昨日のブログ記事で紹介した「たけはらの神仏を訪ねて」の出番である。以前の記事で触れた「てつや河」の石標横に地蔵尊があることから、さっそく本書の竹原地区章を捲ってゆくとP34に「鉄矢橋 地蔵」が載っていた。俗称は「てつやばし・石標」で、所在地は鉄矢橋屋敷地内で元料理店「うきよ亭」の前、昔は商店が多く賑やかで人通りもあり事故防止の地蔵菩薩と解説されていた。
 これにより、「てつやばし」とは「鉄矢橋屋敷」に由来した名であることが判明。また、私が99年当時に何かの資料で調べて書いた旧HP記事「0395 #6 てつや河とは?」の・・・・
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 この「てつや」とは「徹夜」ではなく「鉄屋」のことである。 昔、このあたりは町工場の数が多く、板金を打ち抜いたり、鋳型に鉄を流し込んで機械や器具を製造していたことから、通称「てつやまち」と呼ばれていたらしい。 現在もその名残を残す町工場が残っており、鉄くずが錆びた水が路上のコンクリに染み込んで茶色になっているところがある。 橋の名前はわからないが、無難なところで「てつや橋」といったところであろう。
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・・・とは相違があることから、お馴染みの昭和55年の市街地図を確認してみると、元料理店「うきよ亭」は「きよ常食堂」になっており、由来の鉄矢橋屋敷は既に無くなっていた。また、この付近に前田鉄工や橋本鉄工があり、「鉄屋」との関係も何かありそうである。

 ということで「てつや河」という名称が正しいかは確定できていないが、内港へ流れ出る入江に架かる橋が「てつや橋」であったことは間違いなさそうだ。

 少し前に河川に架かる橋の欄干に「てつやばし」と書かれたものが無いか探してみたのだが、以下の写真で分かるよう「橋」というレベルの物は無かった。(2021/04/11撮影)

 河川が黒浜側から直角に曲がっている場所が「橋」になってはいるが、欄干ではなくガードパイプのみ。大石地区の危険区域地図もこの通り色褪せて参考にはならなかった。
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 ここで新たな発見、この「橋」の曲がり角にある「竹中酒店」。酒店にしては家屋が奥へと巨大すぎる。前述の市街地図を確認すると「竹中酒造場」と書かれており、どうやらここにも醸造所が有ったようである。
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 直下機に曲がって突き当りが「てつや橋」で、内港側へと川沿いを進んでみる。
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 河川途中の中程へ東幼稚園側から合流しているのが、以前に書いた「楠谷川」である。
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 中程から振り向くとこんな感じ。
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 内港側はこんな感じ。鉄矢橋屋敷跡に「うきよ亭」となり、後に「きよ常食堂」だった場所はポンプ設備になっている。
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 そしてこれが「てつや河」?と彫られている石標と地蔵尊である。
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 この石標だが、裏面を覗くと元々は橋の欄干の柱であったことが分かる。旧道が国道化され桟道になったことで、「てつや橋」が撤去され、その名残りとして欄干の一部が地蔵尊と一緒にここへ残されたのであろう。
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 さて、気になるのが「鉄屋」ではなかった「鉄矢」や「鉄矢橋屋敷」なのだが、どうやっても「金八先生」しか出てこないネット検索では探せなさそうだ。