安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

旧ホームページ記事

 長らくご愛読誠に有難うございました。

 今年夏に定年を迎え、これを機に来年春に竹原へ帰郷することにしました。これまで正月、GWと夏休の計3回程度帰省していましたが、写真が撮れる期間と動ける範囲が限られていたため、ネタ切れや内容が薄くなりがちでした。帰郷後からは健康である限りいくらでも時間があるので、多彩な写真が好きなだけ撮れる機会に恵まれそうです。
 これまでは更新作業にかなり手間取っていましたが、既成の無料ブログサービスを使うと、何のストレスもなく更新できることが分かりました。そこでこのホームページをブログとして継続してみることにしました。現時点では未だ試行段階ですが、細かな編集はスマホでは困難なものの広告も少なく入門用としては優れています。
 なお、現ホームページは2ヶ月に一度の更新手続きを怠ると即削除されてしまうので、いずれは廃止する予定です。ブログとして残す作業もしていますが、2025ページもあるのでかなりの期間を要します。

 ブログのアドレスは以下に載せてあります。また、かなり前からツイッターも運営しているので覗いてみて下さい。
2026a

ブログ:「安芸の小京都 竹原アルバム」

ツイッター:「安芸の小京都 竹原(@takehra_photo)」

※検索する場合は以下のキーワードで試みてください。

 ・安芸の小京都 竹原アルバム
 ・takehara_photo


撮影月日:2019.10.20
2025a
2025b

 2019年10月、実家のリフォーム詳細打合せでの竹原帰省。当初予定は13日(日)~20日(日)としていたが、台風19号が12~13日に日本直撃確定となる直前で帰省移動を11日に前倒しした。天気が崩れることもなく11日昼過ぎに新幹線にて三原駅到着。呉線車両が到着するまでホームで過ごし、2両編成のレッドウィングが到着したので乗り込んだ。発車まで10分程度あるが空席は半分程度。当初乗る予定であった土日祝日のみ運行のマリンビューでも自由席に座れたかもしれない。「平日だし、こんなもんか・・」と気楽に発車を待っていると、発車寸前にはほぼ満席となってしまった。すると前のボックス席から「これ竹原に停まりますか?」と尋ねられた。「はい、停まりますよ、私もそこで下ります。」どうやら関東からのシニアツアー客御一行様のようで大崎上島に宿泊するらしい。泊まるホテルは、30人の予約が台風接近でキャンセルされてこの5人となってしまったようである。竹原から大崎上島までの経路をタブレットで検索すると所要時間22時間、竹原から高速バスで広島に行き、広島駅からどこかを巡って、呉から島めぐりのバスに乗り、船でやっと到着のルートとなって大騒ぎ。アドバイスしようとしたがツアーコンダクタ役の面目を潰さないようじっと我慢した。私が竹原で降りることは伝えたので、困ればヘルプがかかるであろう。忠海辺りで印刷したマップを見直して竹原駅からバスでフェリー乗り場まで行けば良いことが分かり、駅でのバス待ち時間は約10分。フェリー待ちも10分程度であることが分かったみたいである。大崎に停まったあとは竹原へも寄られるようなので、竹原出身としては大変有難いことである。

 さて、前置きが前置きではなくなる程の長さとなってしまったが、Uターン20日の竹原駅ホームで電車到着を待つ最中、見慣れた「竹原駅」の看板の隣に「呉線沿線観光MAP」があり、今回、初めてその詳細を確認したのである。三原から海田市までの主な観光スポットが紹介されており、さて?竹原はどんな観光スポットが紹介されているのだろうか。

2025c

町並み保存地区(徒歩約10分)

まあ、紹介としては無難なところだ。
説明を更新するならマッサン竹鶴政孝についても書いて欲しいところ。 


2025d
竹原美術館(徒歩約5分)

創立当時に訪れたっきりだが、池田コレクションはすごかった記憶がある。
竹原ゆかりの頼山陽は知ってはいても横山大観って誰?って頃の鑑定団ブーム前だった。
保存地区内のコースに留まらず立ち寄るべきところである。


2025e
湯坂温泉郷(車で約15分)

帰省中に敢えて家族で賀茂川荘へ泊まってみたことがある。
ホテルには珍しく能舞台があり、毎年、野村萬斎が出演。
竹原に居ながら竹原を忘れそうな別世界が味わえる。
竹原地元民なら敢えて一度は泊まるべきと言いたい。
なお、現在、この奥の「かんぽの宿」は休館中のようである。


2025f
バンブージュイハイランド(車で約10分)

ここは観光スポットというより、市民の憩いの場であろう。
徒歩や自転車では辛すぎる場所なので、観光スポットにするには竹原と大乗の間に駅が欲しいところ。
ここができた当初は、サンパーク日名内のような夢のような遊園地かと思っていた。

2025g
朝日山(車で徒歩約30分??)

観光スポットとしては未開拓かも。
最近までアニメファンが訪れたい特別な場所ではあった。
ワンボックス程度までなら登頂は可能であるが、眺望の観光コースに取り入れるには天候と季節の課題が残る。

2025h
普明閣(徒歩約15分)

町並み保存地区を訪れたら立ち寄り必須の場所である。
地元民はここからの眺望には何の興味も感動も無いのだが、なぜか観光客へのイチ推し。
それだけここは空気のような無意識に大切な存在なのである。

 10月末のイベントといえば「憧憬の路」だが、これまで盆正月以外は帰れなかったので訪れていない。その1週間前に行われていた恵美須神社の祭り。地元では「えびすまつり」と呼ばれているが、駅前商店街の「戎神社」の祭りも「えびすまつり」でややこしい。その区別は竹原町内の自治会(じっこう)にて「えびすまつりの寄付」当番が回れば前者、それ以外なら後者であろう。そもそもここは「胡堂」であり「恵美須堂」でもあり「恵美須社」でもある。それに加えてこの幟には「恵美須神社」、誤植だったのか「恵比須社」と書かれたガイドブックやパンフも多数見かけたことがある。また、前述の「戎神社」も間違いのもとだが中通にも「恵美須社」があり、寄付して貰えるお札には「恵美須大神」なのでもう降参。小さい頃は「商売の神様」で商売人以外にはご利益はないと聞いていたが、結局、良くわからないので「商売繁盛」は近くの「大黒神社」にまかせて、こちらは「招福の神」としてお参りしている。

 さて、そのお祭りにテントが建てられたのは初めて見た。興味津々で寄ってみたら、賽銭を入れて地酒の試飲ができるようだ。小銭を入れると突然「あんたぁ!うち誰かぁわかる?」と、突然問われても分かるわけがない。「わからん!」と応えると「××じゃがぁね」と知っている近所の同級生の苗字。「そう言われれば似とらんこともなぁが・・・」、心の中で「毎年正月の同窓会で合う時とはやけに老けている、日向で見るとこんなに違うものなのか??」と一瞬思ったが、すぐに同級生の母親であることに気が付いた。「いつも、うろうろしょうるのを見よんよぉ」と言われてしまった。ここ30数年間、竹原帰省中に見かけたのは3回ぐらいなのだが「田舎ならではの監視社会」は怖い。どうやら自治会の組長当番になったかボランティアかで祭りの世話をしているようだ。竹原の地酒数種類から、胡堂から一番近い酒蔵の「宝寿」を選んで試飲したのであった。

 その最中、観光客らしき女性が胡堂横の星形(手裏剣?)格子を難儀そうに撮っている。何を撮ろうとしているかは「幸せのハート 竹原」で検索してみてほしい。このおかげか、竹原を訪れる観光客が増えている。 

撮影月日:2019.10.19,20
2024a
2024b
2024c

2023a

撮影月日:2018.01.03

 これは2018年正月に撮っていたナフコ/藤三の入口にある「sushi花館 小僧寿し竹原店」である。いつからなのかは分からないが、閉店どころか2019年10月の帰省時には更地となっていることに気が付いた。前日に「レストランらんぷ」で昼食した際には気が付かなかったことがショックだったのか更地を撮り忘れたようだ。小僧寿しの公式ホームページにある広島県店舗一覧では広島市店しか掲載されてはいなかったが、検索エンジンではたくさんの竹原店の「残骸」が写真地図も含めしっかりと残っている。さすがにGoogleMapは更新が早いのか2018年11月のストリートビューでは更地となっていた。更新しない、消さないまま仮想空間に残されたデータ、これも「デジタル遺産」のひとつの形態といえよう。2018年正月から更新しなかったこのホームページも他人事ではなく「デジタル遺産」となっていたかもしれない。

2022h


 更新放置から1年と10ヶ月が経過し、帰郷まで半年を切ったが、準備はできているものの重い腰は上がらない。
原因や言い訳は色々とあるが、今まで惰性で回っていた駒が砂地にハマって止まった状態である。
帰省最終日に普明閣で充放電をしたくなったので西方寺を訪れ、本堂前で祈願を済ませてから普明閣までの石段を上がった。
そしてこの看板「倒壊の危険 上がれません」が目に留まる。
  ・
  ・
  ・
5月の帰省で訪れた時には普段通りに甍の波が見渡せたはず。
あれから約半年、倒壊情報は入ってこなかった。改めて調べてみると6月頃から入場禁止となったようである。確かに釘の錆具合や板のカビからある程度時間が経過しているので、最近ではなさそうだ。だがその直後に開催された「憧憬の路」に訪れたツイートを検索してみると、薄暮の舞台に上がる観光客の姿が写真掲載さているではないか。それが去年の写真だったのか、今年のものかは文面からは分からなかった。

普明閣・・・ここは私の原風景

ここで母が見合い写真を撮り、父が月給数ヶ月貯めて買ったオリンパスPenで初めて撮った家族写真がこの境内、小学校の道草はいつもここ、そして時が経ち離郷して1年後の1983年春に観た映画「時かけ」のロケ地がここなのである。目をつぶれば浮かぶ風景がここ、竹原といえば先ず普明閣を思い浮かべるようになった。それから帰省の度にノスタルジーを募らせて写真やビデオを撮り、デシカメとインターネットの黎明期に始めたのが、このホームページである。竹原から離れて暮らし、故郷の良さを初めて知る・・・歳をとって戻りたくなる故郷、それが竹原なのである。
そのような人は私だけでないはず。

一度、止めてしまった駒は自力では回らない。

その駒を回してくれたのが先週開催された関東支部の高校同窓会での先輩である。「ずっと前から見てましたよ、竹原に戻りたかったけど無理かも、再開を楽しみにしてます」
そして今日観た録画「時かけ(2006年アニメ版)」の「Time waits for no one.」で砂地から脱出し、久しぶりに開いたホームページの表紙の文を見て駒が回り始めた。

「故郷の竹原が恋しくなったら、このアルバムを開いてみてください。きっと、消えかけていた懐かしい想い出がよみがえることでしょう。」

撮影月日:2019.10.20
2022a
2022b
2022c
2022d
2022e

 
実家リフォーム前の掃除中にタンスの奥から出てきたのがこれ。
竹原電報電話局の電話帳、表紙が普明閣なのである。
偶然、今回撮った写真に同じアングルのものが見つかった。
2022f
2022g

↑このページのトップヘ