安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年05月

 二子玉川で開催された「まるごと広島博」の竹原ブースで買った「かりんとう」のおまけ「きんさい竹原!甘味券」が、未整理の引越ダンボール内から本日見つかった。店の人に驚かれるかもしれないけど、さぁ!これを持って近いうちに「茶寮一会」へ行くぞ!(2022/05/16発掘)
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 裏面にはイベントが開催された期間と場所が書かれていた。私が訪れたのは2019/11/17だった。
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 これが入っていたダンボール箱には懐かしい竹原グッズ?も多数見つかったので一部を紹介。

 先ずは的場の国道カーブにある「キッチンママ」の箸袋。2005年頃の帰省にて訪れた際に記念にと持ち帰ったと思われる。
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 次は中通の国道432沿いにある「手打さぬきうどん 長太」のマッチ。2000年以前のものと思われる。
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 そして最後に「堂面薬局」のマッチ箱。電話番号が「2-」なので昭和時代のものと思われる。
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 他にも竹原に因んだものではないが、1970年代の「平凡」や「明星」に挟まれていた歌謡曲本が数冊。1964年東京オリンピックの絵葉書セット。1970年の大阪万博のガイド本や1950年代の子供向け宇宙旅行本や真空管ラジオ組立本なども入っていた。

 賀茂川が決壊すると「道の駅たけはら」では浸水1m~3mとなる恐れがあると予測されている。個人的見解では、決壊の恐れが最も高いのは下野町の上条橋から親耕橋間を走る国道432号線沿いの護岸であろうか。これまでの豪雨災害では何度も復旧作業が行われ、R3年夏の災害でも国道の法面が壊れかけたようで、巨大な黒い土嚢を積み上げた仮復旧工事を終えた後に、現在は本格的な復旧工事が進行中である。
 工事区間を googleマップを用いて示す。賀茂川沿いに国道432号が走っており、土砂が高く積まれた護岸自体が国道として形成されているようである。上条橋から親耕橋の区間では賀茂川がS字カーブになっており、豪雨で賀茂川に濁流が流れることによってカーブ部分に水流が集中して護岸壁を削り始める。
 護岸壁が壊れると国道路面下の土砂が掘られて最終的には決壊し、先ずは下野町中通が水没して瞬時に竹原町全域も水深1m~3mの浸水となるであろう。
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 車載カメラで撮ったので工事名称は確認ができなかったが、S字カーブ部分にて長期の災害復旧工事が進行中である。災害直後から長らく仮処置状態であったが、今年になってから工事が再開されている。賀茂川の護岸が交通量の多い国道432号線であることから、片側通行にすると瞬時に1~2kmの大渋滞となる。仮処置中の片側通行では大福地橋からパルティフジ辺りの区間が大渋滞となったことからか、本工事では予め道路幅を東側へ寄せて軽いクランクに造り上げた迂回路的形状とし、寄せた部分の河川敷に重機が降りて復旧作業が行われている。これにより、片側通行をすることなく工事が進行できている。

 以下は親耕橋から上条橋間のS字カーブ付近である。(2022/04/28撮影)
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 以下は逆ルート走行時に撮った上条橋から親耕橋間のS字カーブ付近である。
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 工事の竣工日は確認できていないが、今年もR3年7月に発生した豪雨災害のような大雨が再び降るかもしれない。同時期までに強靭な護岸造りが完成されるのか、再び仮処置となるのだろうか。

 (仮称)竹原中央緑地広場の経過ばかり気にしている間に、その広場の近くに建つ創建ホーム旧本社ビルの解体が始まっていた。今年の3月末までは特に変化は無かったが、4月になってビル外壁に防音ネットが被せられ、徐々にビル中身から解体が行われていた。そしてGWが明けて暫く見ていなかった間に、屋根と最上階部分が消えていた。(2022/04/28~05/14撮影)

 先ずは以下が本日の状態である。ビル1階部分は駐車場のようで、2~5階と三角屋根の構造であったが、5階部分と屋根が完全に崩されて消滅していた。壁で中は目視できないが、上位フロア面に小型重機を載せて床面を砕いて除去、崩した瓦礫をスロープ状にして下の階へ下り、同様に床面を砕く工程を2階フロアまで繰り返す最新解体工法?かもしれない。
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 それでは防音ネットが張られてから現在までの経過。

・2022/03/31では未だ外壁には防音ネットは張られていなかった。
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・そして4月下旬頃に防音ネットが張られたことに気付く。(2022/04/28撮影)
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・各階の窓ガラスは取り外されており、室内を空っぽにする作業中?
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・国道からでは防音ネットが屋根まで隠されていて外観の解体状況は見えない。
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・GW中に「喫茶らんぷ」側の信号からなら進捗がよく分るが、屋根の有無は見えそうにない。
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・そして昨日の5月13日の雨に霞む中、屋根と5階部分が解体済みであったのが見えた。
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・本日、ナフコP側からはネットで隠れて何も見えない。
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・「喫茶らんぷ」側からだと、徐々に上位から崩されていく経過が見えそうである。
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 創建ホーム旧本社ビルが解体されて以後どうなるのかは情報を得ていない。唯一、中国新聞ネットに関連しそうな記事「本社社屋を竹原市に寄付の方針 創建ホーム、商議所移転先候補」(2022/03/29掲載)を見付けた。(全文読むには無料会員登録が必要)
 記事を要約すると・・・創建ホームが竹原市へ本社社屋と土地を「地域に恩返しをしたい」という思いで寄附。竹原市役所は老朽化した現庁舎を合同庁舎へ移転する計画があり、となれば合同庁舎内にある竹原商工会議所が玉付き的に他の場所への移転となる。その移転先の候補には2択あり、市が譲り受けた本社社屋を借りるか、民有地に新築を建てるかで、4月中に会議で決めるようだ。

 創建ホームの本社社屋だが、現在の本社の住所は創建ホーム竹原支店と同一。中国新聞記事での「本社社屋」とは竹原支店のことなのか?それとも現在解体中の創建ホーム旧本社ビルのことなのか?
 前者であれば本社社屋兼竹原支店ビルが竹原市への寄付物件&土地ということになり、創建ホーム本社と竹原支店は新たな別の場所へと移転となる。
 後者であれば、4月から既に旧本社ビルが解体中であることから商工会議所は当ビルは利用ができない。であれば、計画の決定が3月末以前には民有地への新築で決まっていたか、市が譲り受けた旧本社ビル跡地を借りて新築を跡地に建てるかとなる。どちらにしても憶測の域を出ない。

それでは恒例の「在りし日」の写真である。


 先ずは、現在の創建ホーム本社兼竹原支店となる前のデパート福屋竹原支店であった頃のビル。(2009/08/02撮影)
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 続いて現在解体中の創建ホーム(旧)本社ビルで未だ現在の場所へ移転前である。(2013/03/22撮影)

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 そして福屋竹原支店ビルが現在の創建ホーム本社兼竹原支店に改築中。(2013/03/22撮影)
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 旧福屋ビル改築が完成して創建ホーム本社兼竹原支店となった頃。(2014/09/15撮影)
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 創建ホーム旧本社ビルが解体された跡地はどう利用されるのであろうか。(仮称)竹原中央緑地広場の隣りに有る市営駐車場にビル跡地が隣接していることから、ここが市へ寄付された土地であれば色々と市営として利用価値が有りそうだ。

 これまでのブログ記事に何度か登場した「ぶどう園の一本道」、複数の写真や地図の表現ではその「果てしなさ」が実感できなかったことから、今回は実際に自動車で走ってみて動画を撮影した。(2022/05/08撮影)

 走行コースは赤矢印による皆実橋(賀茂川)からスタート、軽自動車でさえも狭すぎる幅員の県道464号を東へ進み左折すると一本道の最南端となる。ここから国道185号への出口までがほぼ直線状の「果てしない一本道」で、国道から折り返して元に戻るコースを黄矢印で示した。
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 その動画を youtubeチャンネルへアップロードしておいた。

安芸の小京都 竹原 044 ぶどう園の果てしない一本道(2022 05 08)


 この一本道、若い頃にぐっすり眠れない時の夢に何度も登場していた。最南端から一本道のバニシングポイント(消失点)を眺めながら歩くのだが、いくら歩いても終点に到達できず途方に暮れていると目が覚めるのである。どっと疲れるこの「悪夢」に出てくる映像は、いつもこんな感じてあった。カラーなのだが薄暗く色褪せていてクマ蝉が騒がしく鳴いてるのだ。
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 自分の迷えるこれからの将来に悩んでいたのであろうか・・・。最近は「一本道」を見なくはなったが、都内の電車に乗り継いで下車するとハチの干潟であったり、やたらに複雑な階段を何度も無駄に昇り降りしている夢を見る時がある。だが、電車や階段は「悪夢」ではなく、目覚めて時計と明るい窓を見みれば「スッキリ」と気分爽快で元気ハツラツになれるのである。

 これは「道の駅たけはら」の2階で先月購入したアトム(忠海)の手袋「ケミソフト・ストレッチ」である。親戚の知人(安芸津町在住)が不要となったオーディオ機器各種とレコード類を容易に廃棄できずに困っておられるとの事で、不要ならばと私が引き取ってロハ(只)で譲ってもらうこととなった。その引き取りの際に作業手袋が必要になりそうと事前に購入しておいたものである。(2022/04/24購入)
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 知人宅を訪れる前に聞いていた話では、スピーカー1組のそれぞれが幅60cmx高さ約1mx奥行50cmの木箱と超巨大らしく一人では到底抱えられない代物らしい。そこで、2人がかりとなるため親戚と一緒に軽トラで知人宅を訪れることになった。
 到着して屋内に入るとビックリ。豪華仏壇サイズぐらいもありそうな巨大スピーカーが2本、豪華なプリメインアンプ、小型のダイレクト・ドライブ式&リニア・トラッキング式レコード・プレーヤー、FM/AMチューナーと懐かしいLDプレーヤーであった。これらに加えてクラシックや映画音楽のLPレコードとLD(レーザーディスク)が50枚程度、何れも長らく使用されておらず、機器類は埃まみれと経年劣化による樹脂の黄ばみ変色、レコード類は古本市の臭いがしていた。
 いよいよ屋内から軽トラへの搬出だが、スピーカー1本の重量が40kg~50kgはありそうで、2人がかりで軽トラまでやっとのことで移動。スピーカーを含め引き取り品全てを抱える際に非常に役立ったのがアトムの手袋「ケミソフト・ストレッチ」である。掌に装着感が少なく薄くて完全フィットして、捲れたりズレたりすることなく安全に持つことが出来た。装着したまま車のハンドルを持っても違和感無しの逸品であった。

 アトム手袋といえば先ず思い出すのが、私が幼少の頃に母親が内職でアトム手袋の軍手指先編みやゴム手袋の下生地仕上げをしていたことである。また、1998年頃に千葉の幕張メッセで開かれたDIY見本市にアトムが出展した際に撮った写真をホームページに載せたことで、アトムから以下の新製品の試供品やカタログなどを頂いたこともあった。
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 ちなみに今回、引き取ったオーディオ機器であるが、プリメインアンプは分解掃除と接点不良の復活で問題なく動作可能となった。埃まみれで変色していたチューナーはチューニング針の照明が光らず分解してみたところ接触不良を見付けて復活。NHKやRCCが受信できるようになった。そして巨大スピーカーであるが、38cm径のウーハーと10cmスコーカにツイータのセット、ケーブルも高価なものらしく複数のリード線を編んだものであった。
  •  プリメインアンプ:ソニー製F333ESJ(黒)(1992年製造 当時価格9万円)
  •  スピーカー(1対):ソニー製 SS-G7(1975年製造 当時価格12万8千円×2本)
 テクニクス製のレコード・プレーヤーは残念ながらまともに動作せず、分解してみるとモータのゴムベルトが劣化して固着。ゴムを仮交換してみたがレコード溝を検知するセンサ回路が不良なのか、自動平行移動式のアームがレコード上を迷走。何度か分解しているうちにとうとうモータが回らなくなった。同社下級製品を現在使用しているので修理は見送ることにした。なお、ソニー製のレーザーディスク・プレーヤーはLDをトレイに乗せてローディングさせると数秒後に自動排出してしまう。これもゴムベルトの劣化やセンサ回路不良(コンデンサ容量抜け?)が原因と思われるが、LD盤は自宅にも10枚以上あるので落ち着いたら分解修理してみる予定である。

 高価(当時)で豪華なアンプとスピーカーが手に入った事で、自室兼寝室を豪華なオーディオルームにしたいのだが、シングルベットや電子ピアノなどを置いた4畳スペースしかなく、さてスピーカーの置場がどうなることやら。先ずは50kg近いスピーカーをどうやって倉庫から自室まで運び入れればよいのだろうか・・・その際は親戚が抱えに来てくれるとのことだが、またアトムの手袋「ケミソフト・ストレッチ」が大活躍しそうである。

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