2019.12.08
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#01-02:賀茂川の切り抜き(2017/05/17撮影)

 これらの写真が賀茂川の切り抜きであるが馴染みがない名称である。だが「ハチ」とか「賀茂川の入り江」ならば「はいはい」であろう。どうやら賀茂川の切り抜きが正式な場所名のようだ。まだピンとこないとお嘆きの貴兄には標準のアングルで撮ったこの写真ではどうだろうか。
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#03:賀茂川の入江(2016/08/10撮影)


 これならば竹原通であれば納得であろう。

 マッサンの記事で紹介した迎賓館の建築が頓挫したのが向かって右側の山の上の上である。オイトコ山の記事で触れたが、元々ここは横島という左右つながったひとつの島であり、後に入り江となって今では左右どちらも南島という名に変っている。 この辺りの旧地名は皆実(みなみ)だが南島と何か関係があるのだろうか。

 さて賀茂川の切り抜きだが、太古の竹原町は大広苑辺りから南は海の底だった。その海に有ったのが丸子山、オイトコ島、コイトコ島とこの横島である。徐々に干拓され新開地区となって塩田が形成されていく過程で、横島の片側が多井新開の干拓で賀茂川の海への流れが堰き止められ、直角に明神方面へ抜けて出るようになった。だが、賀茂川の淡水が塩田濃度を薄めてしまうことから、流れを元に戻す大規模な工事「賀茂川の瀬替え」が江戸時代に行われた。これは横島へ海まで貫通するトンネルを掘って淡水を排出させるものである。

 この工事は難航した。2本のトンネル工事が行われたが片方のトンネルが2度にわたって崩れたことで仕方なく横島を切り抜いたのが、ここ賀茂川の切り抜きである。賀茂川だった場所は干拓されて皆実新開と吉崎新開となった。現在、ここは神田葡萄園となっている。

 その皆実新開から吉崎新開がこれらの写真である。小高い山が横島(現在は南島)であり、その向こう側がハチの干潟である。 
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#04-06:皆実新開と吉崎新開(2017/05/02撮影)
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#11:皆実新開と吉崎新開(2017/05/02撮影) 


 そして反対側は、迎賓館ができる予定だった小高い山から賀茂川の堰き止めとなった多井新開である。
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#07-10:多井新開(2017/05/02撮影)

 

  以上が賀茂川の瀬替え工事の回避策でできた賀茂川の切り抜きであるが、分かり易く国土地理院のフリーマップを使って図で説明する。

 1660年頃、多井新開の干拓で賀茂川が堰止められ塩田の塩分濃度が薄まる。そこで1742年から横島に2つのトンネルを掘る工事が始まる。だが崖崩れで片方のトンネル工事が難航して開始から32年間かかって賀茂川の瀬替え工事が1774年に完了した。ところがその直後にまた崖崩れで片側のトンネルが崩落してしまう。
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#map05:多井新開干拓(出典:国土地理院ベース)


  とうとうトンネル工事を断念して崩落した部分の横島を分断する賀茂川の切り抜きを施した。その頃は吉崎新田の干拓も完了していた。
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#map06:賀茂川の瀬替え完了(出炭:国土地理院ベース)

  そして皆実新開の干拓が行われ吉良埼新開(多井新開の海側)、横島の尖った明神周辺、後に三井グランドとなる新浜とフェリー乗り場辺りの北崎新開ができて現在の地形に近くなる。これにより賀茂川の淡水は塩田への流入が無くなり、干拓した吉崎新開と皆実新開を田畑にすることができたのである。
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#map08:皆実新開の干拓(出典:国土地理院ベース)


 その後に吉崎新開と皆実新開は数々の苦難を乗り越えながら徐々に広大な神田葡萄園となっていく。干拓地の土壌に強い新種のブドウ種を開発して全国展開の功績をあげて神田白赤ポートワインなどの生産を始めたが挫折、寿屋(現在のサントリー)とのけいやくに成功してワイン用の葡萄に採用され皆実新開へ寿屋竹原工場ができる。最近、葡萄園の関係者から聞いた話では、ここから出荷された竹原葡萄があの有名な赤玉ポートワインになっていたようだ。その頃、葡萄の出荷で使用した木箱も倉庫に現存しているとのこと。この竹原葡萄の採用には寿屋社員であった竹原出身のマッサンが大きく関わったことは言うまでもない。

 

 なお、神田葡萄園の寿屋竹原工場とその倉庫は現存しているのだが、外見に特徴が無かったからだろう帰省時には写真を撮らなかったようだ。話が賀茂川の切り抜きから反れてしまったので別記事で紹介するとして他の賀茂川の切り抜き写真の紹介をしよう。

 

 賀茂川の切り抜きからハチへ徒歩で行くには横島(南島)の山道を超えていくか、大潮の干潮時に川岸を滑り落ちぬよう渡るしかない。山越えの場合は途中にある墓地の点在を10分間我慢すれば海岸へ到達できる。川岸は岩肌から滑り落ちれば深緑色の川底に引きずり込まれる。なぜここが観光対象外なのかが、これでお分かりであろう。アニメでプチ秘境候補ではあったが採用されなかったのも危険だからである。
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#b0-b03:賀茂川の切り抜き(2017/05/02撮影)

 

 大潮の干潮時になるとハチ岩まで歩いて行ける干潟となる。見ての通り大潮が引けば浅くなるので岩肌につかまって渡ることは不可能ではない。地元の者であれば貝掘りはここから渡るの通常であった。

  向こうに見えるのは竹原域ではない契島(ちぎりじま:地元ではチキリと呼ぶ)である。たとえNHKの取材班が「特別な許可を得ています」にするので入島させなさいと要求したとしても、東邦亜鉛の関係者でない限りはここを訪れることはできない。
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#c01-c06:賀茂川の切り抜き(2013/12/30撮影)

 

  これは遥か向こうに賀茂川の切り抜きが見える満潮時の賀茂川である。この辺りの寒さ凍みる真冬の景色はいつもこんな感じである。
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#d01-d03:賀茂川の切り抜き(2013/01/01撮影)

 

 これは賀茂川の切り抜きに架かる皆実橋の架け替え後の景色である。橋が新しくなっても車重1トン制限は変らなかった。マイカーが1.5トンだったので渡れずに切替して引き返している。
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#e01-e02:賀茂川の切り抜き(2012/05/01撮影)

 

 これは新しい皆実橋への掛替工事中である。工事完了まで皆実新開と多井新開を行き来するには1本先にある西小横の橋か国道185号の経由となっていた。デジカメでの旧皆実橋の撮影はいくら探しても見つからなかった。ハチを撮る時に有りがちなのが、橋の上から撮って満足してしまい橋自体は撮らず仕舞いとなること。
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#g01-g03:賀茂川の切り抜き(2009/08/06撮影)

 

 これはその西小横の橋の上から撮った賀茂川の切り抜きである。ここでも橋自体を撮らず仕舞いで橋名が分からなかった。
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#h01-h02:賀茂川の切り抜き(1998/08/06撮影)

 

 これで最後、カシオQV-10によるデジカメ最古の賀茂川の切り抜き、たった1枚の写真である。フィルム撮影もしていた記憶は有るのだが、それも有りがちな橋の上からのみのアングルであろう。
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#h03:賀茂川の切り抜き(1998/01/01撮影)