安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

イベント

 今年の3月に開催された「障壁画プロジェクト」の3作品だが、障壁画完成披露展で鑑賞したのは無料開放の旧上吉井邸に展示されていた襖絵「竹原神明図」のみ。他の2作品である屏風絵「祝福の小径」と「竹原波涛図」は旧松阪邸内(入場料300円)であったが、5月の「竹まつり」では「竹原波涛図」が頼惟清邸に臨時展示されていたので鑑賞することができた。(2024//05/03撮影)

 これが頼惟清邸の奥座敷に展示されていた屏風絵「竹原波涛図」。ちなみな「波涛(はとう)」とは単に「大波」を意味するようだが、竹原沖の瀬戸内海の波であることから何かの例えや含みがありそうだ。
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 普段は NIPPONIA HOTEL竹原製塩町に展示されているのだろうか。床浦(宮床)、長浜、的場と吉名の海岸をモチーフに、日の出から日没までの瀬戸内海の時間の流れが屏風4枚に分けて表現されている。
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 屏風の下に飾られている4種のオブジェも作品である。
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 作者と作品についての詳細は以下のプレートを参照。
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 本作品においては作者が波打ち際を端から端まで素足で歩いた音と、竹の葉による波の擬音が流れているとの解説が書かれていたのを鑑賞時に見落としてしまった。頼惟清邸での展示当時に流れていたのか否かは、今となっては邸内は極めて静かだったような気がする・・・との記憶しかない。

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 このところ、西条方面へ移動していると新庄町の神田バス停辺りで10人程度が地面を深く手堀している光景を見掛けていた。場所は国道432号バイパス工事の始点ポイントなのだが、テントが張られ他の工事区間とは異なって重機による作業をしていない。この様子は既視感があり、小早川神社の本殿近くで行われていた「城ノ本遺跡発掘調査」を思い出した。そして昨日は長い溝と石積みがチラノと見えたことから遺跡発掘調査であることを確信。そこで本日夕方にその現場を訪れてみることにした。(2024/05/24撮影)

 付近に車を停める場所が無く、車で賀茂中辺りをウロウロ。遺跡発掘ということで予想はしていたが、作業を終えた後でブルーシートを覆って遺跡が保護されていた。
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 かなり離れた場所から徒歩で訪れてみると、発掘現場は神田(じんでん)であった。いかにも遺跡が出そうな地名である。横断歩道を渡って遺跡発掘側へ移動。
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 白いテントの向こう側にブルーシートが敷かれている。
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 発掘現場の脇に看板が置かれていた。
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 遺跡名は「神田遺跡(じんでんいせき)」。事業名は「城ノ本遺跡」の「一般国道432号改事業(竹原バイパス)に伴う発掘調査」とは若干異なるが、調査機関は同じであった。
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 調査の期間は来年1月末までの予定であり、それまでこの付近のバイパス工事は延期となるのだろうか。
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 本発掘調査についてはテレビ・ラジオでは聴いてはいなかった。ネットで調べると本調査機関の埋蔵文化財調査室サイトのニュースにて「神田遺跡(竹原市新庄町)」が紹介されており、ここも小早川氏に関連する遺跡の可能性があるとのことだ。現時点ではそれ以外は見つからなかった。

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4月から新たな移動図書館「わかたけ4号」の運用が開始された。最初に新車両の存在を知ったのはNHK広島のニュースで、その夕方に図書館で車両を目撃。その後、これまで大型だった旧車両「わかたけ3号」を見掛けなかった狭い道路で新車両とすれ違うこともあった。
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 図書館で目撃した新車両「わかたけ4号」。(2024/04/04撮影) 
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 これまで「わかたけ3号」が来ていた大井地域交流センターに新車両が登場。(2024/04/11撮影) 
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 旧車両となった「わかたけ3号」を最後に撮影したのは電発のイベントだった。(2023/11/12撮影)
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 旧車両は「お別れ会」を終えて南アフリカ共和国へ譲渡されることになったようだ。

 「わかたけ3号」の前には「わかたけ2号」が存在していた。これは竹原市役所の駐車場に置かれていた車両で、この頃は「わかたけ1号」と「わかたけ2号」があり、2台で巡回しているものと勘違いしていた。(2000/01/09撮影)
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 「わかたけ2号」に代わって新たな「わかたけ3号」を最初に撮ったのは2012年。この頃も1~3号で巡回していると勘違いしたままだった。(2012/08/07撮影)
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 「わかたけ3号」が走り出してから「わかたけ2号」を全く見かけなくなったことで、もしや「3号」とは「3代目」のことでは?と思い始めたのはこの頃だった。(2014/12/29撮影)
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 そして「わかたけ4号」がお目見えしたことで新車両へと代わる毎に「号」が+1となることが分かったという次第。

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 修景広場の奥に有る「竹の風ぐるま」の集合体(1面)は、風が吹いても風向きが悪いと全く回らないこともあり、そのオリジナル版は辛抱強く待つことが多かった。それを改善しての設計なのか、「竹まつり」の「憧憬の広場」に展示されていた「竹の風ぐるま」のオブジェは三角柱で3面の集合体となっており、どの方向から風が吹いてもどこかの面が心地よく軽快に回ってくれていた。
 この「竹の風ぐるま」オブジェは「竹まつり」限定なのだろうか?翌日にオリジナルのある修景広場も訪れてみたが、どちらの広場にも置かれていなかった。何処かへ仕舞われているのか、解体されてしまったか、それとも単に見落としてしまっただ:けなのか・・・。(2024/05/03撮影)

 先ずはマッサン像側から。
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 正三角形3面の三角柱になっていた。
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 北側面。山側から撮るのは忘れてしまった。
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 撮影者が映り込んでいない一瞬の間だが、わずかな風でも激しく回る様子を動画(高速度撮影120FPS)で撮ることができた。

安芸の小京都 竹原 081 令和6年 たけはら竹まつり 竹の風ぐるま(2024 05 03)


-以上-

 前回、竹原市歴史民俗資料館を訪れたのは1997年帰省時の「竹まつり」。その頃は祭り両日が無料開放だったが、今回の「竹まつり」では有料(200円)。前回観た際に祖父が作っていた製塩用の桶や、胡堂の旧扉なとが所狭しと展示されていたので、それを再び観られるのでは?と受付で入館料を払って有料ゾーンへと入ってみた。(2024/05/03撮影)
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 2階への階段の裏に受付があった。
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 受付がある壁の奥と2階は有料ゾーン。手前は主に「マッサン」関連の展示コーナーであった。
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 受付で受け取ったのは「竹原案内」の小冊子と、領収証代わりなのか「竹原市歴史民俗資料館」の文字と写真が印刷されたシート。
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 展示物は前回観た物とは一変。1階には製塩業と酒造業の資料と製塩所の模型に変わっていた。また、2階は古墳の出土物が博物館風に展示されていたと記憶。あの古美術商の館のような思いで溢れる身近な実物の展示物を観る事はできなかった。

 手前のフリー・ゾーンでは「マッサン」関連の掲示物があり、ストロボ禁止で実物資料の撮影は可となっていた。
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 各所にある観光ガイド冊子も棚に多数置かれており、日本語版・英語版・中国語版と韓国(語)版の減り具合が、ここを訪れている観光客の割合に比例していそうだ。
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 次は町並み保存センター前で行われていたエレクトーン演奏へ。
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 有料ゾーンでの掲示物や展示物の撮影は敢えてしなかったが、開かれていた鉄扉から普明閣を撮影。窓の下は「憧憬広場」と「マッサンとリタ像」が見える。
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 電柱向こうに見える三角屋根が普明閣。
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-以上-

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