田万里の国道2号が片側2車線になる辺り、遥か左手に白い建物と大きな看板「骨董」が見える。この看板には控えめ?に屋号らしき「珍古堂」と書かれているのだが、どう発音して良いのか未確定のままである。その「珍古堂」は後ちに「リサイクルショップ・ハイカラさん(旧珍古堂跡)」となっており、現在も国道から見える看板自体が「珍しくて古い骨董品」となってしまったようだ。

 今回はその「珍古堂」の看板がある白い建物の傍まで訪れてみることにした。(2021/07/27)

 先ず、ここへは江戸時代にインドから寄贈された像が歩かされた旧山陽道(田万里宿)の田万里川沿いへ行かなければ゛到達できない。広島方面への国道2号線から田万里川沿いへ下る反れた道は何箇所か有るのだが、登坂斜線?から一瞬にして反れて出るには慣れないと難しい。下り口を逃がすと三永まで上がるか追越車線を逆L字右折して側道を潜ってUターンする不便さである。今回は三原方面側の側道にある芸陽バス停から国道下を潜って田万里川沿いへ到達できた。

 このガードレール沿いが旧山陽道の西野町方面と思われる。右にチラリと白い建物が見えている。
#04
 川沿いから反れて坂道を上がった所に「骨董」の看板が見えている。
#05
 ここから先は災害復旧工事中。
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 この白い建物が「旧珍古堂跡」なのだろうか?田圃跡の駐車場があったが「リサイクルショップ・ハイカラさん」とは別名だった。この建物が「ハイカラさん」か否かは未確認。駐車場前に車を停めていたら、突然けたたましいクラクションが近くで何度も鳴り響いたので驚いて退散。坂道下の田万里川沿いに畑作業で軽自動車が停められ、道を塞がれた運転手ともめていたようた。関わりたくないので東方面へは進めずに来た道を引き返した。
#07
 写真では一部が隠れているが看板には「CURIO HOUSE 珍古堂 骨董 掘出し館」と書かれていた。ちなみに「CURIO」は和訳で「骨董品」だった。この看板の下にも看板が有るのたが雑草で隠れて判読不能。では?「珍古堂」は何と読むのかだが、その答えが大黒様の大黒帽(頭巾)に「ChinKodou」と書かれていた。
#08
 
この「珍古堂」、国道沿いから撮った写真は数少ない。

 これは 1999.08.03 に車窓から撮った一枚。白い館?と大黒様の看板が写っている。
#02_19990803
 これは 2002.08.10 に撮った写真である。10年前は未だ周りに新築の家が無かったようた。
#03_20020810

 そしてこれが問題作?の看板。旧HP読者からメールで頂いた写真の中の一枚(1999.02.21受信)である。その解説は「この看板を目にしたとき、通りすぎてバックして撮りました。田万里の三永よりの旧道沿いでのカット。」であった。この通学路を歩く小学生達が看板を見て「ChinKodou」と読んでいた光景が目に浮かぶようだ。
 これは田万里川沿いの道から右に反れて「骨董 珍古堂」への分岐点に立てられた看板なのだが、あれから 20年以上が経過しており、今回の確認では存在していなかった。(見逃しては無いはず・・)
#01_19990923

 この秀逸写真に読者が付けていたタイトルは「発音しにくい骨董屋」であった。