2020.03.11

 昨日に「磯宮」か「礒宮」かで記事を書いたが、どうもそれが気になって仕方がない。これまで見てきた資料(地図、写真集等)では全て「礒」であり、ウェブログやツイッター等では「磯」が多く使用されていた。だか竹原の歴史資料の最高峰といえる「竹原市史」の全てが「磯」となると、単なる誤記?ではないはずである。これは西方寺の石段が76段なのか、門の敷居石を含めて77段なのか、敷居石の桟を含めて78段なのかの拘りに近い事象である。そこで気が付いたのが礒宮八幡神社の鳥居に掛けられた額である。これに書かれているのが正しい名称のはずであり、先月の帰省で厄除祈願の幟を撮った写真の額を拡大してみた。
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#01-02:磯野宮八幡神社の鳥居(2020/02/23撮影)

 ご覧の通り「礒」となっている。磯の近くへ建立当時は「磯」が使用されており、数百年もの歴史を経て現在の場所へ遷宮された時に「儀」となったのかもしれない。額に加えてもうひとつの確証を見付けたのが玄関に貼られたままだったこれである。確証としては他にも自動車へ貼るステッカーや交通安全の御守り、宮司記載による礒宮八幡神社の紹介チラシ等も有るのだが、既に引越荷物へ仕舞い込んだので今更開梱したくはない。
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#03:礒宮八幡神社の御札