「たけはら三の市~えん~」では初代郵便局跡もイベント会場として無料見学ができた。私が竹小時代にはここが「旧郵便局」であったことは知らず当時は空き家では無かったような覚えが有り、どこにでもある古い一般の建物程度の印象しかなかった。
そしていつしか木箱製の書状集箱(ポスト)が置かれて、ここが初代郵便局であったことがアピールされ始めたような気がしている。ここは毎年の「竹まつり」でも開放はされなかった(されていれば入っていた)が、「憧憬の路」では無料開放されていた年もあったようである。
「~えん~」にてここは消しゴム版画とプリザードフラワーの体験教室の会場になっており、私にとっては初めての建物内部への「潜入」となった。(2022/10/16撮影)
ここが「上吉井邸」であったことを知ったのはここ最近であり、向いの吉井邸(屋号:米屋)の分家にあたり、「上米屋」や「上吉井」と呼ばれていたらしい。中へ入ってみると広い土間になっており、意外に明るくて驚いた。
土間の上には重厚な梁が何本も見えた。
ここは台所だったようだ。
再び梁を撮ると「たまゆら」らしきものが写り込んでいたが、この度買ったカメラ撮像素子部が焼けているようである。(別の梁写真と全く同じ位置に発生)
西方寺への路地沿いにある「開かずの格子戸」がこれ。
平成27年の「憧憬の路」で一般公開された名残りを見つけた。
これが見学記念のスタンプ。ここは「上吉井邸」であり「上米屋」であった。
上写真を加工して紙に押したスタンプを再現してみた。
ここが初代郵便局(郵便取扱所=竹原下市郵便局)になったのは明治初期の頃で、昭和9年に本川沿いへ移転されるまでは郵便業務の中心的な存在であり、2階は電信電話事務所として利用されていた期間もあったようなのだが、その歴史よりも私が興味をそそられるのは「本川沿いへ移転」した場所が一体何処だったのかである。
そしていつしか木箱製の書状集箱(ポスト)が置かれて、ここが初代郵便局であったことがアピールされ始めたような気がしている。ここは毎年の「竹まつり」でも開放はされなかった(されていれば入っていた)が、「憧憬の路」では無料開放されていた年もあったようである。
「~えん~」にてここは消しゴム版画とプリザードフラワーの体験教室の会場になっており、私にとっては初めての建物内部への「潜入」となった。(2022/10/16撮影)
ここが「上吉井邸」であったことを知ったのはここ最近であり、向いの吉井邸(屋号:米屋)の分家にあたり、「上米屋」や「上吉井」と呼ばれていたらしい。中へ入ってみると広い土間になっており、意外に明るくて驚いた。
土間の上には重厚な梁が何本も見えた。
ここは台所だったようだ。
再び梁を撮ると「たまゆら」らしきものが写り込んでいたが、この度買ったカメラ撮像素子部が焼けているようである。(別の梁写真と全く同じ位置に発生)
西方寺への路地沿いにある「開かずの格子戸」がこれ。
平成27年の「憧憬の路」で一般公開された名残りを見つけた。
これが見学記念のスタンプ。ここは「上吉井邸」であり「上米屋」であった。
上写真を加工して紙に押したスタンプを再現してみた。
ここが初代郵便局(郵便取扱所=竹原下市郵便局)になったのは明治初期の頃で、昭和9年に本川沿いへ移転されるまでは郵便業務の中心的な存在であり、2階は電信電話事務所として利用されていた期間もあったようなのだが、その歴史よりも私が興味をそそられるのは「本川沿いへ移転」した場所が一体何処だったのかである。