安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

番外編

 一昨日になるが「ゆめモール西条」に買い物へ行った際に東広島市立美術館で現在開催中の「古代エジプト美術館展」へも立ち寄ってみた。当然だがツタンカーメンの黄金マスクレベルの展示はされないまでも、一生に一度しか観られない各種出土品・副葬品が多数展示されているようで見ごたえはあった。(2023/11/14撮影)
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 この手の展示イベントでは写真撮影が限られるのが常であり、常備しているコンデシはカバンに収めて展示室へ入場。続いて入ってきた客がいきなり展示物をバックにVサインで記念撮影!まぁ、こんな非常識な客はどこにでもいる。音声ガイド(酒井美紀さん)を借りて3階の第1会場から展示物を順番に鑑賞。2階へ降りて第2会場の受付の際に「最後の展示物のみ写真撮影はご遠慮ください」との説明。・・・ということは写真撮影は一部を除いてフリーであったことになる。とはいえ、写真に撮ってもSNS公開できるはずもなく、興味深いレリーフ1枚と巨大な木棺のみ写真撮影して会場を出た。
 そして階段のガラス壁面に貼られた本イベントのポスター類を見て愕然、「展示品をたくさん撮ってSNS(旧Twitter、Instagram、Facebook)へどんどん拡散しよう!」のような説明が添えられていた。知っていれば撮りまくったのだが、以下の展示物2種類しかない。

 先ずは墓の壁面レリーフ。大きさは幅1m程度たが、オシリス神が精巧に手彫りされていた。
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 もう一つは長さ約2mの巨大な木棺。
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 胸部に描かれていた絵を撮ったのだが、上段には本木棺の被葬者へ香油を塗るアヌビス神。下段には被葬者(スカート?姿の女性)の生前の罪を裁決する場面が描かれていた。ホルス神(隼の頭)とアヌビス神(狼の頭)が天秤で被葬者の心臓(本人証言)と真実の羽根(実際の行い記録)が均衡することを確認してトト神(トキの頭)が記録。これは閻魔様の前で死者が生前の行いを証言する場面と同じといえる。もちろん被葬者には虚偽はなくオシリス神(前述のレリーフに彫られていた人型の神)の前へ導かれるのである。
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 他にも撮りたかった展示物が数点あったのだが後の祭り・・・。ちなみに唯一写真撮影が禁じられていたのは真っ黒な少女の生?ミイラ(頭部と左足)だったが、これだけは撮れと言われても撮りたくはない。

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 この暖か過ぎる異常な11月、長善寺境内の鮮やかな紅葉を待っているのだが、例年通りの来週末辺りが見頃となりそうだ。そこで竹原よりも朝晩が寒い西条なら既に紅葉の見頃に違いないと、広島大学学園祭の見物を兼ねてキャンパス内の広大な並木道を今年も訪れてみた。(2023/11/05撮影)

 これが工学部棟沿いにある並木道。
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 本日は学祭の最中、コロナ禍で昨年から再開。
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 今年は例年規模に戻ったようだが、昨年開催との違いは模擬店の多さぐらいと感じられた。
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 模擬店て買ったジャガバターで軽い昼食を済ませ、昨年と同様に「ひろねこ(キャンパス猫)」写真展や邦楽部の生演奏を満喫。その後はキャンパス内の紅葉を観るためにキャンパス内をさまよった。

 先ずは秋にも咲く珍しい桜の樹。あの秋桜(コスモス)ではなく秋に咲く本物の桜である。
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 家内が一昨年のホームカミングデーにて広大勤務の知人からこの存在を教わったそうだ。
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 地味ではあるが確かに花が咲いている。
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 そして工学部棟が並ぶ沿いにある並木道へ。
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 キャンパス内は国際色豊か。すれ違う学生からは外国語が聞こえてくる。
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 ここからが果てしなく続く並木道。
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 未だ緑の葉が半分程度残っているが、紅葉と落葉がかなり進んでいる。やはり竹原とは気温の落差が激しいからであろうか。
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 歩道上の落ち葉は乾燥して踏みしめられカサカサの細切れ。
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 踏みしめられていない場所は落ち葉の絨毯。
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 電動キックボードが走り抜けていった。
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 東広島キャンパス内を初めて訪れたのは木枯らしが吹く 2020年2月25日の竹原帰省だった。キャンパスから竹原へは安芸津経由の芸陽バスを利用したが現在は安芸津~竹原ルートの再開見込は無い。
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 本日朝の天気概況では明日の雨が過ぎれば急激に気温が下がるらしい。今年も照蓮寺の銀杏の樹、光海神社や長善寺のモミジ、バンブー公園や三景園などを撮りに出掛ける予定である。

-以上-

 今週日曜日の午後は久しぶりに安芸津のジスボーイ(菅田米店)を再訪。新たな中古レコードが大量入荷していそうなので、久しぶりの昭和時代に流行った懐かしいレコードの発掘である。只今、自宅に念願のオーディオ・ルームを構築中なのだが、どうしても生レコードへ針を落として聴いてみたい曲が見つかり、ジスボーイの店長なら何万枚の店内在庫の中から「あったよ~」と発掘してもらえるのでは・・との期待もあった。(2023/09/17撮影)

 先ずは1階で低価格コーナーのシングル全てのシャケットをめくって確認。1時間程度かかったが目的のレコードは見付からず。とりあえず「おおっ!」と感じたシングルを3枚購入。
 続いて高額レコード部屋がある2階へ。ドアを開けると「SING SING SING - Benny Goodman 」が高音質のオーディオ機器で流れていた。見回すとレコードが入った大量のダンホール箱の陰で店長がジャンル別に仕分け中。早速、目的の曲が入ったレコードを探して頂いたのだが見付からず。オールディーズの名曲にしてはシングル盤には無くて4曲入りのEP盤に含まれていた記憶があるそうなのだが、ここの販売品では最近は見掛けていないとの事であった。

 前回訪れた際に同階の「昭和サイン館」を案内して頂いたのを憶えておられ、その隣りの「洋楽チャート館」に年代別に仕分け中の名盤があるそうで中へ。

 部屋の中は名盤(高額、超高額のレア盤)が棚にビッシリ。角にはビンテージのジュークボックスが置かれていた。
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 私がビートルズ好きなのを憶えておられ、ビートルズのレコードは入っていないがカバーしている曲なら何曲かあるそうで、「 TILL THERE WAS YOU 」と「 BABY IT'S YOU 」の2曲をプレイしてもらえた。器用にメカが動く様子の動画撮影は大歓迎とのことで写真と動画を撮影。ドーナツ状(浮き輪?)に並んだリボルバー銃のようなホルダーにシングル盤がビッシリ。選曲ボタンを押すとホルダーが回転して選曲レコードの位置で自動停止。するとホルダーからせり出したレコードをローラーが摘んでターンテーブルに載せた。暫くするとターンテーブルが回転し始めアームが動いてレコードに針が落ちた。初めて見る実際に動いて音の出るジュークボックス。一応、再生中からレコード回収動作までを動画撮影してみたのだが、曲が入った動画は著作権の関係で動画サイトへアップロードできないので公開はできず。また、無音では雰囲気と感動が伝わらず。
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 曲を聴き終わって、わずかに仕分けされた名盤の中から興味深いシングル盤を2枚見つけた。店長は「洋楽チャート館」の床にも置かれた未仕分けの多量のダンボール箱を物色中だったが・・・「あった!!やっぱりコレだ!」と歓喜の声。

 それは私が探し求めていた目的の曲が入ったレコードであった。

 その曲が「 THE END OF THE WORLD - Skeeter Davis」である。YOUTUBEで偶然に初めて聴いた曲で、どこか懐かしく「スーツ」抜けるようなコード進行で、一度聴いたら頭の中でリピートを続ける名曲。
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 自宅のオーディオ・ルームが完成したら、コーヒーを飲みながらじっくりとアナログ機器で聴いてみたい名曲を店長が見事に探し当ててくれたのであった。

 以下は、今回「ジスボーイ」で購入した他のシンクル盤である。学生時代にFMラジオで聴いた懐かしい曲ばかり。

 「 GEORGY GIRL - The Seekers 」・・・この曲の男女コーラスは素晴らしい。
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MR.LONERY - Bobby Vinton 」・・・城達也のナレーションで有名な「ジェットストリーム」のタイトル曲。
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HAPPY TOGETHER - The Turtles 」・・・これもカセットテープに何度も録音していた。
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「  夢みるシャンソン人形 - France GALL 」・・・日本語カバーの多いオリジナル曲。
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LIVE AND LET DIE - Paul McCartney & Wings 」・・・ この曲のミュージック・ビテオを高校生の時にテレビで視た。
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 以下からは、ついでに掲載。

 安芸津の「昭和レトロ館」で購入したシングル盤。

LOVE LETTERS IN THE SAND(砂に書いたラブ・レター) - Pat Boone 」・・・他では見つけていない。
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なごり雪 - イルカ 」・・・これも所有する価値あり。
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ブルー・シャトウ - ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」・・・既に持っていたのに忘れて買ってしまった。
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木綿のハンカチーフ - 太田裕美 」・・・高校生時代、聴き過ぎて擦り減ったので再購入。
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真赤な太陽 - 美空ひばり 」・・・なぜか買ってしまった。
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22才の別れ -  風 」・・・これも高校生時代、聴き過ぎて擦り減ったので再購入。
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- 以上 -

 難解な年金の請求書を出し終えて落ち着いたこともあり、終活も兼ねてこのところ暇を見ては倉庫に積んだダンボール箱の整理をしている。不用品整理と言いながら箱から箱へ詰め替えるだけで、少しも捨てる量が減らないのが「断捨離」とやらの難しいところだ。捨てるか否か悩むものは写真に撮って捨ててしまえと言われても、殆どが電子機器や電子部品で、容易に廃棄できないものや高額な処分料がかかるものばかり。
 今回、ダンボールから発掘したものは1981年当時に親から金を借りて買ったパーソナル・コンピュータ NEC PC-8001 であり、日本製のビンテージPCの代表格的なものである。タンボールを見ると「イマイチ」の店頭に置かれていたNEC看板の赤い旧ロゴが懐かしい。

 明日の花火大会まで新たなプログネタも無いので、今回はこのPC-8001について写真を残して記事とした。

 梱包されていたダンボールもそのまま。これを買いに広島市まで行って、手持ちのまま呉線で夜中に戻ってきたのを今でも鮮明に憶えている。専用ディスプレイは別売なので、当時はモジュレータという機器を介して家庭用カラーテレビにつなげて画面表示していた。
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 未だマウスがない時代。
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 中身を開けてみると電源と排気格子の形状から改良型のVer.1.1であった。ビンテージPCとしては初期型よりも価値が下がる。売ったとしても部品取り機レベルであろう。
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 ダンボールにはユーザーズマニュアルとN-BASICリファレンス・マニュアル、当時これを購入した店「インタフェース」の保証書が入っていて驚いた。
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 機器接続図を見るとアプリケーション・ソフトの記憶措置はカセットテープレコーダだった。
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 中を開いてみると手書きの闇情報がビッシリ。当時、岩瀬書店で毎月購読していたコンピュータ雑誌「I/O」や「ASCII」などから得られた非公式のプログラミング・テクニック関連ばかり。
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 このダンボールに一緒に入っていたのが超小型のノートPC。これも今ではビンデージPCである。
左はIBMの「Palm Top PC110」で日本IBMで開発された当時世界最小の手のひらPC、愛称は「ウルトラマンPC」だった。右は東芝の「リブレット50M」で通称「ほほえみくん」、前者が未だ Windows3.3 だったのに対して後者は出来立てホヤホヤの日本語 Windows95 がプリインストールされていた。ACアダプタは別のダンボールにて見付けているので、もしかしたら未だ通電するかもしれない。
 そして手前は超小型デジカメで SONY の「Cyber-Shot U20」。2002年から2006年頃まで竹原帰省で使っていた主カメラがこれである。(リコール後に故障したまま)
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 発掘して写真に撮ってはみたものの・・・捨てられずにまた埋め直すしか無さそうである。

-以上-

 昨日の「ウルトラマン・ショウ」の写真と一緒にあった1979年に写した広島フラワーフェスティバルの野外ステージ写真もどさくさついでに掲載。毎年、GWには竹原から広島まで3日間通っていた。撮影したカメラは父の形見となったオリンパスPENなので望遠もズームもないが、ハーフなのでフィルム1本で最大72枚も撮れた。(1979年5月3か4日に撮影)

 先ずはこの2枚。写した当時は「朝風まり」(右)。この当時はマジックをしながら歌って踊るアイドル歌手だった。1980年に「二代目 引田天功」を襲名し、世界的イリュージョニストになってからは「プリンセス・テンコー」の名で知られている。
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 このステージは前座だったと記憶している。1枚目の写真と衣装が違うのだが、どちらが先かはもう分からない。
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 次は「荒木由美子」の2枚。当時は名前を知っている程度だった。
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 ステージのトリ(だったと思う)は「太田裕美」を写した数十枚の中から4枚。歌っている曲は「シングルガール」。
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 「雨だれ」か「青空の翳り」のどちらかか両曲メドレーかと思われる。
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 たぶん「木綿のハンカチーフ」。
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 以下はステージではなくパレード中の花車。たぶん「榊原郁恵」。
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 同行したカメラが趣味の友人は2眼レトロカメラで撮影。自宅で現像と焼き付けをしたものを多数貰った中の1枚がこれ。「太田裕美」も多数あったがモノクロで横顔ばかりだったので割愛、これは「高田みづえ」であろう。
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-以上-

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