安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年05月

 ここ最近、呉線線路沿いの道路を走っていると、これまで見かけた覚えの無い?コスモスや菊のような黄色い花が咲き乱れている光景を目にする。去年は3~4月に一斉に菜の花が線路沿いに咲いているのを見かけたと思うのだが、考えてみれば今年は見たような見なかったような・・・曖昧の記憶のまま、菜の花とは明らかに濃さが異なるコスモスのような大輪の花であることに気が付く。
 誰に訊いても「あれは菜の花じゃないねぇ・・・」とのことで、運転中には車窓からチラリとしか線路沿いを見られないので、傍に車が停められる場所に咲いている「謎の花」を探して至近で観察してみることにした。(2022/05/21撮影)
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 先ずは東野町の賀茂川沿いにある旧道。反対側の国道から鮮やかな黄色い「謎の花」が咲いているのが見えたので立ち寄ってみた。
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 もう1ヶ所も東野町だが、国道432号の大福地橋西詰から少し下った場所。将来、バイパス道がつながる辺りの草むらの中に「謎の花」が群生していた。
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 どう見ても雑草には見えない。コスモスのようでもあり、菊のようでもあるのだが、その儚さや上品さは微塵も感じられない「野生臭」が漂う。
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 さて、この「謎の花」の正体は何だろうか。

 自宅に帰ってyahoo検索にて「線路沿い 黄色い花」で調べてみるとすぐにその正体が分かった。その名は「オオキンケイギク(大金鶏菊)」であった。
 ヤバイことにこの植物は「特定外来生物」に指定されていた。特定外来生物とは、外来生物(海外起源の外来種)であって、生態系、人の生命・身体・農林水産業へ被害を及ぼすもの、または及ぼすおそれのあるものの中から環境省が指定したもの。
 引き抜いたり除草剤を撒いたりした程度では駆除ができない強繁殖力のようで、何れは"植物"の在来種が全てこの"植物"の外来種に置き換わってしまうことになりそうである。呉線沿いの菜の花を見た記憶が曖昧なのは、既にこの特定外来種である「オオキンケイギク(大金鶏菊)」に地面の養分を奪われていたからであろうか。
 間違っても「キレイな菊」が生えていると自宅に持ち帰って庭に植えたり、花瓶に挿したままで種が飛び散るまでどこかに放置してはならない。気が付けば自宅を含めた周辺、いや竹原市内、いや広島県内・・・日本の在来植物が絶滅してしまう。

約1年前のブログ記事にて道の駅で購入したことを紹介した『塩が育んだ文化の町  竹原 増訂版』。買ってはみたもののパラパラめくる程度で本棚に収納したままであったのだが、改めてページを開いてみればその内容の濃さは海水を煮詰めて塩にする以上に「濃い」ものであった。
 中でも竹原での製塩の歴史においては、田万里町の岡野原遺跡から奈良時代の「製塩土器」が出土、江戸時代から昭和時代までは「入浜式製塩」が盛んに行われて、昭和27年からは生産効率が高い「流下式製塩」が始まったのだが、昭和34年の第三次塩業整備によって竹原市における製塩業に終止符が打たれたことで「流下式製塩」は数年間という極めて短い期間であったことが書かれていた。悲しいことに一部の塩浜においては流下式への切替の最中にいきなり中止となったらしい。
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 そして竹原の製塩が幕を閉じた頃に行われていた「流下式製塩」を復元したのが、吉名町小泊の海沿い(東亜煉瓦跡地)に造られた「NPO法人ネットワーク竹原」による製塩所である。(2022/05/04撮影)
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 ここを訪れたのは今回で2度目であるが、その場所についてはここを運営されている佐渡泰さんに教えて頂いた経緯がある。それまでは東亜煉瓦工場の敷地内でもあり、関係者以外立ち入り禁止の看板があった(残されたまま?)ことで長らく製塩所の存在を知らなかった。

 これが「枝条架」と呼ばれる装置である。竹原の塩田では大規模な枝条架が並んでいたようだ。
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 海から流下盤(下の水色部分)に汲み上げられた海水が、ポンプによって竹製の棚(枝条架)の頂点に汲み上げられて枝伝いに流下盤へしたたり落ちる際中に、太陽光と風の力で海水の水分が蒸発。このループ工程を何度も繰り返すことで高濃度(18%)の塩分となった鹹水(かんすい)となる。
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 この水色部分が流下盤。
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 その右隣りが汲み上げポンプ装置。
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 高濃度の鹹水は奥の家屋内にある煎熬(せんごう)装置で水分が無くなるまで煮詰められ、更に脱水されて海のミネラル豊富な塩となるのである。
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 ここが鹹水を煮詰めて煎熬し、最終的に脱水機で水分を除去する作業場。ちなみに脱水機は二槽式洗濯機(古い時代)の脱水槽を利用。これが壊れてしまうと代替しにくいため1台が隅にストックされていた。我が家の倉庫にも「それ用?」にと完動品を1台保存しているので活用される日が訪れるかもしれない。
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 そしてこの場所は東亜煉瓦跡地であることから、防潮堤がレトロなレンガ製であり、これを含めた瀬戸内海の眺望は竹原市内でも屈指のスポットと言えよう。
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 この『塩が育んだ文化の町  竹原 増訂版』には、他に製塩絡みに付随する興味深い情報も満載である。
  • 1500年頃の竹原は中通辺りから南が竹原湾であった
  • その頃の竹原湾への河川は賀茂川と戸野崎川(現在の本川?)と田野浦川
  • 竹中手前の水源地がある山は「竜王山」という名称
  • 現在の「大井」は「多井」と書かれている
  • 竹原湾の島は横島、丸子山、オイトコ山とコイトコ山
  • 市内には忠海塩田、吉名塩田、築地塩田もあった
  • 賀茂川は成井川とも書かれている
  • 胡堂の鬼瓦(蕪、茄子、鶴、亀)についての解説
  • 竹鶴政孝の母の実家は竹鶴酒造の向いにある角竹邸
  • 竹原塩田浜小唄には浜小唄、はまもち歌、塩田浜小唄と浜小唄がある
  • オイトコ山の漢字表記は「大従弟山」となっていた(竹原市資料では「大糸子山」)
  • 明神の湊神社は、昔は東側を向いていた(現在は南側)
  • 埋め立てられて国道185号になる前の北堀の写真に三津橋という橋が写っている
  • 塩町の側溝には七軒堀時代の石垣が残っている
  • 掛町の本川沿いの道路下に石造りの雁木(河川階段)が埋まっている
等々・・・・

 GW連休ラストの日曜日の昼過ぎ、町並み保存地区へ向かう観光客が多いのか、単なるトイレ休憩なのか「道の駅たけはら」の駐車場は満車。空き待ちの車列が国道まで溢れ出て1車線が全く動けなくなっていた。この有様では普明閣の舞台では休めなそうにないため、右車線から的場へと向かった。
 もしや的場の駐車場も満車なのではと訪れてみれば、砂浜沿いの防潮堤前には未だ半分程度の空きが有り、砂浜や突堤には数人が遊んでいるだけであった。これならば落ち着いて沖を行き来するフェリー等を眺めながら休息できるなと、折り畳み椅子を担いで西海水浴場までの海岸沿いを歩いて誰も居ない磯辺に降りてみた。少し離れた岩場に動画カメラをセットして、広島FMを聴きながら椅子に座って小一時間程度うたた寝・・・。(2022/05/08撮影)
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 座っていた場所は西海水浴場の砂浜が見える寸前の曲がり角手前、突堤には釣り人が2,3人居たので、誰も降りて来そうにない吉名方面や大崎島が眺められる岩場に椅子を広げた。
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 うたた寝・・いや・・ぐっすり寝ていたかもしれない小一時間が経過した頃、ジャリジャリと石を踏む足音で目覚めれば、目の前を横切って磯辺の潮溜まりを探るオヤジであった。どうやら横切る姿がカメラにも映り込んでしまった模様。カメラアングルを内港側へ変えて暫くすると今度は西海水浴場側から背後の磯沿いの道から数人の声が聞こえてきた。どうやら酔っているらしくロレツが回っていない。大声にゲップの音・・・カメラにはこの声も入っているに違いない。もう落ち着けそうにないので、折り畳み椅子を畳んでカメラを止めて磯辺から撤収。
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 来た時には誰も居なかった西側の突堤には釣り人が数人。
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 数人だった砂浜にはテントが張られてかなりの人が遊んでいるようだ。
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 車を停めた時には半分は開いていた防潮堤沿いには車列がビッシリ。
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 あれっ?これは一年前に訪れた際に見かけた光景。今年もコロナ禍で外出する場所に困って辿り着いたのがこの「的場公園」なのだろう。
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 2010年の夏帰省にて「的場公園」を訪れた際は、砂浜にタープを広げてバーベキューをする家族が2,3グループいたのだが、いつしかバーベキューや花火の火を使う行為は禁止となっていた。帰郷したらナフコでバーベキュー道具を買い込んで、家族や幼馴染の友人とでバーベキューをするのが「定年後の密かな夢」であったが、それから10年間に何処かの誰かが何かヤラカシたのか、的場でのバーベキューは叶わぬ夢となってしまった。

 折り畳み椅子を磯辺に広げてからうたた寝が覚めるまでに撮った動画も youtubeへアップしたのだが、カメラ放置状態であったので1時間も半ある退屈なものである。宜しければ時折り行き来するフェリーや海上保安庁の監視船、磯辺に打ち寄せる波の強弱の変化などを観て欲しい。(カメラ前横切りオヤジの姿やヨッパライの声とゲップ部分はカット済)

安芸の小京都 竹原 045 的場の磯辺でうたた寝(2022 05 08)


 大潮の時期を少し過ぎてしまったが、高崎町の国道185号線沿いに大潮の干潮時にだけ姿を見せる干潟がある。場所は電発グランドからバンブー公園への出入口の区間の海岸沿いで、小吹から流れてくる内浜川の河口部分。今週初めに大潮であることが分ったが、干潮時に海沿いを訪れられたのが本日の18時前であったので、見えていた干潟の広さは少し狭くなってしまった。(2022/05/18撮影)

 その場所は国道沿いに車を停めて沖の阿波島が眺められる駐車スポット。土日や満潮時には釣り人が駐車スペースを独占しており、立ち寄ることは難しいが、本日の夕刻の干潮時には釣り人も干潟を訪れる人も居なかった。国道沿いにてこの特徴ある看板があるので分かり易い。
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 何のためにこのスペースか設けられているのかは分からないが、大抵は長時間車が置かれている場合が多い。
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 ガードレールから下を覗くと、大潮の干潮時だげこの広大な干潟を観ることが出来る。
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 土日に干潟が現れた際には、家族連れが潮干狩りをしているのを見かけたこともある。
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 だが、どこから下りれば良いのだろうか?階段が無いか探したが駐車スペースには見当たらなかった。
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 大乗側には八月末に「たけはら夏まつり花火大会」が行われる電発グランドが見える。今年の開催の有無は未決定のようだが、これまでは夏の帰省が盆までの期間であったので一度も観たことが無い。

一週間前に親戚の知人宅から引き取った古くて豪華なオーディオ機器一式。どうみても10年以上は使用されていなかったようで、この一週間、悪戦苦闘するも可動部がある機器類はゴム類が経年変化で固着して正常動作せず。幸いにも動いて欲しかったプリメインアンプと巨大スピーカーは、分解掃除や朽ちた部分をボンドで固めて修復して使える様にはなったので、部屋の旧オーディオを倉庫へ搬出してこれらと一斉交換。古さ特有の悪臭が部屋に漂うものの高音質のシステムを構築することができた。
 以下は部屋へアンプとスピーカー搬入前の引き取り機器一式。
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 100枚近いLPレコードとレーザーディスクもほぼ全滅。殆どがクラシック系と和楽器系だったが、1箱だけ映画音楽10枚セットがあった。再生してみると酷いパチパチ音で、聴いているうちに徐々に音質が劣化。レコード溝に生えたカビを針が掘り出して耳垢のように針に付着していたのが劣化の原因であった。レコード盤の水洗いと拭き取りで改善は見られたが、古本臭がするレコードジャケットや解説本は部屋には置けず倉庫の2階へ収納。その際に引っ越しダンボールを整理していて見つけたのが、この冊子『ふるさと荘野 2005』であった。
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 本冊子は「荘野ふるさと見聞録策定委員会」による編集で、平成17年(2005年)3月吉日に発刊。発行は竹原市で印刷は「(株)ぎょうせい」によるものである。「(株)ぎょうせい」とはまた懐かしい。定年まで勤めていた会社にて特許アイデア創出のため1980年代に「ぎょうせい」の製本工場へ全工程を見学させて頂いたのを思い出した。
 だが、いつなぜ関わりの少ない「荘野」のその地域だけに配られた冊子を入手していたのであろうか?冊子に挟まれていたチラシ類から回覧板と一緒に配られたもののようであった。

 本冊子はA4版で22ページのカラー印刷。著作上、中身をそのまま掲載することはできないが、興味深い記事の概要を以下に紹介しよう。

<発刊によせて>
 前省略~このたび、ふるさとの風土・自然・文化を次の世代に伝えるため、三世代による「ふるさと見聞録」活動を展開していき冊子「ふるさと荘野」を作成しました。この冊子がキラリと輝くふるさとの文化継承と再発見、また地域資源の保存・活用を促進し、ふるさとの魅力を後世に伝える一助となれば幸いです。~以下、省略。

1.荘野の産業・人物
 ・竹の里ふれあい広場・・・ワコー系スーパーのユースがあった頃の農家直販テントの様子が写真入りで掲載されていた。
 ・湯坂温泉・・・ 湯坂温泉郷の湯壺についての由来、簡保センターとホテル賀茂川荘が写真入りで紹介。
 ・池田勇人(総理大臣)・・・昭和27年に賀茂川中学校庭で演説する光景、郷土入りして1000億円減税をブチ上げる。
 ・菅脩二郎さん(郷土史研究の第一人者)
 ・小野静夫さん(屋根葺き名人) 
 ・わらぶき(藁葺)屋根
 ・秋田小夜子さん(鷲の森陶房)
 ・盛岡彬城さん(盆踊りの口説き名人)・・・荘野小太鼓演奏風景写真

2.荘野の歴史・文化
 ・横大道古墳群
 ・棟札と宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔
 ・和賀(小早川)神社
 ・牡丹積(ぼたんづみ)の石垣
 ・總都(そうず)八幡神社・・・神社名の由来が書かれていた。この地域を支配していた僧侶の階級に因んで僧都神社だったが、「僧」はふさわしくないということで総会で改称。
 ・伊勢両宮社 祭神天照皇太神豊受大神と神楽
 ・賀茂川の鮎漁・・投網の風景
 ・神明祭り・・・元は左義長という正月の火祭り。

3.荘野の風景
 ・和賀(小早川)神社の桜・・・荒れる前の写真あり。
 ・湯坂温泉の桜
 ・六神社の桜
 ・我がふるさと・・・木村城址から眺めた荘野の写真。
 ・西野町よの田万里方面を望む(昭和50年)・・・航空写真。
 ・忠魂碑の萵苣木(チシャノキ)
 ・龍見山 金剛寺
 ・竹原市立荘野小学校、創立100周年記念碑、学校の沿革
 ・紫雲山 善明寺
 ・竹原市立賀茂川中学校、学校の沿革
 ・行者山と行者堂・・・新庄町横大道にそびえる山
 ・新庄町松橋の棚田
 ・新庄町地区イルミネーション・・3世帯のイルミ夜景を写真で紹介。

4.『ふるさと紹介CMビデオ』づくり・・・賀茂中2年生による制作
 ・地域の歴史紹介・・・作成にあたっての意気込み
 ・私のふるさと・・・探索体験の感想
 ・木村城・・・からの展望
 ・CMづくり・・・の様子
 ・賀茂川・・・の清掃風景


 一番、興味深かったのは、あの12月から正月明けまでに見られる新庄町の風物詩「イルミネーションの競い合い?」である。年末の帰省時に河内I.Cから下りて国道2号線新庄交差点まで下る際に毎年見られた夜景である。一般家庭のようだったので敢えて写真は撮っていなかったが、本冊子にはカラーでしっかり3世帯の写真が掲載されていた。最近の状況は分からないが、年末年始に「かぐや姫号」で高速道へ行き来する際には葛子から横大道BSまでのイルミネーション夜景を見た覚えがない。また、和賀神社南側の友松産業にも豪華なイルミネーションが有ったが最近では灯っていないようである。電気代の安いLED時代になったのにあれ程の豪華なイルミネーションが見られなくなったのは残念である。

 以上、どうやら「荘野」の範囲は新庄町の一部と西野町を含んでいるようで、西野町に親戚が有ることから本冊子はそこから持ち帰った「竹原関連資料」だったようである。(平成17年時の帰省)

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