安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

ストリートビュー

 的場で初日の出を撮った帰りに竹原大橋を渡る際の眺めを撮っておいたので掲載する。時刻は8時13分から19分、日常でこの時間帯にこの区間を道の駅方面へ走ることはほぼ無く、長期に渡り行われている橋脚修復工事による車線規制も解除されていたことから、ただ道を走っているだけの景観だが埋もれさせるのはもったいなかった。(2022/01/01撮影)

:北崎のフェリー乗場から少し過ぎた辺り。
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 国土交通省の交通状況監視カメラがある辺りから路面下は海になっている。
#03
 朝日を浴びる「たけたろう」と激しく煙を吐く「子たけたろう」に重なる契島へのフェリーの景観は、この一瞬の区間しか見られない。
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 正面の山は鎮海山。これまで頂上の「砦」には二度しか訪れていない。
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 水門が開いているか閉じているかを路上から確認できるのはこの区間のみ。
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 冬季には凍結の危険性がある竹原大橋の呉線高架辺り。
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 朝日に映える朝日山もなかなかのもの。
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 この辺りからアクセルを踏まなくても速度が増す。
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 歩道橋につながる八幡橋は、国道幅が拡張されるまではどうなっていたのだろうか。
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 この辺りの堤防?には異常潮位時に裏の扉を閉じるよう書かれたパネルが取り付けられている。路面の雨水排水口を、異常高潮時には誰かが人力で閉じなければならないようだ。近くい穴が等間隔で開けられている。
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 本川橋を渡って日本橋方面へUターン。
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 この辺りの川面には水蒸気が立ち昇っていたが逆光でうまく撮れなかった。
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 スポーツクラブ「エンジョイ竹原」の駐車場内から朝日を浴びる「たけたろう」を撮って終了。
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 この後は日本橋通りから「あいふる通り」の三叉路へ入り、近末の交差点を渡って新町交差点までの写真も数枚あるが、特筆するほどの景観では無かったので割愛する。

 水の口橋修復とトヨタカローラ広島竹原店に続いて「かぐや姫号」の車窓から撮ったもう一枚の写真。新庄町の国道432沿いで見付けた「初詣は氏神さまへ」の幟と案内看板。ひとつ手前の路地には白い幟が立っていたがこれは赤い幟。(2021/12/21撮影)
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 走行中の車窓からでは神社名は読めなかったが、撮った写真を拡大すると「総都八幡神社」と書かれていた。「氏神さま」とはこの地域がお祀りする神様という意味であり、この辺りは新庄町の荘野地区。なぜか同町にに鎮座する「小早川神社(和賀神社)」ではなく「総都八幡神社」だったのが興味深い。
 荘野町に住まわれている方に訊いた話では、この神社を親しく「氏神さま」と呼んでおられ幼少から初詣はここを訪れるのが恒例とのことだった。現在は荒れてしまっているが、なぜ小早川神社ではないのかは明日訊いてみる予定だ。
 愛読書「たけはらの神仏を訪ねて(神野勝著)」で確認してみると神社名は「総都八幡神社」、地図には「総部八幡宮」と書かれており、俗名は「僧都八幡宮」と書かれていた。創建は1288年頃で建立は小早川政景(竹原小早川初代当主、木村城を建城)による。約300年後に創建された小早川神社よりも古い由緒ある神社であることから、ここが「氏神さま」であることも何となくうなづける。

 この「氏神さま」の赤い幟が立っていたのは赤丸の場所、神社はこの分岐路から入って小山を右折した黄三角に鳥居がある。google地図では「増都八幡神社」と書かれているが、誤植では無く鳥居の扁額には「増都」と書かれており、未だ経緯は調べていないが明治時代に「総都(そうず、そうづ?)」に改称とれたとのこと。神社名そのものに「総都」・「僧都」・「総部」・「増都」とのここまで複数の表記があることには驚いた。
#00

 このgoogle地図でもよく分かるが、この「氏神さま」が鎮座する小山は3年前の豪雨災害で崩れている。昨年夏にこの神社鳥居がある狭路を訪れた際には、崩れた法面の修復工事の真っ最中だったのを記憶している。

 今年7月の豪雨災害で呉線が川底下を潜る東川の護岸と川底がえぐられたことで長らく通行止めになっていた河川沿いの道路が、9月下旬に仮復旧によって西沿いのみ通行可能となった。この通行止の期間中に東川上流付近(福田町)へ行く用事が何度か有ったのだが、その際にこの地域の方々から伺った迂回路を利用していた。この迂回路は現在の国道185号が整備されるまでは福田町の主要道路だったとのことで、その歴史的情報として撮り残しておくことにした。なお、本迂回ルートはGoogleマップのストリートビューで途中までは確認できるものの肝心の東川上流付近まではカメラ車が走破しなかったようだ。

 先ずは現在の福田町の航空写真へ迂回ルートを赤矢印で描いてみた。黄色い<災>は災害で全面通行止や車両通行困難となっていた箇所てある。(丸番号1~20は撮った写真番号)

◎現在の福田町(出典:Yahoo地図)
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 次に本迂回ルートを含む道路が福田町の主要道路だった頃の航空写真に赤矢印を引いてみた。

◎国道185号が未だ無い昭和22年当時の福田町(出典:国土地理院 空中写真)
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◎国道185号線が整備された後の昭和37年当時の福田町(出典:国土地理院 空中写真)
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 現在の航空写真へ付加した丸番号1~20の写真を以下に掲載する。(2021/09/28撮影)

(1) 大乗駅近くの国道185号に架かる歩道橋を抜けて大乗川を左折、その先の呉線踏切手前。
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(2)踏切先を右折。この先は2ルートに分かれるが・・・
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(3)手前の広い道路へ。
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(4)広い道路を道なりに進むと
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(5)別ルートと合流する。
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(6)道なりに小川に架かる橋まで進む。
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(8)小川に架かる橋を渡って更に先へ。
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(9)向こうに見える鉄塔沿いを更に先へ。
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(11)Y分岐を右側へ入る。(そのまま進むと袋小路になってしまが途中で右折すれば神社へ出られる)
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(12)かなり狭いが小型車までならギリギリ通れる。
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(13)狭い路地を抜けたら大きく右折。
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(14)右折すると神社の正面、ここが主要道路であった証でもある。この神社の塀沿いに進む。
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(15)そのまま道沿い。
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(16)真っすぐ進む。(右折したら袋小路)
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(17)正面の坂を目指す。(右折すると踏切があるが車両は通行不可か困難)
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(18)坂を上りきると東川の土手沿いに出られる。
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(19)この橋を渡れば東谷地域へも行ける。
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(20)真っすぐ行くと国道185号で出られるが、ここが災害復旧工事現場で通行止となっていた。
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 迂回ルートが訊けた際に得られたトリビア、竹原市内において高崎町~床浦辺りの国道は狭くて曲がりくねった不便な路線であったが、のちに整備されて現在の状態となり、地域住民からこの路線(道路)は当時の内閣総理大臣に因んだ愛称で呼ばれていたそうである。

 2018年の豪雨災害で市道大井宿根線の西ノ川支流に架かる橋が崩落。その後、崩れ落ちた橋の部分を迂回する未舗装道路が造られて復旧工事が続けられていた。だが、今年の7月に発生した豪雨災害にて迂回路と復旧途中だった橋の護岸も崩落し、全国ニュースでも取り上げられていたが、この迂回路の消失と西ノ川上流の護岸崩落などによって宿根地区が孤立した。
 下の地図にその支流に架かる橋の復旧工事現場の場所を示した。赤矢印が市道大井宿根線の通行ルートであり、黄色ラインが2018年豪雨災害で崩落した橋の場所、青矢印は橋の復旧作業に設けられていた旧迂回路、赤矢印が今回新たに造られた現在の迂回路(未舗装+鉄板敷き)である。
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 旧迂回路が通れた頃の写真もあるはずだが割愛。今回は今年7月の豪雨災害で新たに造られた迂回路と橋梁及び護岸の再構築中の様子である。西ノ川には宿根地区にある複数の支流が合流しており、河川は巨大な岩や石が一面ゴロゴロの状態。豪雨となれば鉄砲水に混じって岩や石が流れ落ちてくる河川である。

これは新たに造られた現在の迂回路である。(2021/09/09撮影)
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 正面に2018年豪雨で崩落した橋があった場所で、現在は橋を再構築中である。
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 9月時点では護岸が完成しており、新たな橋の橋桁の型枠造りが始まっていた。
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 大井宿根線を下り側から。
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 以後、橋桁の型枠に鉄筋が敷かれていたが、今回訪れた際にはコンクリが流し込まれて固まり、型枠も剥がされていた。(2021/10/06撮影)
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 支流から転がり落ちてくる巨石や流木から橋を守るためなのか、強靭な橋桁と橋脚に複雑に曲がった護岸。
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 この橋梁復旧工事の工期は11月30日までの予定。この場所が舗装路として通行可能となり、現迂回路が除去されるのは間近である。

 今回は高崎町に続いて小吹地区の主要道路を走破。小吹地区は竹林とタケノコで有名であり、竹原市の小吹として登場するサスペンスドラマやレポート番組などを何種類かテレビで観たことがある。だが、私は実際に小吹を訪れたことは殆ど無く、タケノコ狩りも未体験のままである。
 今回はバンブー公園から:県道75号(小吹トンネル方面)へ抜ける途中から小吹地区の集落と竹林沿いを走ってみた。下地図では赤矢印がバンブー公園から小吹大橋を渡って小吹地区へ入って北側へのルートから県道75号方面へと抜け出てたルートで、黄緑矢印の戻りは県道75号からバンブー公園への途中から再び小吹地区へ入り、南方面へと下って呉線小吹踏切を渡ってバンブー公園に!抜け出たルートである。(2021/09/23撮影/写真は99枚)
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 先ずは赤矢印ルートカラスタート。バンブー公園から呉線を跨ぐ小吹大橋を渡って北上。
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 これが小吹大橋。ここは高崎町と小梨町の境界のようなのだが、そもそもここは小吹地区なのだろうか・・・。
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 橋を渡ってカーブを繰り返しながら道なりに進む。
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 1km程度走った辺りに小吹地区へ入る看板がある。
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 看板には「竹の里 小吹」と書かれていた。
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 ここから坂を下ると・・・。
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 小吹地区の集落がある。
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この先の電柱から左折すれば南下して小吹大橋がある踏切方面となり、直進して北上すると県道75号へと抜け出られる。先ずは北上ルートを走ってみる。
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 左折ルートは後程走る。
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 直進して道なりに走ってみるが、県道75号に近づくと道幅が狭くなって鬱蒼としていた。
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 この辺りが小吹地区の主要エリアだが竹林は見当たらなかった。
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 どんどん登る。
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 固まっていた家屋は見えなくなり、遥か彼方にポツンと一軒家。
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 何だか先へ行けるのか怪しくなってきた。
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 落石注意の看板。
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 ここは以前に訪れたポイントだった。
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 真っ直ぐ進むと県道75号へ抜け出られるのだが、ここは敢えて県道75号の高架下を潜ってみる。
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 これは小吹橋。高崎町の内浜まで流れている河川は内浜川である。
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 これは過去のブログ記事で紹介した中国自然歩道の案内板。
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 更に北上。
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 県道75号の桁下を潜って県道沿いの旧道へ。
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 ここが峠の頂点のようだ。
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 下って行くと・・・。
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 マムシとスズメバチの注意看板。
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 これで赤矢印ルートは終わり。この先は割愛するが、県道75号沿いにひたすら進んで抜け出した。
 
 ここからは黄緑矢印ルートへのバンブー公園へと南下する。
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 先程の「竹の里 小吹」の看板(裏側)に到着。
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 再び集落中心から、今度は左折して南下する。
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 おっ、竹林が見えてきた。
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 この斜面はテレビで何度も観た場所なのか?
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 竹林は道路右側面に続いている。
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 この辺りからは竹林が無くなった。
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 もう家屋はひとつも無い。この辺りは小梨町なのか高崎町なのか?
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 右にそれる道が有るが、舗装路の左側へ進む。
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 一応、離合場所があるがこれまで対向車には遭っていない。
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 再び竹林が。
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 「竹原市上水道 小吹ポンプ場」。
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 急に開けてきたが、そろそろ踏切なのか?
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 いや、まだまだ先のようだ。
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 またまた竹林。
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 抜け出られそうで出られないカーブが続く。
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 遥か向こうに散歩する人を発見。これが小吹地区での第一村人?
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 左側には内浜川が迫ってきた。
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 明るくなって家屋が見えてきた。そろそろ踏切か?
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 いや、まだのようだ。
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 見えた!スタート時に渡った小吹大橋だ!
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 川沿いを進む。
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 見えた!やっと小吹踏切に到達。
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 右を確認。竹原駅方面への青山トンネル入り口が見える。
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 左を確認。大乗方面へのカーブ。この辺りは「徐行~」25km/h 区間であり、電車は「カタン・・・・コトン・・・・カタン・・・・コトン・・・」と走っている。
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 このトンネル上が小吹大橋である。
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 トンネルを抜け出たらバンブー公園の第二駐車場付近に到達。スタート・ポイントに戻ってきた。
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 かなり前にこの南下ルートを走ったことはあるが、まだ県道75号が造成中だった。赤矢印ルートも小吹大橋が建造中で通行止めであった。微かな記憶では鬱蒼として行先不安な場所は無かったはずなのだが、もう20年以上前のことである。
 この小吹地区、住所的には竹原市小梨町小吹なのだが、地図ではどうみても高崎町にも掛かっているのではなかなうろか。それと・・・竹小時代に小吹へ遠足をしたことがあったが、竹小第1校庭沿いから東へ峠越えして小吹に抜けたハズ。だが、地図にはそれらしき道が無い。森近製材のバタンコが走れたぐらいの道だったので獣道ではなかった。もしかしたら竹小第1校庭沿いは県道75号の旧道を勘違いしていたのかもしれない。

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