安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年10月

 「たけはら三の市~えん~」では初代郵便局跡もイベント会場として無料見学ができた。私が竹小時代にはここが「旧郵便局」であったことは知らず当時は空き家では無かったような覚えが有り、どこにでもある古い一般の建物程度の印象しかなかった。
 そしていつしか木箱製の書状集箱(ポスト)が置かれて、ここが初代郵便局であったことがアピールされ始めたような気がしている。ここは毎年の「竹まつり」でも開放はされなかった(されていれば入っていた)が、「憧憬の路」では無料開放されていた年もあったようである。

 「~えん~」にてここは消しゴム版画とプリザードフラワーの体験教室の会場になっており、私にとっては初めての建物内部への「潜入」となった。(2022/10/16撮影)
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 ここが「上吉井邸」であったことを知ったのはここ最近であり、向いの吉井邸(屋号:米屋)の分家にあたり、「上米屋」や「上吉井」と呼ばれていたらしい。中へ入ってみると広い土間になっており、意外に明るくて驚いた。
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 土間の上には重厚な梁が何本も見えた。
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 ここは台所だったようだ。
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 再び梁を撮ると「たまゆら」らしきものが写り込んでいたが、この度買ったカメラ撮像素子部が焼けているようである。(別の梁写真と全く同じ位置に発生)
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 西方寺への路地沿いにある「開かずの格子戸」がこれ。
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 平成27年の「憧憬の路」で一般公開された名残りを見つけた。
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 これが見学記念のスタンプ。ここは「上吉井邸」であり「上米屋」であった。
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 上写真を加工して紙に押したスタンプを再現してみた。
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 ここが初代郵便局(郵便取扱所=竹原下市郵便局)になったのは明治初期の頃で、昭和9年に本川沿いへ移転されるまでは郵便業務の中心的な存在であり、2階は電信電話事務所として利用されていた期間もあったようなのだが、その歴史よりも私が興味をそそられるのは「本川沿いへ移転」した場所が一体何処だったのかである。

 本日は自宅の浄化槽定期点検(広島県)があるため、どこへも出掛けられず自宅待機で一日が終わってしまった。市内業者による管理は年2回の点検と浄化槽の清掃があり、その実施履歴の確認と独自点検が年に一度広島県によって行われているのだが、今年の当初の指定日は9月初旬であった。業者の実施履歴を見せたところ、浄化槽の清掃が8月に行われて綺麗になってしまい汚れ度の測定ができないとのこと。
 清掃後から少なくとも1ヶ月以上間を空けての再点検が必要とのことで出直しとなり、それが本日10月25日に指定され、時間指定はできないとのことで朝から待たされて15時半実施となった。
 9月に点検日が指定される前に事前に清掃をした日の確認連絡が有れば、今回のように2度も自宅待機をする必要は無かったはずである。
 
 ・・・・ということで、自宅待機中に行っていたのが倉庫の整理。倉庫内には魔改造した昭和レトロラジオの他に、更に古い昭和レトロな木製キャビネットの真空管ラジオが2台あり、このまま眠られておくのは忍びないので、これらも同様の魔改造を施す準備を始めた次第である。

 レトロラジオの魔改造では「MP3プレーヤー」を内蔵するかるのだが、もしも、昭和レトロなテレビがあれば、筐体からブラウン管と電子回路を取り除き、代わりに内部にパソコン用ディスプレイとパソコンをそのまま入れ込む魔改造をやってみたい。ただ、ブラウン管は画面が凸形ガラスなのに対して、ディスプレイは平らなのが「レトロ感」を失せてしまう最大の欠点。湾曲したガラスは手に入らないし、映す映像も湾曲させる必要が有るので難易度が高い。
 そこで考えたのが、地デジになる寸前まで使われていた映像端子付きの14インチ程度のブラウン管テレビ(平成レトロテレビ)の存在。この中身を昭和レトロテレビの筐体へ移植できれば、ブラウン管の湾曲をそのまま再現できるのである。我が家に有った平成レトロテレビ6台は帰郷時に廃棄してしまったが、親戚には未だ残されているのてある。あとはどこかで昭和レトロテレビの筐体を探すだけだ。

 前置きが長くなってしまっが、その「昭和レトロテレビ」を最近見付けたのが、旧笠井邸の隣りの車庫に展示?されていたこれである。(2022/10/16撮影)
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 かなり前から車庫隅に置かれていたのだが、「~えん~」イベントの日にこのように見える場所にお目見え。
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 背面を撮らなかったので製品型番は不明だが、撮った写真からビクター製の「GIANT SERIES」であることは分かった。だが、これだけの情報ではネット検索では何も得られなかった。
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 これには外観から真空管のみの回路であり、「チャンネル」にVHFの1~12しか無いことから、昭和30年代のモノクロ(白黒)型製品と思われる。40年代初期であれば1と12の間に「U」があり、UHFチャンネルへ切り替える仕組みになっているハズ。40年代後期であれば「トランジスタ」や「IC」を併用した回路であることを示す文字板が目立つ場所に取り付けられているであろう。いや、既にモノクロ製品は消えてカラー製品へ移行していたであろう。

 このような4本足のリアルな昭和レトロテレビ、ぜひ魔改造を施してみたい。

 前回、的場山の三鬼神社を参拝したのは2020年夏だった。その約半年後、的場公園からの登山口?に「こいのさんぽみち」へのガイドが各所に追加され、鳥居から南側への獣道が整備されて「111mロード このさんぽみち」が絶景スポットとなった。
今回はそ的場公園から三鬼神社への参拝と的場山最南端にある撮影スポットまでのトレッキングを動画撮影したので紹介する。(2022/10/23撮影)

 ここが「知る人ぞ知る!?的場山の三鬼神社(さんきじんじゃ)」である。的場山は徐々に観光地として整備されており、登山道はいと登っても雑草や無駄な樹々が伐採されているようだ。
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 スタートは的場公園の渚橋から。
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 比較的なだらかな登山道を数百メートル歩けば、この鳥居に前の広場に到達できる。
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 そして鳥居を潜って石段を登れば三鬼神社の境内。以前とは異なり、周囲の西側にあった樹々が伐採され瀬戸内海の島々や吉名町の海沿いが眺められるように整備されていた。
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 ここでの「特別な許可を頂いて撮影をする」ためにそれぞれの御神体に参拝。
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 鳥居脇がタイムラプス動画撮影に最適であったので、先に最南端を訪れることにした。
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 鳥居前の広場も綺麗に整備されており、「まとば三鬼公園」と名付けられていた。
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 公園には記念撮影用の顔出し看板が多数設置されていた。
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 こちらはパ・リーグ。
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 隣りがスライリー。
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 その隣がセ・リーグ。
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 その隣に「たけはら 背番号185番」とカープ風ロゴのヘルメット。
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 その隣が「111m こいのさんぽみち」への入口。ここから下りて111mで最南端へ到達する。
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 そしてここが最南端の撮影スポット。
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 前回撮った際の看板と比べて見て欲しい。

 左側の看板は「恋の散歩道記念」から「ふたりのきねんしゃしん」となり・・・
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 右側は「二人だけのべんち なにはなそかな♥ふたりはわかい たのしいね♥」がこうなっていた。
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 そしてハート頭にはカープもどき帽子が被されて、僅かな空白に来訪者のメッセージが書かれていた。
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 裏に書かれていた旧メッセージは真っ白に塗り直されて、新たなメッセージが書かれるのを待っていた。
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 あれっ?この一言も変わっている。「わたしらはこいをしてるのかな」だった。
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 最後にここからの眺めと・・・
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 111m途中から見えた高崎方面。
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 どうやら「恋の散歩道」は「の散歩道」も兼ねているようだ。

 渚橋から三鬼神社で参拝をして最南端を訪れるまでの動画をアップロードした。

安芸の小京都 竹原 064 的場山の三鬼神社へ(2022 10 23)


-以上-

 本日午後は、的場公園の防波堤に折り畳み椅子を置いて小一時間のうたた寝。その後、的場山の「こいのさんぽみち」をトレッキングしながら山頂にある三鬼神社を参拝。前回訪れた時は樹々が茂って眼下の景観は殆ど観ることができなかったが、鳥居手前の広場を含めた整備が施されており、15時半から17時過ぎまでの日没に照らされた海の輝きを動画も含めて鳥居の脇から撮ることができた。(2022/10/23撮影)

 以下が今回のベストショット。デジイチの「夕日」モードで撮ったので夕焼けが強調されているが、肉眼で見えていた感動的な景観はこんな感じであった。
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 これが日没前のリアル(無加工)な撮影写真だが、オレンジ色に輝く海面の再現が肉眼とは異なって物足りない。
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 16時頃のベストショット。
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 竹原港から出てくるフェリーを灯台手前で待つフェリー。キラキラ光る謎の漂流物が右舷へ近づいており、突然スクリュー停止&後退したので「あわや事故!?」と思われたが、その真横を小型船が何事も無かったように通過。この後にお互いの汽笛の合図ですれ違っていった。
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 山頂にある三鬼神社の境内からだと眼下には的場西海水浴場の突堤と竹原港の灯台突堤が眺められる。
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 突堤上には釣り客は居なかったが、突堤内にはダイビング?をしている人影が見えていた。
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 16時50分頃になると海面も夕陽色に輝き始めた。
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 そして17時10分頃には巨大な夕陽が山へ沈み始めた。
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 鳥居前にムービーカメラを据えて16時過ぎから17時半日没過ぎまでのタイムラプス撮影も行った。
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安芸の小京都 竹原 063 的場山からの沈む夕陽の眺め【タイムラプス撮影】(2022 10 23)


-以上-

以前から気になっていた町並み保存地区中程に在る古民家の再生中現場。場所は旧佐倉酒店(現在の「瀬戸内醸造所 竹原直売所」)と「花みづき」の挟まれた一般の古民家。これまで隔週で屋内解体から改築などが行われており、10月1日にグランドオープンして毎週土日に各種イベントや内覧会が催されていたようだ。
 今回、10月16日(日曜)に開催された「たけはら町並み三の市~えん~」でも内覧ができたので、オーナーの『舞書家Chad.(まいしょか ちゃど)』さんに撮影許可を頂いて全室を廻ってみた。(2022/10/16撮影)

 場所はここ。これまでは閉じられた格子戸から改築の様子がチラリと見えていたが、仮称『 竹ノ○ F∞(たけのわ ふー)』から正式名称『古民家宿&アトリエ TAKENOWA 風』としてグランド・オープン。
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 これまで気が付かなかったが、二階の塗籠格子の重厚感。これまで一般住居だったが、元は商家であったのだろう。
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 嬉しいことに消えつつあるなじみ深い「上市区2組」の札が残されていた。
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 『TAKENOWA - F∞!』の由来は・・・

竹ノ○
  • 竹の輪/輪は人の繋がり
  • 竹の環/環境にこだわった宿
  • 竹の和/世界の平和を願う
F∞
  • ふうっ/一息つける
  • 風/風通しの良い場所
竹ノ○ F∞
  • 竹のワをつくり
  • そこに風を通す
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 この日は屋内にて以下(貼り紙)が販売されていた。
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 格子戸を潜ると左手には販売カウンターがあり、真正面からの眺めは和テイストなアトリエ。
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 靴を脱いで更に奥の部屋へ。
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 これはオーナーの書によるものであめう。
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 更に奥には中庭と離れに洗濯場と浴室(風呂場のほうがしっくりくる)がある。
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 中庭からは西方寺の鐘楼と普明閣の擬宝珠がチラリと見えていた。二階の窓からならば全景が見えるであろう。
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 風呂場を覗いてみると巨大な鉢。鉢の周囲には「風」や「竹の〇」などが描かれていた。
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 シャワー付き水栓も完備。
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 中庭手前から二階へ。
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 上がって見たらイベントやワークショップ用なのか広大な板の間。
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 通り側の窓は元々のガラス窓を残していた。
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 部屋の隅の壁には協力者の寄せ書きであろうか・・・
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 部屋の対角隅にはソファー。
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 奥隣りは寝室を兼ねた宿泊部屋。
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 更にその奥にも、もう一部屋。
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 階段傍にはロフト風に梁が貫く部屋もあった。
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 1階へ戻る。
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 この「陽」も舞書家Chad.さんによる書。
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 部屋の隅に残された土壁に超希少価値がありそうな広告。三原、尾道、大阪などの商店の広告であり、やはりこの古民家は商家であったようだ。
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 色々とオーナーと話してみたかったが、来客との対応中であったのでまたの機会に。屋外へ出てみると「本町通り」は観光客やイベント来訪者で賑わっていた。
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-以上-

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