安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

トリビア

 旧吉名小学校向いの公園に池田勇人元内閣総理大臣の胸像があるのだが、その公園の側道に大きな神社があることを最近地元の方から聞いて知った。毎年、賑やかな祭事があるようなのだがコロナ禍で昨年から中止となつて残念がられておられた。神社の名前を聞き逃してしまったのだが、今回、自動車でその神社を訪れたところ鳥居の額を見て「光海八幡宮(こうかいはちまんぐう)」であることが分った。
 池田元総理の胸像がある公園内に駐車してよいのか分らず、神社境内を訪れることができなかったので、下調べをして改めて訪れる予定である。(2021/11/28撮影)

 前回この公園を訪れたのは10年以上前。真夏の豪雨災害で呉線が運休していた際に、竹原駅からJR代行バスに乗ってみたくて最短の吉名駅で折り返して戻ろうとしたところ、降ろされたのは国道185号沿いの吉名駅入口(芸陽バス停)だった。折り返しのバスは1時間後なので徒歩にて吉名駅まで訪れてみた際に本公園に立ち寄り、竹原福祉会館の池田勇人立像(銅像)とは別に胸像の存在を知った。
 公園に寄った後でバス停に戻って竹原駅方面行のバス待ちをしていたのだが、吉名までの片道切符しか買っていなかったのが大失敗。竹原駅から乗った際に運賃支払いはJR定期券と切符しか扱われていなかった事を思い出したのである。炎天下の中、再び吉名駅まで走って自販機で竹原駅までの切符を買って戻ってきた時には乗るはずだったバスは通り過ぎていた。このバス停から吉名駅までは走っても約10分の道のり、JR代行バスが吉名駅舎前で停まるものと勘違いしていたのである。
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 そして本公園右側に「光海八幡宮」の鳥居がある。
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 石段を上がれば更に石段があるらしく、吉名地区の中心地では一番高い場所にある神社らしい。
『たけはらの神仏を訪ねて』では光海八幡宮の正式名称が「吉名八幡神社」で、同一所在地に別の「光海八幡神社」が存在しているようだ。
 また、『竹原聞きある記』によると光海神社の謂れとしては・・・
吉名町の光海神社の御神体の石は、昔、吉名浦の沖で翁六郎左衛門(「たけはら神仏を訪ねて」の記述では六良左衛門)という者が漁をしていたところ、網にかかったものといわれている。翁が気にすることなく海に捨てたのだが、その後、三度も網にかったことから大岩の上に置いていたところ、その夜に赫々と異光を放ったので人々は大変驚いた。その光は真昼のように明るく海上を照らし、宮山に竜灯が上がったので翁は鎮座の泊所を知らされたものと思い、ここに石清水八幡宮を勧請して、この石を御神体としておさめたという。神輿が大岩へ御幸(=行く)する祭りが行われていたが、いつのまにかすたれてしまった。
 この「謂れ」には、る石でが明く照らされたことから「光海神社」と呼ばれるようになった・・・とおぼしき解説はなく、石清水八幡宮なるものも突然登場するのだが、ここには色々な神様が祀られているのだろうか?先ずは実際に光海神社を訪れてみることにしよう。

 古書店で買った『竹原聞きある記』に掲載されていた伝説「天池のお地蔵さん」を探しているのだが、本文にはその場所については触れられていない。その伝説を以下に転記・・・

今から約百年前の事。西神田の杉の木の所に石風呂かありました。
普段は人通りの少ない寂しい場所です。
冬はまた大変に寒く、何となく容器の漂うような所でした。
ある日、ほらふきの晋平という船とんびが船を買うため、明神に行く途中、たまたま相撲取りのかなめ石と一緒になりました。
晋平は小銭を持っていたのです。ほらふき晋平は「わしは船を買いに行くんだぞ、代金を持っているんだ」と胸を叩いて見せたのです。
大男のかなめ石は「ようし、その大金をとってやろう」と考えました。
吉名の峠を過ぎ、やがで大井の峠まで来ましたが、なかなかチャンスがありません。
とうとう大井峠も過ぎました。
天池のほとりを通り、稲浦も過ぎ、例の石風呂の所に出たのです。
大男のかなめ石は背後から切りかかり、金をまきあげて逃げました。
その晋平の出血で水路は真っ赤に染まったということです。
近所の人たちが、あわれな死をとげた晋平をとむらい、その供養のためにお地蔵さんを祀りました。


場所を特定する文中のキーワードとしては吉名の峠・大井の峠・明神・天池のほとり・稲浦・石風呂・血に染まった水路、そして供養のための地蔵さんを祀る・・・以上のキーワードから推測できる場所をyahoo地図を利用して示すと・・・
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地図左上の国道185号を西の川がくぐった先にある明神踏切、天池のほとりを流れる水路(西の川)が天池に合流する地域が稲浦、その先にて吉良崎地蔵を見つけた。(2021/11/28撮影)

先ずはここが明神踏切。
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次に天池沿いに流れる西の川。
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そしてこれが稲浦の南先にある吉良崎地蔵。
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 以上のキーワードの場所が見つかったことから、確定的では無いもののこの吉良崎地蔵が伝説「天池の地蔵さん」である可能性が高い。ちなみに『たけはらの神仏を訪ねて』に載せられていた吉良崎地蔵では別の伝説(民話)「大蛸と大蛇のハチ岩沖での乱闘による渦潮で水難事故死があった。釣り・水泳の人など注意すること」が書かれていた。この伝説についても『竹原聞きある記』には以下が書かれていた。

むかしむかし、築地木良崎海岸(吉良崎の誤記か?)の沖の方から大きな大きな蛸がやってきました。
横に折れた松の大木が有るので、それを枕に昼寝をしていました。
松の木ばかりと思っていたが、それは大蛇が昼寝をしていたのでした。
目を覚ました大蛇は大変怒って大喧嘩になり、大蛇は大蛸の足を一本喰い切って食べてしまいました。
大蛸は大変怒って残りの七本足を大蛇に巻き付け、沖へ沖へと引き込んで行きました。
そして横島のハチ岩の沖で大乱闘となりました。
海の砂の渦を巻き、底へ底へと沈んでしまいました。
とうとう大蛸も大蛇も姿は二度と見られなくなってしまいました。
それから後、そこには今も渦が巻いていて、釣りに行った人や泳ぎに行った人は、砂の海の底へのみ込まれて二度と生きては帰らない人が何人も何人もあったそうです。


この吉良崎海岸は天池(東の川と西の川などが合流した河口)の水が海へ流れ出ている海岸である。
ここが天池の水が流れ出る水門(県営大井地区ゲート)。
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ゲートの先には防潮堤(三丁堤防?)がカーブしており、突き当りには溜池の水門もある。この堤防の湾が吉良崎海岸と思われる。
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 この溜池は約200年前から昭和まで入浜式の塩田であったが、現在は野鳥を撮るスポットとして人気らしい。
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 そしてこれがハチ岩と大蛸と大蛇の大乱闘があったハチ岩の沖である。
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 このハチ岩があるハチの干潟、昭和時代は潮干狩り(貝掘り)の行楽地であった。干潟の沖には海砂を採取して掘られた穴が多数あるとのことで危険な場所であり、一見遠浅のようだが急に深くなるので沖まで歩いたり泳がないようきつく言われていたことを思い出した。どうやらこの伝説でもハチ岩沖が水流がきつく急に深くなる危険な場所であることを代々言い伝えていたようだ。
 さて、今回の散策で偶然見つけた「吉良崎地蔵」ではあるが、これが「ほらふき晋平」の弔い地蔵だったのかは謎のまま。近いうちに築地に住む知人に両伝説について訊いてみる予定である。

 道の駅から町並み保存地区への途中にある「栄町通り(京栄区)」の一般古民家、その玄関横に「残置燈」と書かれた板が掛けてある。この「残置燈」とは一体何だろうか?以前からこれが気になって仕方がない。(2021/11/16撮影)
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 「竹原町警防団 残置燈 責任者第二分団」、字体からも第二次世界大戦中の雰囲気がする。
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 この「残置燈」をネットで調てみたのだが、なかなか「なるほど」と言える情報は得られなかった。散在する情報をまとめてみると戦時下における特別な街燈のようで、空襲警報時に暗がりでも避難ができるよう消さずにしてかれる街であり、上空の爆撃機から明りが目立たぬよう形状・明るさと照射角度に規定があったようである。
 この古民家の軒下を探してみたところ、保存地区内の至る所で見掛ける傘付きの裸電球のようなものは無いのだが、それらしき照明が取り付けられていたと思われる切断されたパイプは残っていた。
 ちなみに「警防団」とは、第二次世界大戦に地域住民を空襲や災害から守るために結成された団体である。ここに設置されていた「残置燈」の点灯消灯の管理責任者は、竹原町警防団第二分団だったのであろう。戦時中に栄町通りが薄暗くなると点灯、夜明けには消灯する操作を毎日欠かさず行わなければならない。もちろん自動的に点灯消灯させる原始的な照度センサ(CDSセル)や間欠タイマなど未だ無い時代である。

 古書店にて購入した『竹原聞きある記』に詳細な解説がされていた「酒造用井戸」。その場所は胡堂脇から照蓮寺の裏門へ上がる石段の地上部分にある。(2021/11/16撮影)
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 観光コースの立ち寄りスポットでもある。
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 竹原市HPにて参照できる「第2章 竹原市の維持及び向上すべき歴史的風致」に、京都伏見の酒造家大八木庄太郎氏(現「ふり袖」の向島酒造株式 会社社長大八木利治氏の祖先)がこの辺りの地方の醸造用水を取り集めて分析したところ、竹原の酒造家が賞用してきたこの照蓮寺酒造用井戸の水質が酒造に適してることを発見したとの解説が書かれていた。灘の硬水とは異なり、この地方の水質は概ね軟水とのことだが、酒造に最適な照蓮寺酒造用井戸は硬水寄りなのだろうか、それがこの解説からはどうしても読み取れなかった。

 古書店でネット購入した『竹原聞きある記』にも本酒造用井戸についてのエピソードが書かれているので要点を紹介する。
  • 竹原で最初に酒造業を始めたのは吉井世純と伝えられている。
  • この井戸は古くから酒造用に使用され、水質が最適であり、水が枯れたことが無いと言われている。
  • 井戸の石組みには天和三年(1683)と彫られている。
  • 上市に住む人から聞いた大正時代の話、水を汲んで酒倉へと運ぶ際にずぶ濡れになる人を「ビショさん」と呼んでいた。
  • 竹原は「安芸の小灘」と呼ばれ、江戸時代は所と共に竹原の代表的な産物であった。
また、本書では竹原酒の銘柄(大正から昭和の始めまで)が以下であったことも解説されていた。
  • 亀井晃三・・・「初錦」
  • 柿井敬三・・・「初鼓」
  • 吉井章五・・・「大雪」
  • 塚本信吉・・・「笑鶴」
  • 中村善七・・・「花の波」
  • 佐倉井良夫・・・「本福」
  • 増谷豊三・・・「賬枡」
  • 野島晴三・・・「華の滝」
  • 藤井善七・・・「龍勢
  • 竹鶴友三・・・「竹鶴
  • 川本常一・・・「力の井」
  • 中尾儀三郎・・・「誠鏡
  • 永田歳次・・・「国の誉」
  • 堂面政昭・・・「あこがれ」
  • 桐谷克三郎・・・「粋之友」
  • 水戸国弼・・・「飛鷹」
  • 水戸幾太郎・・・「銀鷗」
  • 米倉重吉・・・「流霞」
  • 池田寅吉・・・「鎭海」
  • 赤坂敬造・・・「初鏡」
  • 奥川千助・・・「艶鶴」
  • 進藤真一・・・「岩之井」
  • 前田広三・・・「山陽の光」
  • 森川八郎・・・「男一匹」
  • 村上豊造・・・「牡丹正宗」
  • 水戸幾七・・・「萬国」
 更に「竹鶴姓の由来」についても書かれており、・・・康永二年、岸本謙治郎政信氏が、境内竹林に鶴が来りて巣を造り育っているのだが、松に巣を造ることは多々あっても、竹林に鶴が巣を造ることは聞いた事か無く、それがきっかけで岸本姓を改め「竹鶴」と号した。その後、竹鶴姓を名乗って、享保十八年、本業の製塩業と共に酒造業を創業し、今日に至っている。竹鶴友三氏は「竹鶴」が酒名にも好適とのことで特許を取り「春心」と共に「清酒竹鶴」として販売を続けている・・・との内容(難読文を自己解釈)であった。

 ちなみにその特許(商標登録)はこれこれである。(ニツカウヰスキー株式会社の「竹鶴」とは異なる)

 この「酒造用井戸」、どこかの酒蔵にて現在も使用されているのだろうか?1980年代に関東で視たテレビの旅番組にて、この井戸が紹介されていた記憶が微かに有るのだが、その使用状況や水質維持管理の難しさについて触れられていたと思われる。続きを読む

おかかえ地蔵」といえば歴史民俗資料館の裏側奥にある地蔵尊(大名谷地蔵堂に併設)が一般的には知られているが、保存地区から少し外れた長生寺にも「おかかえ地蔵尊」が鎮座されている。
 これらの「持ち上げて抱えることで願いが叶えられる地蔵尊」の呼び名が微妙に異なることが興味深い。大名谷の地蔵尊は、路地入口の看板には「お抱え地蔵」、地蔵堂前には「かかえ地蔵」、地蔵堂内部には「地蔵菩薩尊」、観光情報誌等には「おかかえ地蔵」、郷土歴史資料には「抱地蔵」と書かれており、難儀なほどに統一性が無いようだ。そして長生寺の地蔵尊には「おかかえ地蔵」に「尊」が加わっている。

 長生寺の山門をくぐり、本堂を右手に奥まで進むとこの「おかかえ地蔵尊」のお堂がある。本地蔵尊へはミニ八十八ヶ所地蔵巡りの八十八番目を御参りした後に願い事を叶えるために立ち寄られているようだ。(2021/11/16撮影)
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 ここを訪れたのは今回が初めて。地蔵堂の扉は開けられており、中は座敷なので靴を脱いで入ってみた。
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 正面の地蔵尊が「おかかえ地蔵尊」のようだが、右側にも小さな地蔵尊が台座に座っている。もしかしたら子供でも持ち上げられるよう軽い「おかかえ地蔵尊」なのかもしれない。
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 大名谷の地蔵尊と同じ呪文?「御真言」(マントラ)、「おん・かかかび・さんまえい・そわか」が書かれている。
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 ここでの参拝の仕方が書かれた紙が貼られている。御真言に続けて願い事を唱えるのだろうか?
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 地蔵尊の脇から後ろに回って見ると台座が備えられている。(ナフコで買った我が家の玄関用と同じものだ)
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 台座に上がって地蔵尊の後ろから両手で抱え上げてみて「重さ」を実感してみる。ズッシリとかなりの重さ、10kg程度はありそうだ。
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 正面に戻って御真言と願い事を唱えたら・・・
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 もう一度、後ろに回ってみて再び地蔵尊を抱え、先程の「重さ」に比べ軽く感じられるかを確認する。
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・・・・・ん~軽くなったと言えば軽くなった。変わらないと言えば変わらないような・・。差は微妙過ぎて願い事は成就しない気がするが、更に重くはならなかった気はしたので「良し」としよう。
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 そもそも御真言「おん・かかかさんまえい・そわか」とはどんな意味なのだろうか?
地蔵菩薩の真言は「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」であり、サンスクリット語では「oṃ ha ha ha vismaye svāhā(読み:オーン ハ ハ ハ ヴィスマイェー スヴァーハー)、その訳は「帰命したてまつる。ハ、ハ、ハ。希有なる者よ。スヴァーハー」。そしてその意味はこのサイトに詳しく書かれていた。
以下に転載すると・・・

  • 「オン」帰命(命も体も投げ出して従うこと)
  • 「カ カ カ」の「カ」は地蔵菩薩の種字といって、地蔵菩薩のすべて、姿や働きを一時で表したもので、これを3回唱えて呼びかけています
  • ビサンマエイ」は、ほめたたえること
  • 「ソワカ」は、そのようになる、成就すること
  • つまり、「地蔵菩薩様、地蔵菩薩様、地蔵菩薩様、あなたにすべてを投げ出して従い、讃え、願いを成就させます」という意味になります

 地蔵菩薩様への拝み方、先ず御真言「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」を唱えることによって自分へ振り向いてもらい、その菩薩様の得意分野の願い事を叶えてもらえる(成就する)よう気持ちを込める。よって、お願いする地蔵尊の得意分野以外をいくらお願いしても成就(重さが軽くなった感じがする)しないことになる。

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