安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

お茶にしょ~やぁ

 中央こども園の増築の様子を見に行った際に、阿波村醤油醸造場の横へ多量の一升瓶が置かれていた。ラベルを見ると、「竹鶴」、「誠鏡手造り」、「酔心」などの日本酒の他に「タケハラ醤油」が混じっていたのである。どうやら白いビニール製蓋がハメられた瓶が「タケハラ醤油」で、実物を見たのは今回が初めて。一体どこで買えるのだろうか?道の駅には「ほり川醤油」などの数銘柄のペットボトル醤油が並んでいたが「タケハラ醤油」は無かった。(2021/02/28撮影)
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 竹原が市制となったのが昭和33年で市章が制定されたのが昭和38年、ラベル中央の登録商標が市章と同じデザインである。どちらが先なのだろうか?阿波村醤油醸造場の建物はかなり歴史がありそうだった。
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 今でもコルク式の一升瓶の蓋を見るとこっそり抜いて集めたくなる衝動に駆られるのは、珍しい銘柄の一升瓶からコルク蓋を抜いて収集していた竹小時代の記憶によるものだ。

 西幼稚園跡の傍に掛かった古庭橋の交通量が徐々に増えてきている。最近になってその原因が国道432~国道185号線間の抜け路になっていることが分かった。花いち古書跡から道の駅ルートで国道をそのまま通ると、信号機の数は点滅式を含めて10基以上あるのだが、大広苑前の旧国道から古庭橋を渡って楠通りを抜けると3基(花いち、住吉橋、新港橋)しかないのである。
 そのせいで楠通り最北端の仲商店と西幼稚園跡の細い路地が離合困難で待ち合わせ車両が増大。旧国道から古庭橋への交差点には信号機が無く、優先路や一時停止標識を無視しての無理な出入りや旧国跨ぎの何と!多い事。ここでの事故が少ないのは信号機が無いための用心かもしれないが、これはあくまで旧国道を通る車両側が細心の注意を払っているからである。抜け道としている車両は容赦なく優先車両の通行を妨害する。

 下地図の赤ラインがその抜け道の主ルートで緑ラインが副ルートである。
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 ここが楠通りの最北端。対向車がいると2,3台がここで立ち往生する。これを回避するために左折して藤井写真跡から旧国道へ抜ける車もいる。
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 西幼稚園跡側から
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 これが抜け道として利用され始めた原因の古庭橋である。
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 橋から旧国道へ右折する列や、旧国道を跨いで新開まで貫ける車両の多い事。ちなみに道路右の安芸スペースは榎町市営駐車場跡である。
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 私はここを時々利用しているが、一旦停止しなかった軽トラに自車1m前を横切られ急ブレーキを強いられたことが有った。ゆっくり通過すれば左右から割り込まれ、普通に通過すればブレーキをかけさせられるのは日常茶飯事である。交差点の水色と黄色で塗装された路面の意味は分からないが、このせいで横断歩道の存在が見えにくく歩行者がいても停まる車両は殆ど無し。大広苑前を通る旧国道にて新町~中通り間を利用する場合はくれぐれもお気をつけて。

 竹原町から忠海町長浜まで自転車で散策していた途中、国道185号線沿いのツダモクの貯木場入江だった大乗町福田の芸陽バス停向こうに発電所の新たな巨大施設近くまで行ってみたくなった。ここはツダモク跡地だったが、かなり前から立入禁止となっており、しばらく訪れなかった間に石炭燃料を微細粉砕する施設に変わっていた。
 今回は大乗福田BSから先の路地へ入り、本粉砕施設沿いを通って電発敷地の西端沿いのルートを走行。なお、ここはこれまで「私的な未踏の地」であった。(2021/02/11撮影)
 
 先ずは走行ルートをGoogle Mapに引いた赤ラインで示す。
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 国道185号線、ツダモクの貯木場入江だった大乗町福田の芸陽BS。昔、このBSは「ツダモク前」とかだったと思うのだが確信はない。
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 国道から民家の路地へ入ると、その向こうに巨大施設が見える。
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 近くに寄ってみたのたのが、高いフェンスと「関係者以外立ち入禁止」のシートで中の様子は見えなかった。
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 ここの突き当りには2ヶ所のポンプ場があり、その設備名称からこの辺りが「堂沖」であることが分かった。
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 突き当りを道沿いに走るが、巨大施設には仮設シートで囲まれて中は見えない。
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 結局、何も見えないまま端に到達。
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 この海側にも橋があるのだが、遠目でも立入禁止になっていることが分かった。粉砕施設と発電所敷地がこの専用橋でつながっており、粉砕された石炭燃料が車両や特殊なコンベアで運ばれているようだ。
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 海は見れそうにないので橋を渡って山側へ行くことにした。
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 このミラーは一体??この辺りに出入口でも有ったのだろうか?
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 川沿いをひたすら進むと・・・
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 見慣れた国道185号線の橋が見えてきた。
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 国道を跨いだ先へは何度か訪れたことが有るが、狭い路地を道なりに進むと国道の歩道橋がある辺りに出る。
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 この川の名が「ひがしかわ」であったことを初めて知った。
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 結局、石炭を粉砕する施設については何も分らず。その代わり「ひがしかわ」河口に架かる橋は関係者以外立ち入ることができない「特別な区画」であることが分かった。もしかしたツダモクが有った頃は海側まで出られていた可能性がある。

 「岩合光昭の世界ネコ歩き『安芸・広島』」の竹原パート中で、照蓮寺の石段下にて出逢える猫たちである。本番組に登場した「風土」の漱石と「のんびり亭」隣りの飼い猫や照蓮寺の猫たちは、カミさんがスマホで多数写真を撮っているのだが、私に見せるだけでデータをくれない。本日はテレビのローカル局の情報番組にて西方寺の枝垂れ梅が紹介されていたことを聞いたので、保存地区内の枝垂れ梅を撮りに出かけたのだが、照蓮寺内を撮り終えて石段を下りていたら、日向ぼっこしていた猫たちに偶然出逢えた。(2021/02/28撮影)

 照蓮寺の山門を潜って石段を下りていたら、本番組にも登場していた猫たちの飼主さんがバイクで何処かへ出かけようしていた。撮影時の様子も含めて少し話を聞かせて頂いたのだが、石段下に住まわれている飼主さんが飼っている猫はサバトラ模様(白サバトラ)の2匹だそうだ。他の猫(オスかは聞かなかった)たちは近隣からここの娘猫と遊ぶために時々来ているらしい。
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 我が家の飼い猫の片方と殆ど同じ模様と色合い。カミさんから照蓮寺の猫たちを撮ろうとすると視線を逸らすと聞いていたが・・・・
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 「特別な交渉術?」を用いることでベストショットが撮れた。
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 本番組では石段から下りてきたこの2匹は、絶妙の着かず離れずの距離仲のようだった。地べたに転がる猫を眺めていると・・・
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 離れて座っていた背中に哀愁漂うペルシャ系のミックスには「特別な交渉術?」は効かなかった。墓参りに訪れていた人が車の傍で途方に暮れている様子だったので聴いてみると、「バックしたいのに車の後ろからどいてくれない」との事。ならば・・と猫を抱えて避けてあげたところ左胴脇に何だかシコリがあるようだった。白サバトラの飼主さんによると毛玉の塊りとのことだ。
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 自動車は避けた後に出ていったが、転がしてみても目線をくれない。・・どころか何処か顔なのかも分らぬ状態。
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 本日は部屋の中よりも屋外が暖かかったようで、この時期的には撮れたのが偶然だったようである。
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 こちらの猫はシロサバ姉妹の2匹目。(前足が白い)
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 飼主さんに別れを告げて他の枝垂れ梅の撮影を再開。この後にバイクが何処かへでかける音がした。
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 私にとってオリオン裏通りは「未知の世界」である。写真を撮り始めるまで、ここに駅前商店街専用駐車場(有料)、焼鳥屋や寿司屋、オリオンに南側口?が有る事を知らなかった。(2021/02/11撮影)

 その焼鳥屋と寿司屋がここである。
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 先ず、駐車場向いの焼鳥屋は「とり八」で、昭和55年の地図では「スタンドリリー」、平成6年では「旅館 都」であったようだ。地図の表現では「スタンドリリー」と「旅館 都」は同じ建物だったかもしれない。
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 その西隣の寿司屋が「〇(丸)」に「十(じゅう)」と書いて「・・のにぎり」なのだが、何と読むのだろうか。「まるじゅう」で良いのか「まるとう」なのか。ここは昭和55年地図では「旅館 秀」で、末広堂側の「モード大岡」裏に「 丸十(〇に十)にぎり寿し」があり、平成6年では現在のここへ「寿し処 丸十(〇に十)」が移転していた。なお、後に「とり八」になった「旅館 都」と「旅館 秀」は同一の建物だった可能性が高い。
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 そして「オリオン」なのだが、竹原警察署側にも出入口がある。こちらの出入口については定点観測までには至らないが、数年に一度程度でシャッターが開いている様子の写真が何枚かある。ここは昔から高級衣料の店「オリオン」だったはずなのだが、昭和55年地図では「オリオン洋菓子ガレージ」となっており、平成6年では「おしゃれのデパート オリオン」だった。しかし、こちら側は昭和時代はガレージだったのかもしれないが、ここが洋菓子店だった記憶は全くない。
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 最後に、あいふる側の「オリオン」店舗には王冠を象った「Orion」の商標があるのだが、こちら側にはそれが全く無いのも不思議であり、あしふる側と中続きの店舗が昔は別々の建物だったかもしれない。

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