安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年04月

2月下旬のブログ記事「龍島」にて小さい画像で紹介した映画「ズッコケ3人組~怪盗X物語~」のリーフレット実物が幸運にも倉庫内の竹原資料ダンボール群から見つかった。(2022/04/24)

 これがそのリーフレット(表)である。サイズはB5でツルツルの上質紙にフルカラー印刷。
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 裏面は一色刷りで下段のフリースペースに「竹原先行上映決定!!日時:平成10年5月24日(日)10時~13時~/場所:竹原市民ホール」の印刷と竹原市観光協会のスタンプが押されている。「竹原先行上映」のフレーズが本映画が竹原でロケされた「証し」といえよう。
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 このリーフレットに加えて以下のチラシも重ねられていた。「竹原先行上映会のご案内」である。これを読んで頂ければ本映画が竹原(でも)ロケされた、いや、竹原・三原・安芸津が舞台の映画であったことが事実であったことがわかる。
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 では、「ぐるっと竹原観光ナビ」に「瀧島」が本映画のロケ地になったと書かれており、もしかしたら本リーフレット(表)に写る島が竹原市に属する「龍島」なのでは?と淡い期待を抱いているのだが、幸運にもかなり近いアングルで撮った以下の写真(竹原|安芸津境界辺りからの眺望/2022/04/18撮影)が有ったので比較してみて欲しい。
 ロケ時期が1997年だったとするとリーフレットの島は25年前の状態、島の向こう側見える瀬戸内海の島々がリーフレットには全く無いのが気にはなるが、両島がかなりの近似であるように感じている。3人が走るのは砂浜だが、撮った写真は泥の干潟。この干潟から更に西側には砂浜が有るのだが、車両通行止めで到達できなかった。(googleマップでもストリートビュー対象外)
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 ロケは竹原以外に三原と安芸津でも行われた。三原に属する島にはこのリーフレットに近い島が見当たらず、安芸津町の島である可能性も有るのだが、以下に安芸津の島々が掲載されている歳實コーヒーの「安芸津七島」の冊子があったので比較をしてみた。「ハート島(小芝島)」の写真のみが似てそうだが、近くの大芝島にはこのような砂浜は存在していない。
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 以上のことから映画「ズッコケ3人組~怪盗X物語~」リーフレットに写る島は竹原市の「龍島」である可能性大である。ちなみに googleマップを見ていて知ったのだが、干潮時にだけ姿を現す「龍島」へ渡れる砂と石ころの道は観光名所として「龍島エンジェルロード」と名付けられているようだ。

 先日、スマホに入れている竹原情報アプリの「MINANOWA」から以下の新着情報が届いた。パルティフジにある「靴のマツイ」からの「閉店セールのお知らせ」であった。よくある「決算売り尽くし」や「改装売り尽くし」の「閉店セール」かと読んでみると、残念なことに「一旦、閉店を決意」と書かれていた。
 パルティへ移転後の「靴のマツイ」は、私が帰省した際や帰郷してからの靴を買いに行く唯一の店であった。店内で色々な靴とサイズを実際に履き比べをしてみて、納得のゆく一足が必ず見つかる店であったからである。
 ここ最近では観光葬祭用にと革靴を新調したし、定年帰郷してからの新たな仕事や普段履きにと買ったシューズは3足を履きつぶして4足目を愛用中で、庭や倉庫で作業する際のサンダル履きもここで買っている。一旦とはいえ閉店となると、一日かけて品揃えの多い店を探しに西条まで探しに行かなければならなくなる。

 以下がその「閉店売り尽くし」のお知らせである。(2022/04/20受信)
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 見る度に刻々と予報が変る本日の「雨雲予想レーダー」は昼過ぎには雨が上がるはずなのに未だ止まず。仕方なく図書館へ借りていた本を返しに行った際に「靴のマツイ」の店頭にも寄ってみた。普段とは異なる「ご愛顧有難うございました。閉店SALE」の幟と窓に貼られた売り尽くし広告。(2022/04/24撮影)
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 そういえば長らく写していない「あいふる通り(旧あいふる316)/(竹原駅前商店街)」の旧店舗はどうなっているのだろうか?と帰りに寄ってみたが、普段と何も変わってはいなかった。
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 店舗名は現在も「シューズショップマツイ」のまま。
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 本「お知らせ」の見出しでは「シューズショップマツイ」と書かれていたが本文では「靴のマツイ」とあり、これまで「マツイ」の店舗名は微妙に異なっていたことを思い出した。
 古い市外地図を調べてみると旧店舗名は昭和55年(1980年)頃が「マツイ靴店」、平成以後はなぜだか「ジーンズショップマツイ」となっているがジーンズを売っていたのは見たことは無いし、移転後はシャッターが閉じたまま。

 以下は2003年夏頃に撮った「あいふる316」時代の旧店舗であるが、現在も同じ看板「シューズショップマツイ」のままであった。
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 以下はパルティへ移転後の店舗だが、玄関上部の看板に書かれている店舗名は現在と同じ「シューズファクトリーマツイ」。(2009/08/02撮影)
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 そして今回の「閉店セール」のチラシや文章には店主によって「靴のマツイ」と書かれていた。何れにしても御健康になられて「靴のマツイ」が営業再開となり、また気軽に靴が買いに行ける日が訪れることを切望してやまない。

 このところ公共放送まで民放テレビ局と同じ番組制作会社へ丸投げしているような番組が増えたことに嫌気がして、徐々に youtube を視る時間が増えてきているのだが、昨夜も面白そうな動画をザッピングしていると、「あなたへのお勧め動画チャネル」の中に混じっていた「住吉橋から眺めた日の丸寫眞舘」を見付けてビックリ、それは昨年11月2日に竹原にて開催された「竹原大正浪漫」のモニタツアーの際にプロモーション用に撮られていた動画の完成版のようであった。(2022/04/22初閲覧)

 以下が竹原市公式チャンネルに掲載されていたその動画であるが、竹原について一度も検索したことが無いアカウント使用だったのに、なぜこの「竹原」関連の動画がお薦めに混じっていたのだろうか・・・。

竹原大正浪漫 ~TAKEHARA TAISHO ROMAN~


 私が町並み保存地区を散策中に偶然目撃した「竹原大正浪漫」自体についての内容は省くが、その際に本ブログ掲載への承諾を頂いてから撮った写真の一部が以下である。
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 ひと通りプロモ動画撮影が終わって一般市民に内覧開放された松阪邸庭内での「竹灯り」を、昼間の散策中に路地で知り合った散歩中の近隣の方々と一緒に見物した。その際に記念撮影をした1枚の写真が以下なのだが・・・(都合上、顔はボカシを入れた)
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 お互い名前も住所も聞かずに「今度、また散歩中に逢えたら印刷して渡すね~」のまま約半年が経過。写真を鞄のポケットに仕舞い込んで月数回は路地を縫うように散策していたのに再会できず。そもそも、コロナ予防のせいか散歩している近隣の方に出逢えることが無く、写真を見せて「この方、御存じないでしょうか?」と聴く機会もゼロだった。
 だが、今週火曜日にその機会が偶然に訪れた。普明閣からの眺めの動画を撮って帰宅する際に、中ノ小路にて犬の散歩中の方を呼び止めて写真を見てもらえたのである。「ああ、苗字は忘れたけどこの真ん中の方なら家を知っとるよっ」との事。その方の家のポストへ写真を入れておけば良いだろうと家がある路地へ入ったところ、偶然にも丁度帰宅されて玄関を開けられている最中であった。「すいませ~ん」と呼び止めて写真を見せると「ああっ、あの時の憧憬の路で撮ってもろ~た写真じゃねぇ!」と大感激。「この人は友達で竹原にはおらんけど、こっちはこの近くじゃけぇ喜ぶわっ」との事。渡したのは撮影日「令和3年11月2日」と「竹原大正浪漫の松阪邸にて」を入れた3枚の写真。
 本来なら景観ばかりではなく街中散策中に出逢った竹原の人々の普段の様子も撮りたいのだが、御本人に承諾が頂けてもそれを気易く一般へ公開できない世知辛い世の中。大正・昭和時代に撮られた写真を掲載した写真集などにはボカシは施されていないのに・・・・と、肖像権や個人情報保護の呪縛のために後世に「遺す写真」が1枚も撮れない平成・令和の時代が恨めしい。
 さてと、これまで竹原関連の動画を一度も視ていなかったアカウントのお薦め動画に、今夜はどんな竹原動画をAIが薦めてくるのだろうか?私は竹原で生まれて竹原に住んでいる日本人だが、本日のお薦めは外国人向けの「Takehara City」であった。どうやらアカウント名を米国人風にしていたことでAIが外国人に間違って判断したのであろう。アカウント名の表記までも個人情報収集の要素になっていたとは・・・。

 久しぶりに普明閣の舞台を独占。土日祝日は普明閣にも立ち寄る観光客が多いのだが、仕事休みの火曜日午後は数組だったのでコマ切れ撮影とはなったが、三脚据置カメラで舞台からの長時間の眺望撮影に成功した。(2022/04/19撮影)
 今回の目的は「普明閣裏からの長生寺の八十八ヶ所巡り」再訪であったが、半月前に訪れて撮影に失敗した時よりも普明閣を訪れる人の数が比較的少なく感じられたのでリトライを決めた。参拝制限18時までの約2時間、観光客が舞台に滞在している間は何度も撮影を中断しながら計1時間程度の動画撮影となった。
 カメラを据置したのは舞台から眺める竹原町の甍の波、籠り堂への渡り廊下からの西陽があたる舞台床に加え、鐘楼下の畑で草むしりされていた西方寺の方の話で「本日は朝日山に沈む夕陽がきれいですよ」との話を聞き、誰も来なくなった日没までの約30分間の朝日山を撮ることが出来た。

 普明閣舞台欄干から鐘楼側を見おろした据置カメラ動画。動画前半は観光客が上がってくる度にカメラを撤去したので連続5分間程度の連続撮影ばかりとなった。
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 舞台欄干から松阪邸辺りを見おろす。時おり鴬のさえずりも聞こえる。
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 観音堂格子戸前からゆめタウン方面を眺める。
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 舞台欄干から三井金属方面を眺める。普明閣でくつろげていた頃は、この位置に座って遠くから聞こえる電車の走行音を聴いていた。
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 動画後半は朝日山に夕陽が沈むまでの連続約30分間を撮影。舞台床に映る欄干擬宝珠の影が徐々に伸びていく様子が撮れた。続けて薄暮の町の様子も撮りたかったが参拝制限の18時となったので退散。
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 本動画は YouTube にアップしているが、舞台に座って長時間マッタリとしている状態を撮ったことから、殆ど動きの無い数枚の写真のようになってしまっている。

安芸の小京都 竹原 042 普明閣舞台からの眺め[カメラ据置き](2022 04 19)


-以上-

 No.1株式会社(旧社名:センチュリー都市開発株式会社)の所有物件である「川崎フードモデル跡」(的場近く)の壁面にあった「川崎フードモデル」の看板文字が取り外されて、外観では外壁塗装の塗り直しと若干の改築が施されたようだ。(2022/03/26撮影)
 川崎フードモデルは栄養指導用食品サンプルのメーカーで 2015年10月に廃業。その後、貸事務所・作業所としてNo.1株式会社の所有物件となって 2020年10月頃に物件幟が立てられていたのだが、今年の2月中旬頃に防塵幕が張られて改装・改築工事が施され、防塵幕が取り外された3月中旬に確認した時には文字看板が取り外されていた。売却されたのか貸事務所・作業所としてリフォームされたのかは未確認。

先ずは廃業前に撮った建物で国道沿いから「川崎フードモデル」の看板文字が見える。(2009/01/02撮影)
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No.1株式会社(旧社名:センチュリー都市開発株式会社)の幟を確認した頃。(2020/10/18撮影)
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 そして今年の2月頃に防塵幕が張られて工事中となっていた。(2022/02/27撮影)
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 その後、防塵幕が外され工事は終了。(2022/03/26撮影)

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 「川崎フードモデル」看板が取り外され、壁面も塗り直されていた。国道側面にあったパネル壁も取り外されている。(2022/03/26撮影)
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 フードモデルのパイオニアであった「川崎フードモデル」にて製造されたサンプル完成品在庫は、廃業後に食品サンプル業界トップの「いわさきグループ」の御好意によって引き取られ、川崎フードモデル製品を希望される栄養士へ2018年まで販売されていたようである。
 
-以上-

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