」であったことを初めて知る。瀬戸内の海面に映る黄色い陽射しから「Yellow」が選定されたとのこと。
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 時刻表隣りの貼り紙、工事についてかと読んでみたらダイヤ改正による停車位置変更についてであった。
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 これが前述のバリアフリー路。
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 真向かいには発電所の正門。
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 発電所側へのアクセスはこの跨線橋兼歩道橋を利用する。
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 正面口の石段からの眺め。
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 安芸長浜駅の正面口を訪れたのは約25年ぶり。ビオトープがある「ふれあい公園」が造られたことが新聞に紹介されたことから家族で訪れた際に立ち寄ったと記憶している。その時にも駅舎内に入ったかは思い出せないが、特徴ある駅舎の外観だけは憶えていた。
 安芸長浜駅が造られたのは 1994年10月1日。北陸本線に長浜駅が既に有ることから区別のために「安芸」が付けられた。呉線にて「安芸・・・」が付く駅はこれと同様なのだが安芸津駅はどうも違うようだ。元々は賀茂郡御津町にできたので安芸三津駅(愛媛県に既に三津駅があるためか)、その後、賀茂郡安芸町三津となったことから安芸津駅に改称された。ちなみに竹原駅では後発の伊勢竹原駅と越前竹原駅がある。

 本日は暖かな陽射しがあるものの、昨日から時折り吹く風は未だ肌寒い。久しぶりの外食ランチは何処にしようかと竹原市内をドライブしながら、暖かな屋内から澄んだ海が見えるレストランはどうだろう・・・と先ず思い付いたのが長浜の「ホクストン」。
 竹原町内から長浜までは約15分はかかるので予約の電話をしたが、予約制ではなく来店順とのことで13時過ぎに駐車場へ到着。だが、ほぼ満車の状態で車内で順番待ちの先客もいた。店内にて予約状況を訪ねると6組待ちとのこと・・・1組1時間として6テーブル程度とすると最低でも1時間待ちとなるので泣く泣く断念。
 竹原町へ戻る途中に見えた「お好み焼エデン」はあいにくの休み。町並み保存地区内では観光客が多くてレストランが開いてそうになく、ダメ元で「ボタニカ」へ電話してみたが予想通り満席とのこと。吉名町のピザ店「en」はさすがに遠すぎるし海が見えても野外だったら寒そう。腹も減ってきたのでボリュームある定食ならば「ランプ」へと訪れてみたら「CLOSED」。
 そろそろ14時、何だか熱熱のドリアが急に食べたくなり、ドリアと言えば竹原駅前の「HIRO HOUSE」。急遽、「ランプ」竹から原駅方面へ。「シオタ」跡前の駐車場に停めて「HIRO HOUSE」へ。(2022/03/20撮影)
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 幸運にもOPEN!
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 このキューバサンドも気になるが・・・・
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 私は舌が火傷しそうな熱熱のドリアが食べたい。
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 迷うことなく注文はドリア。
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 私以外の3人は以下を注文。
これはハムサンド・・・だったと思うが忘れてしまった。
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 カレードリア。
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 長過ぎる名の「こっくり味のバナナパウンドケーキ&チョコがけバニラアイス」。
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 「HIRO HOUSE」といえばこのガラス窓の丸換気扇とガラス越しに見える三井の煙突。店内に流れるジャズを聴きながら喉から胃袋まで温もるドリアをハフハフ・・・この寒さが過ぎれば、いよいよ桜の季節が訪れる。
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 連休の中日、お好み焼店やラーメン店は家族連れや来客同伴が店頭待ち必至。保存地区では市外・県外からの観光客が多いので確認しに行くまでもなく、昼過ぎに「二重焼 松屋」が既に「本日休業」の札を出していたので食事待ちの多さは予想が付いていた。こんな日は、祝日でも普段通りの営業で常連客がくつろぐ「HIRO HOUSE」のような店が開いているのは有難い。

 吉名町に続く「あてどなくシリーズ(行く当てもないドライブ)」の第二弾は忠海町。黒滝山への登山と忠海劇場(大黒座)跡地の探索にて忠海町内を何度か走り回った結果、やっと頭の中に忠海町の概略地図が形成されたようだ。今回は花粉症とウガイのし過ぎで喉をやられて辛い中、特に目的も無く気分転換を兼ねて町内を走ってみたが、その際に偶然見つけられた「耳無地蔵」は幸運であった。
 動画のスタートは忠海町から小泉町への旧県道と新県道が接続するT字路から。以下数枚の地図に赤矢印で走行ルートと動画のタイムスタンプを示した。軽自動車なら容易に通れる道路を選んでみたが、所々が狭くて離合困難な道路が多い二窓地区については敬遠した。(2022/02/23撮影)

安芸の小京都 竹原 035 あてどなく忠海町(2022 02 23)



以下は走行ルートと要所ポイントの動画タイムスタンプ
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 本川全域で見られる野鳥といえばサギ(白または斑)が殆どで、数年前頃からは鴨も見られるようになった。本川で最初に私が鴨を目撃したのは3年前ぐらいだろうか?満潮時の住吉橋から新港橋の間にて3羽の鴨が泳いでいるのを住吉橋上から見付け、写真を撮ろうとしたら橋の下へ隠れられてしまった。その後、その3羽の姿をよく見るようになり、昨年春には古庭橋から山陽橋の間でも3羽を目撃
 それ以降、本川で鴨を見かけるのは3羽だったが、年が明けてからは徐々に数が増えているような気がしており、同じ鴨(3羽)が本川を移動しているだろうと思っていたが、それは間違いであった。今回、本川沿いを5分程度で上流へ移動したのだが、先ずは竹原大橋の下にて数羽の鴨を目撃、続いて日本橋と本川橋の間でも、更に本川橋から新港橋の間、そして新港橋から住吉橋の間。近寄ると鴨は反対岸へと逃げるだけで、他の橋間へ飛んで移動はしなかったことから、撮った写真の鴨を数えてみると少なくとも12羽が確認できた。(2022/02/27撮影)
 
 先ずは日本橋~本川橋の間にて3羽。
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 近寄って撮ろうとすると「そっぽ」を向かれて対岸側へ。
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 同様の橋間の少し上流にて2羽。こちらも近寄ると対岸へと移動。
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 次は本川橋~新港橋の間にて5羽。浅瀬や中洲で何かをついばんでいた。
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 最後は新港橋~住吉橋の間にて2羽。
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 これらの鴨は大井地区の天池に生息している鴨と同じ「柄(ガラ)」のようで、ここ最近は天池の鴨の数が心無し減っている気がしている。天池から本川までの距離は2~3キロ程度あるが、何かの理由で本川まで徐々に飛来してきたのだろうか?それとも最初のツガイ?から産まれた小鴨が本川に生息するようになって増え始めたのだろうか?天池ではなく賀茂川では違う柄の鴨を何度が目撃したが、天池や本川に生息しているのは「カルガモ」で、賀茂川で目撃したことがあるのは「マガモ」であることがこのサイト情報にて初めて分った。

 楠通りに古くからある複数の「中山タンス店」のうち1店舗が解体されていた。先週、ここを通った際には朝から路上で重機が工事をしている・・程度にしか感じられなかったが、今週、この工事現場だった部分が「歯抜け」になってしまったことに気付き、何が建っていたのか「蔵出し写真」を調べたところ「中山タンス店(中山家具店)」であった。(2022/03/15撮影)
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 近寄ってみると解体場所に水路があった。
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 中山タンス店の基礎下(地下?)に水路があったことを初めて知った。ということは楠通りの道路地下を抜けて本川へ通じる暗渠(あんきょ)になっているのである。
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 では、この水路は何処から通じているのか?すぐに思い出したのが、町並み保存地区(中ノ小路)の藤井酒造沿いに流れている水路が旧光本邸向いで直角に曲がっている個所である。楠通りから回ってその場所へ訪れて見ると・・・
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 解体された「中山タンス店」向いの建物が見えた。
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 今回、解体される前に何が有ったのかを確認するために探した写真が以下の3枚である。

 先ずは最古、2000年の「竹まつり」にて撮った写真。この年は楠通りも歩行者天国にされて祭り会場となっており、各店頭にはフリマや模擬店が並んで賑わっていた。今回解体された「中山タンス店」店頭にもこのような骨董品が並べられていた。(2000/05/03撮影)
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 続いて2枚目は右隣りの「ガラスの梶梅」が写っている写真。解体後の1枚目写真と比べて欲しい。(2008/12/31撮影)
20081231
 そして最後は最近の写真。この建物の直下と道路地下には本川まで水路が通じていたのである。(2020/08/03撮影)
20200803

 私の遠い映像記憶にある「楠通り」は3歳が最古。自転車の荷台に日本人形のガラスケースを載せて歩く母に連れられているカラー映像だ。真横を見ると右手に見えていたのがこの「中山タンス店」であった。小雨が降っていたのも憶えており、数年前にその事を初めて母に話したら「よ~おぼえとるの~雨もおおとる(おおとる=間違ってない)」と目を丸くして驚いていた。
 竹小時代ではこの真向いの「中山タンス店」別店舗内に「タケダのプラッシー」が売られていた。飲んでみたかった訳ではなく、その数件先にある駄菓子屋「荒谷」で「嘗めるクジ」、「紐を引くクジ」や「格子状の箱の紙を破るクジ」などを引くために何度も店頭を通っていたからである。これらのクジは「スカ」の確率が高かったが、ついに1等の大スーパーボール(うす桃色の透明)を当てたことは今でも憶えている。

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