2020.03.04

 保存地区で雨風に晒され朽ち果てて行く「江戸時代の下市村絵図(部分)」を前回確認したのは2017年GWだった。それから約3年が経過したが劣化は更に進行していた。僅かながらも全体的に色味が残っていたが、右端の茶色が残るのみとなり、赤い文字は判読不能な状態まで消えかけている。一時的に修復されているようだったので、どこかへ移されていることを期待していたのだが、それももう望みは無さそうである。
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#01-02:「江戸時代の下市村絵図(部分)」(2020/02/22撮影)

 以下が版画の元となった「紙本著色竹原絵屏風」の図である。本川傍の左下に緑色の部分があるが、ここが現在、番屋橋がある場所である。昭和30~40年代には橋名などは無く、丸太に枕木を渡した橋だった。朽ちて穴が開いた部分へは「ヱビスビール」の木看板が打ち付けられていた記憶が有る。現在はコンクリートの橋となり、お地蔵様の祠があるが、ここには周囲4m程の巨大な楠があり、その祠の神木的存在であった。1970年代に楠は切り倒され、傍に有ったぶどう園が徐々に更地となって戸建住宅とアパートが建てられたのである。その楠がこの絵の緑色の木であり、その横の建物が番屋なのである。因みに中央に渡る橋が山陽橋で右隣りが渡る逢橋である。江戸時代にはこの2本の橋しか無かったことが絵から分かる。(註:町名や橋名は誰かが後から追記したものである)
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#03:道の駅にて写真展示の紙本著色竹原絵屏風(2020/02/24撮影)