湯坂温泉郷の「賀茂川荘」の賀茂川沿い先に「かんぽの宿」があったのを覚えているだろうか?一般的に「かんぽの宿」と呼ばれるようになったのは小泉政権の改革「郵政民営化」後だったと思うが、それ以前は正式名「竹原簡易保険保養センター」で、通称は「保養センター」と呼んでいた気がする。建物には「かんぽ保養センター」と書かれていたが時代もあったが、ここを最初に撮った写真には民営化前の愛称だった「かんぽの宿」と書かれていた。
 今回は仁賀の梅王館辺りを散策した後、賀茂川に架かる橋を渡って賀茂川荘方面へ出る途中に見覚えのある白い建物が目に留まった。(2021/07/27撮影)
#01
 建物には何も書かれていない。
#02
 この植え込みが途切れた場所が入口のようだ。
#06
 建物入口は工事フェンスで閉鎖されており、長期間使われてはおらず「廃墟」の雰囲気が漂っていた。暫くはここが何だったかを思い出せなかったが、「立入禁止」看板に「日本郵政株式会社」と書かれているのを見つけ、しばらく休館中だと聞いていた「かんぽの宿」であることを思い出した。
#03
 ここに泊まったことは無いが、真冬でも積雪が融ける場所に温泉が湧いた伝説の解説板が敷地内にあることを聞いて一度だけ撮りに敷地内を訪れたことはあった。だが、建物にはもう「かんぽの宿」の文字は無い。・・・ということは「かんぽの宿」は休館中のまま何時しか廃館(=廃墟)となってしまったということだ。
#04
 敷地右隅に見覚えのある看板が残されていた。この看板に湯坂温泉の由来「湯壺の池」の解説が書かれていた。
#05

 営業中だった頃の 1999年にタイムスリップしてみよう。以下は伝説の解説板を撮りに行った時の写真である。玄関には「かんぽの宿」と書かれた送迎バスが停まっているし、建物のエレベータ設備棟?にも「かんぽの宿」と書かれている。(1999/04/26撮影)
19990426b
 これがその解説板「湯壺の池」である。
19990426a
 読みづらいので少し画像加工を施して、解説の一部を文字化してみた。
#07

--- 「湯壺の池」より抜粋 ----
 湯坂温泉は大化改新頃からこの地にあり、山陽道の宿駅でもあったことから、あの頼山陽もここで保養したといわれている。 湯壺に傷ついた鶴が飛来してこの湯をのむとたちまち治癒したことから「鶴の井」と呼ばれ、この井戸の周りだけは雪が解ける熱い温泉であった。 ある時、馬子が悪戯をしたことから冷えはじめ、ついには忘れ去られてしまった。 しかし、一軒の農家がこの湯を五右衛門風呂で沸かして余命を継いでいたのを、昭和39年に竹原市が地学者を招いて地下ボーリングして、 温泉郷として開発した。
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 これは郵政民営化後の 2009年の様子を賀茂川沿いから撮ったものである。残念ながら「かんぽの宿」を撮った写真はこの2枚しか見つからなかった。(2009/08/08撮影)
20090808a

 私が親や親戚などから聞いていた伝説は「このあたりに雪が降っても積もらずに融ける場所があり、 ここを掘ってみると温泉が沸いた」だったのだが、この解説には「掘ってみた」との記述がない。真実を調査してみたいが面倒そうなのでテレビ番組を真似て「諸説あり」としておこう。