安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

土曜日の実験室

 数年前から長期に渡って復旧作業が続けられている楠通沿いの本川。コンクリート製の護岸が脆くて崩れる箇所があることから、鉄製の護岸に取り替える「矢板圧入+笠コンフレーム設置」工事(二級河川 本川水系 本川河川災害復旧工事 令和3年第18号)が現在進行中である。
 前回、その大規模な工事の様子を見たのは昨年11月。河川内を幅広く埋め立てた土台を重機が往来していた。

 そして年明、護岸となる鉄製の矢板圧入が完了。(2023/01/08撮影)
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 本川の幅はここまで狭くなっていた。
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 そして2月、川幅が元に戻され矢板の上部には笠コンフレームが設置されていた。(2023/02/11撮影)
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 撮影場所は楠通最南端で新町との境にある渡逢橋(わたらいはし)。ここから眺める朝日山が家並みと本川と相まって絶景なのである。
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 本工事の工期は令和5年3月31日まで。重機の搬入や資材置き場に使われていた「中山たばこ店」跡の更地も整地され工事は完了間近のようであった。

 保存地区から帰宅する際、小田山神社の参道入口に野良猫が座っていた。逃げないので近寄ると虫のハンミョウ(道案内)のように、ゆっくりと付かず離れずで小田山神社方面へ歩いて行くので誘われるように付いて行った。(2023/02/19撮影)
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 道案内は鳥居の前まで。
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 ここを訪れるのは約2年ぶり。倒壊してしまった朱色鳥居のトンネルが切断されて取り除かれたのは2011年だったが、あれからかなりの年月が経つ。神社の世話をしておられた方によればトンネルの復活は寄付次第とのことだったが鳥居はどの程増えているのだろうか?
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 曲がっていた鳥居は直立修繕されていたが、2年前と本数は増えていないようであった。ここまで来たついでに阿批比方面へ向かう小径を進んでみた。
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 ここは小学生時代に下を潜って遊んでいた懐かしい橋。
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 橋から見える大王住宅も2年前と変化なし。
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 橋から少し先で逆Vの字に一般道路へ下る坂がある。
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 この鉄塔辺りから向こうが阿批比地区である。
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 坂を下って・・・橋の下へ。
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 この橋の下で遊んでいたら手の甲に緑色の小枝が乗ったので摘まむとクネクネ動いた。すぐに投げ捨てたがそれがナナフシという虫ということを後ちに図鑑で知った。この時からナナフシ恐怖症となってしまった。
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 あと1ヶ月経てば小田山神社周辺の小径は桜満開、来週末頃から照蓮寺や西方寺などの枝垂れ梅も満開となる。この冬はもう終わり、一度も雪上を走ること無く擦り減った新品スタッドレスをノーマルへ戻しても良さそうだ。

 「竹の駅」のシンボルになっている「かぐや姫(胸像)」が化粧直しをしていた。背景の朝日山のように朝日に映えて色鮮やかに見えたのか?と思われたが、昨年に間近で見た時は全体的に色褪せて、所々の塗料が剥げ落ちていたはず。だが色鮮やかさだけではない・・・艶やかさに欠けるというか・・・何かが違っているように感じた。(2023/02/21撮影)
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 見た目はこれまで通りの「お姫様」なのだが・・・
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 ここへ「竹の駅」ができた2003年頃に撮ったこの写真と比べてみた。(2003/08撮影)
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  • 十二単の柄模様が消えていた
  • 扇の色と角度が異なる
  • 台座の「竹」文字が外されていた
  • 「竹の駅」の幟が無くなった
  • 心なしか頬がこけたような・・・
 最近撮った写真を探すには時間がかかるので「かぐや姫」をまとめた過去記事から抜粋してみた。

 先ずは2010年頃。扇は現在と同じだが、やはり2003年と表情は大差ない。
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 ちなみにこの「かぐや姫」、元々は市役所向いのNTT竹原にあった電話ボックス上のものである。

 1996年のデジカメは超低画素だったので見辛いが、竹筒3本をモチーフにした電話ボックスの中央テレホンカード自販機上に成長した「かぐや姫」が入っている。(1996/10/11撮影)
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 これはETV特集「迷走する公共デザイン」(1997年3月26日NHK教育テレビ放映)を録画したキャプチャ。風変わりな電話ボックスとして竹原と三原が登場した。
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 そして1997年夏に撮り直した写真。これが現存していれば「道の駅」へ移設されていたかもしれない。竹筒が撤去される際に竹取の翁によって「かぐや姫」が救い出されたのであろう。
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-以上-

 竹原駅前商店街に残されていた旧店舗へ3月に戻る「靴のマツイ」。現在は日本橋通りにある旧フレシュール跡を仮店舗として営業されている。2月初旬時点の仮店舗は未だ営業中の雰囲気が感じられなかったが、あれから約2週間が経過したので竹原駅でSuicaチャージを済ませた後に立ち寄ってみた。(2023/02/19撮影)

 オリオン三叉路から日本橋通りへ曲がると仮店舗が見えてきた。
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 仮店舗への引っ越し直後とは違って、店頭には靴の展示やフジ店舗に掛けてあった看板などが置かれていた。
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 閉じられていた全てのシャターが開いており、旧フレシュールのオシャレな窓枠が見られたのは久しぶりである。
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 竹原駅前商店街の旧マツイ店舗(イマイチの隣り)での営業開始は3月予定。その旧店舗へも寄ってみたがアーケード側からの外観はこれまでと変わらずシャッターが閉じられていた。この仮店舗左沿いに路地があり、旧マツイ店舗の裏には数台置ける駐車場がある。ここが専用駐車場になると思われるが、小庭やくつろぎ場所も新たに造られるとのことで来月の駅前店での再開を楽しみにしている。

 日本橋を渡って信号待ちをしていたところ・・ふと感じた違和感。真向かいに古くからある日本橋旅館の軒下に残されていた看板「日本橋旅館」の最後の一枚が取り外されていた。(2023/01/29撮影)

 日本橋通りから本川を渡ってローソン側へ・・・
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 信号が変わるまでの間、その違和感の原因を探っていると・・・
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 軒下へ残されていた「日本橋旅館」の横型看板がいつのまにか取り外されていた。
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 以下は3年前(2020/02/24撮影)に撮った「日本橋旅館」の横看板である。(矢印)
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 こちらは最古の縦型写真(1998/01/01撮影)
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 これと同様の看板が理容院を挟んだ別棟玄関にも掛けられていたが、いつのまにか蛍光灯むき出し状態となっており、本棟と別棟の二階位置にあった縦型看板「日本橋旅館」も既に(2022/05以前)取り外されていた。(ちなみに最後に撮った全ての看板「日本橋旅館」はこちらを参照)

-以上-

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