安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

町並み保存地区

 日暮れ前の照蓮寺へ立ち寄った際、本堂にて参拝を済ませたら鴬張りの廊下を踏み鳴らしてみたくなった。靴を脱いでゆっくりと廊下の端から端まで歩くと、あの独特の板の「がたつき」と「たわみ」を足の裏に感じながら、ひと踏みごとに「キュッ、キュッ・・・」と乾いた音色を聴くのは久しぶりであった。(2023/01/08撮影)

 照蓮寺の鐘楼門を潜るたびに思い出すのが「ええ門」(=豪華な門)。親戚の祖母からよく言われた「ええもん(=お菓子)が欲しいんじゃったら照蓮寺へ遊びに行きんさい」であった。
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 下校時の道草でよく遊んでいた石段と境内、歳をとって改めて西を観ればまるで絵画の額縁のような鐘楼門の開口部。
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 子供の頃からこの門の扉が閉じられたのを一度も見たことは無い。太陽が西へ傾いて遠くから16時半のサイレンが聴こえてきたら帰宅の合図。
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 ランドセルや体操服袋を本堂の階段へ置いて・・・
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 「キュッ、キュッ」と音を鳴らしながら近所に住む友達とこの廊下を走り回ってた。
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 そして今回初めて気が付いたのが、廊下の左側奥にある重厚な扉の文字。
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 「帰浄庵」と書かれているのだが一体何の部屋だろうか?まさか便所ではないだろうし・・・
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 16時半、もう遠くからコガネムシのメロディやサイレンの音が聴こえてくることは無い。
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 さて・・・そろそろ帰るとしよう。

#10

 この「帰浄庵(きじょうあん)」については境内で住職に逢えたら詳しく訊いてみるが、浄土真宗では「大生(おおじょう)」を「帰浄(きじょう)」と言う(べきの)ようだ。「環浄」と「帰浄」の表記の違いについてはとても難かしいのだが、人は亡くなると地獄に生まれた存在から極楽浄土(本来居るべき場所)へ「帰る(行く?)ことができる」のであって、極楽浄土に元々居たのではないことから「環(=回って戻る)」の文字は使うべきではないのではと解釈した。例えれば「Uターン(=帰郷)」が「環浄」で「Iターン(=移住)」が「帰浄」となるのだろうか。

 帰郷後から家内が友人と定期的に訪れていた町並み保存地区に古くからある「そば處かんの」が、暫く休業されることを聞いたのは昨年の秋であった。家内は営業の再開を待ちわびていたのだが、本日に見掛けた店頭の貼り紙で「暖簾を降ろされる」ことを知った。(2023/01/18,22撮影)

 先週までは「当面の間休業」であったのだが・・・。
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 残念なことに「店じまい」をされる「お知らせ」に貼り替えられていた。
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 私は蕎麦アレルギーで蕎麦が食べられないので「そば處かんの」は和風味溢れる外観しか観られなかったのだが、別な形で店主のお世話になっている。それがこの店主が出版された『たけはらの神仏を訪ねて』(撮影・編集:神野勝/発行日:2009年4月15日/印刷:山脇印刷株式会社)である。
 本著書を最初に知ったのは新町にある「カフェ&ギャラリーひのまる」の本棚であった。自費出版のため販売されていないとのことで、帰省の度にここを訪れて見入っていたが、帰郷後に竹原書院図書館で借りられることが分かり、その後、家内の友人が著者と知り合いで本書を所持しており、無期限で借用しながら竹原を散策する情報源に活用していた。
 そして昨年の6月、宿根に住まわれている私の知人から『たけはらの神仏を訪ねて』と『芸州竹原 旧下野村大井郷史』を譲り受けたことで完全な所有物にすることができた経緯がある。
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 本書冒頭の「出版にあたって(神野勝氏)」の一部をまとめてみると、神野さんが竹原市内に祀られている神社仏閣等の現在地の確認と実物を撮影する決意をされたきっかけは、『竹原聞きある記』を読まれて「竹原に長年住んでいながら"知らない・解らない"ことの多さに痛感」であり、本書を出版されたのが2009年4月15日、蕎麦屋を始めて13年経った時点であった。
 大よそ700頁もある本書だが、各ページに対して1神仏の名称・写真と所在地や由来・歴史などが掲載されており、これらの調査と撮影及び出版作業を2009年から4ヶ月の短期間で完遂されたことは驚愕である。
 
最後に「蔵出し写真」と帰郷後に撮った「そば處かんの」の写真を掲載する。

・最初に撮ったのは「年越そば」で開いていた1997年元旦。(1997/01/01撮影)
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・1998年GW帰省時の「竹まつり」にて。(1998/05/03撮影)
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・2000年の「竹まつり」。(2000/05/03撮影)
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・2001年の「竹まつり」。(2001/05/03撮影)
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・2003年の「竹まつり」。(2003/05/03撮影)
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・2004年の「竹まつり」は「遊山」になっていた。(2004/05/03撮影)
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・2010年の年末も「遊山」だった。(2010/12/31撮影)
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・2011年秋は「かんの」に戻っていた。(2011/10/24撮影)
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・そして最新が2022年の「憧憬の路」。(2022/10/31撮影)
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-以上-

 昨年の暮れ、道の駅に貼られていたポスター「塩のまち竹原 デザイン マンホール アート展」に目が留まった。このイベント会場になっている旧笠井邸が年明けに開館されるのを待って訪れる予定であったが、それが本日午後となった。(2023/01/08撮影)

 近くに自動車を停める場所が無いので自転車で旧笠井邸へ。
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 玄関前にも道の駅で見たポスターが貼られていた。
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 本日は観光客モードで館内へ「潜入」。展示物はテレビ局で「あるある」の「特別な許可」は不要で撮影は自由であった。すべてが竹原小学校6年生の作品とのことだ。
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 手前から順に作品を観ながら、奥の床の間に個別に置かれていたのがこの作品。一目で他の作品とは明らかに表現の次元が違っていることに魅かれた。瀬戸内の海水を太陽熱で製塩し、北前船で全国へ出荷することで富を得て栄えた本町の古い町並み・・・この「塩のまち竹原」が1枚のマンホール画に凝縮されているのである。よく見ればこれは最優秀作品賞であった。
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 座敷の一番奥にはカラー・マンホールが展示されていた。床の間に置かれていた最優秀作品賞の「塩のまち竹原」が鋳られた本物のマンホール蓋であった。
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 マンホール蓋の実用上、作品の「太陽」と「道」は路面で滑らないようオリジナル画に凹凸が加えられているとこと。なるほど、他の作品を見返すと実用に適さないデザイン画が多かった。
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 このマンホール蓋の製造枚数や設置場所については未確認とのことだが、「たまゆら」系のマンホール蓋が道の駅2F展示と竹原駅前商店街(あいふる通り)の歩道に数枚嵌め込まれたことから、これは町並み保存地区の何処か数箇所へ嵌め込まれるか、既存の「かぐや姫」マンホール蓋と交換されるであろう・・・いや、この解説には、竹原小学校の周辺に設置されていく(この表現は複数枚のようだ)と書かれていた。
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 おまけ・・・旧笠井邸へ向かう際にすれ違った「恐竜(チラノサウルス?)」。保存地区の何処かで何かのイベントが有ったのか、自転車を停めて訊いてみるべきであった。
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-以上-

 令和4年の大晦日は西方寺で「除夜の鐘」を突いたが、今回は「百八回分」の開始から終了までをノーカットで動画に収録。タイトルと年が明けた場面へ「令和5年」を付加したものを本日youtubeへアップした。
 「除夜の鐘」の際に普明閣がライトアップされることを期待して十一面観世音菩薩堂の裏へカメラを設置してみたが、残念ながら今年もライトアップされず。映っていたのは暗闇に舞い上がる焚火の火の粉と、鐘撞堂の鐘を撞くシーンのみであった。(2022/12/31~2023/01/01撮影)

 この動画を仕上げるのに半日程度かかってしまったので公開が1月2日となってしまった。
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 私が貰った御札は「第十五」で参拝者の十五番目に鐘を撞いているのが私である。

 令和5年に変わる瞬間は動画 13:22 であった。 
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 因みに吉名町にある西方寺の説教所にも鐘が有り、近くの住民が「除夜の鐘」を撞きに訪れていたと聞いている。

 今回撮った実際の動画は以下。

安芸の小京都 竹原 066 西方寺 除夜の鐘(2022 12 31)


 かなり前の帰省時に照蓮寺での「除夜の鐘」を動画に撮った記憶は有るのだが、動画サイトへアップしていなかったので動画データは行方不明のまま。年明けの「カウントダウン」が鐘楼上でされていたことから2012年以後だったと思う。但し、「百八回」の最後までは収録せずに年明け直後は礒宮の初詣へ移動したので、今回が初めての完全収録版となった。

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参考までに撮影した動画は以下の手順で公開している。Windows7時代のパソコンと無償アプリのみ使用なので1時間程度の動画に8時間程度要している。
  1. ムービー独自の動画データをSDカード経由でBD(BlueRay)レコーダへ取込
  2. BDレコーダ内で不要部分を削除してからBDへマスタとして書込保存
  3. BDをパソコンに読ませてBD形式データをコマ単位編集し易い AVI形式へアプリで変換
  4. 変換時に付加された宣伝部分を他のアプリでカット
  5. 動画編集アプリでタイトルとキャプションなどを付加したものをyouttubeへアップロード
  6. youtube側にて標準と高画質形式へ自動変換されるまで待つ

 昨年と同様に今年も西方寺で除夜の鐘を突いた。照蓮寺にするか西方寺にするかで毎年迷うのだが記念の御札が欲しくて今年も西方寺を訪れた。(2022/12/31~2023/01/01撮影)

  照蓮寺との協定時刻 23:45 を少し過ぎた48分、住職が念仏を唱えながら3打の鐘突き後に1人目から開始。(1人目は4打目になるのだろうか?) 
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 開始前の列は20人程度であったが、鐘突きが始まると徐々に客足が増えて西方寺の境内まで伸びていた。
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 鐘突きに慣れていない人は「ド~ン」とソフトに、要領を得た人は「ゴ~~ン~ン~ン~」と唸りと余韻を残しながらハードに。始まって1時間経った頃には待ち列が100人目を越えていた。
#04

 手渡される御札が切れた時点で、一旦〆るため住職が再び念仏を唱えながら最後の1打。(これが108打目ならは104人目がラストとなる)
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 あとは御札がもらえないが鐘を突く人が数人いた。

 これが私が貰った御札(第十五)である。ちなみに昨年は第十六であった。
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 さて、4時間程度の熟睡後、今度は初日の出の撮影へ出発。

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