安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

トリビア

 本日のブログ記事は西野町で偶然見付けた「小ネタ」をひとつ。

 賀茂川荘から西野大橋までの田万里川沿いを走行中、中州に作られた奇妙な「仕掛け」らしきものを見付けた。何かを表現したアートにしては人通りのない場所であり、イタズラにしては手間をかけ過ぎである。
(2023/01/15)
#01
 
 その構造は「たも網」のようなものが垂直に中州へ立てられ、少々の風では倒れないように3本のロープで川底へ杭で固定されている。
#02

 川沿いに車を停めてから周囲を確認したが、他には関連していそうなモノは見当たらない。
#03

 「たも網」のネット下には水平の棒が2本吊るされ、各棒には赤銀色のキラキラ・テープ(田んぼの鳥除け)が垂らされているのである。
#04

 この辺りの地区に伝わる何かの「おまじない」だろうか?それとも「霞網」のように飛ぶ鳥を捕らえる「仕掛け」だろうか?であれば鳥除けテープは逆効果だし・・・。謎が深まるばかりである。
#05
  
 「仕掛け」から上流へ数メートルの土手にも「意味不明」のモノが見つかったが、これも手間がかかっており何か関連が有りそうだ。
#06

 この「謎の仕掛け」、撮った写真をネットで画像関連検索してみたが何ひとつ該当せず。

 「松屋の二重焼」が妙に恋しくなるこの時季、店頭には既に「本日終了」の札。落胆して帰り際に見える竹原の商業的シンボルである三井の煙突「竹太郎」の隣りに激しく「蒸気」を噴き上げる小振りの煙突がある。
 先日、この「竹太郎」の愛称の公募について当時の経緯を詳しく知る知人に「となりの蒸気を噴いている短い煙突は何なん?」と訊いてみると、「あれは蒸気じゃの~てボイラーの煙突の煙なんよねぇ~」とのことだった。これまで製煉棟の何かの蒸気かと思っていたのは間違いで全棟の空調(冬の暖房)用ボイラーから出ている煙であった。
 また、その煙突の愛称についても訊いてみたのだが、あっさりと「ない!」であった。仕方ないので以前に「竹太郎」についてコメントを頂いた時に書かれていた「小竹太郎」と称することにした。

 あれが「ボイラーの煙」であることを知ってから、ある意味「竹原の真冬の風物詩」とも言える「小竹太郎の煙」を撮ってやろうと、色々な場所から狙ってみたのだが、やっと観てもらえそうな写真を撮ることができた。

 先ずは長生寺の裏山から。(2022/12/15撮影)
#01
#02

 次は普明閣の舞台や境内から。(2022/12/15撮影)
#03
#04
#07

 最後は北崎辺りから。(2022/12/09撮影)
#05
#06

 どうであろう。この時季に「竹太郎」よりも数倍の煙を噴きまくる「小竹太郎」の勇姿は。

 「道の駅たけはら」の田ノ浦川に架かる橋の下に映る水面を眺めていたら、石で造られた橋桁に彫られた古そうな文字を見つけた。この橋の名は未だに分からないのだが、もしかしたら橋名の手掛かりになる文字かもれないと写真を撮ってみた。(2022/12/09撮影)

 これは「道の駅たけはら」の駐車場と建物の間の田の浦川に架かる橋で擬宝珠と朱色の欄干が特徴である。欄干は新たなものに改修されたようだが、何処にも橋の名は書かれていないのが残念てある。
#01

 一見して橋は新しそうなのだが、横からよく見ると橋桁の土台が二層構造になっており、下の層は中央の橋脚中心に両側それぞれに分厚い一枚の石板が載せられている。見た目なので根拠は無いが江戸時代~昭和の頃のものであろうか。旧竹原警察署の区画に在った稲荷神社または代官所跡に因んだ橋の可能性も有る。
#02

 この橋の橋台近くに彫られた文字は「父 大藤忠次?還暦記念 寄 善次郎 繁 印・・」。父の還暦記念として寄付したものは石板なのか、それとも橋全体なのだろうか?これだけの文字では造られた年代も橋の名も一切分からない。「大藤」は広島県が最多の苗字であり、江戸時代には使われいたようだ。
#03

 何を意味するのか「印」の文字より左側は石垣に隠れて見えない。
#06

 橋桁より駐車場側の石板には「寄附主 森本善之助 倉木夘吉 石一本」。・・ということは石板単位の寄付であり、前者も橋全体ではなく石板の寄付であったことが分る。「森本」と「倉木」の姓から寄付の時代はしぼり込めなかった。
#04

 国土地理院の航空写真で最古のものは昭和22年。この写真には既に橋が架けられていた。
#05

 だが・・・小美仁亭の壁に在った古い地図では橋が省かれて橋名を知る由もない。
20040503a

 橋が改修される前の「蔵出し写真」も載せておく。

 撮っていた最古の写真は1996年3月。既に映画館は解体されて市営駐車場になっていた。(1996/03/27撮影)
19960327a
 
 竹原警察署がここに有った頃。(1996/12/31撮影)
19961231a

 橋の向こうに岡本芸南堂と稲荷神社が写っている。(1999/01/03撮影)
19990103a

 「道の駅」が建設中だった頃。(2010/04/30撮影)
20100430a

 そして現在。(2022/12/09撮影)
20221209a

 石板の寄付主の名が彫られているほどの橋なので隣りの擬宝珠がある「宗五郎橋」のように橋名が記されていても良さそうなものだが、なぜか架けられた河川名の「田の浦川」すらもない。

 昨日の朝方から始めていた超古ノートPCの再利用作業が完了した。2006年当時に21万円で家内に買った最新式超ハイスペックのノートPCであったが、結局使われていたのは年に一度の年賀状作成程度であった。帰郷してからも倉庫で眠っていたが、無謀にもこれに最新OSである Windows11 をインストールしてみたくて作業を始めのが朝方、色々と試行錯誤をしていたら昼過ぎになってしまった。
 そして午後からは「~えん~」イベントを観に「町並み保存地区」へ出掛けて昼食は保存地区最北端の根古屋。暖簾を潜るとタイミング良く1テーブルが空席となったが、お気に入りの紅焼牛肉麺が売り切れたとのことで総合豆花へ変更した。
 昼食後に先ず訪れたのが、むせるようなキンモクセイの香りが漂う照蓮寺の貯水池前。日向ぼっこしている猫と戯れていて目に留まったのがこの色褪せて朽果てた「町並み保存地区」の
超古パネル。これもいつ撤去されても仕方なさそうなぐらい、かなりの年季が入った超古パネルなので写真に撮っておいた。(2022/10/16撮影)
#01
 
 パネル塗装のかなりの部分が剥げていたが、その一部に興味深いものを見付けてしまった。三原農協の看板に続いて「重箱の隅的?」になってしまうが紹介しよう。
#02
 
 1つ目は「町並み保存地区」の下に書かれている「(重要伝統的建造物保存地区)」である。その中央の「」がなぜか四角く囲まれており白く消えかけている。しかしこの文字に見覚えがある。旧HPを作成していた頃に私もよく変換ミスをしていた「建造物」で、正しくは「建造部」なのである。どうやら誤字が書かれていた「」部分に「」シールが貼られていたのが、経年変化で剥げ落ちてしまったようだ。
#03

 そして2つ目が「竹原市」の上に隠された1行。肉眼では見え辛かったのでPhotoShopで画像処理を施してみたら「広島中央広域行政組合」という聞きなれない組織名。
#04

 ネットで調べて見たら「東広島圏域合併協議会」のHP(2004年版)に概要が書かれていたので以下に転記した。
---------------------
 1の広島中央広域行政組合でございますが、この組合は平成13年4月に設置されたもので、東広島市、竹原市を初め2市9町で構成されております。広域市町村圏計画の策定や広域行政の課題などの調査研究を主な事務としております。昨年2月には広島中央広域市町村圏計画を策定したところでございます。
---------------------
 当時、他市との合併で「竹原市が消えてしまう?」と騒がれていた頃に発足した組織のようだが、その「合併話」は完結して現在はもう組織が解散したのであろうか、白いシールで隠されていたのが剥げかけていたようだ。

 この記事を書いている間に、試行錯誤を繰り返していた超古ノートPCのWindows11化作業が完結した。2006年当時はWindowsXpがインストールされていたが、あれから16年が経過しても動画サイトの軽いものを見る程度であれば未だ何とか使えるようだ。
#05
#06

-以上-

 国道432号を竹原町から西条町方面へ向かう際、新庄交差点の手前にあるこの緑の看板が気になっている。最近、妙にこちらの面の「三」の文字が目立って見えるのでとうとう立ち寄ってみた。(2022/10/10撮影)
#01

 竹原農協東野支所が竹原朝市になっていた事を調べた時に、「JA竹原荘野支所」が「JA三原荘野出張所」になっていた事を知ったのだが、その看板がこれである。よく見ればJA三原の「」と「荘野出張所」の文字部分が濃いのである。
#02

 撮った写真のコントラストを少々強調してみて、その濃さの差が出てしまった理由に納得した。
#03

 JA竹原がJA三原へ統廃合された2004年頃に、竹原の各支所や集出荷場の看板も取り替えられていたのだが、この看板においては「塗り替えられた部分」と「そのまま流用した部分」が、経年変化で全体的に色褪せたことで差分がクッキリとしていたのである。裏面も同様の塗り替えだと思われるが、さほど色褪せていなせいか目立ってはいない。

 ちなみに以下は塗り替えられた看板が色褪せていない頃の写真である。(2011/08/15撮影)
20110818a

 裏面の写真も見つかった。(2012/01/02撮影)
20120102a
 
 荘野支所時代の看板が写った写真は見付けられず。

-以上-

↑このページのトップヘ