新庄町の散策にて久しぶりに「葛子古墳(かづらこ・こふん)」を撮ってみようとしたが、相変わらず古墳の傍に車を停める場所が無い。以前に訪れた際は2009年の正月帰省、観光名所にリストアップされていたことからこの古墳や横大道古墳を撮るために竹原町から自転車を漕いで約1時間もかかった。
古墳なので土を盛った小山のような墓を想定していたが、実際には山肌に掘られた防空壕のような横穴であったし、横大道古墳へは道案内が見当たらず到達できず。
今回、葛子古墳を再度撮ろうとしたのは横穴の傍に新たに解説パネルが設置されていたからである。(2023/09/05撮影)
新幹線高架側から下って来ると「葛子古墳」の案内看板があるのだが・・・
路肩も路側帯も無い場所。ここへ停めたい時に限って後続車がいるので解説パネルが撮れない。
山頭火碑にてUターンして再トライするも、結局、停める場所が無くて撮影できず。
ところが今回、Uターン時に撮っていた動画を拡大してみると細長い看板を発見。「葛子古墳駐車場」が設けられていたことを初めて知る。
通りすがりでは目に留まらない。ガードパイプの切れ目に大きな矢印パネルがあるが、そのすぐ先には鉄格子の門がある。
googleマップの空撮写真で確認してみると、鉄格子の門は太陽光発電所の扉であった。・・・なので扉までの短い空スペースが葛子古墳駐車場であろう。ここに停めれば約50m歩けば葛子古墳まで行ける事が分かった。
新幹線高架下横の謎の廃墟を至近で撮りに行く際に、葛子古墳の解説パネルも撮る予定である。
ちなみにママチャリで2009年正月に訪れた際に撮った写真も掲載。解説パネルは未だ設置されていない。自転車に乗っている自分と電柱の影が写っていた。(2009/01/02撮影)
この案内看板は現在と変わらず。この看板で「葛子」の読みが「くずこ」ではなく「かづらこ」だったことを初めて知った。また、パソコンで「くず」と打つと「葛」、「かづら」と打っても「葛」で漢字としては同じであった。
現在の古墳と見比べて欲しい。今は石積みされた横穴だが2009年に撮った写真は石積みは無い。長い年月で埋もれた土を取り除いて本来の姿を現したのか、そもそも古墳としての盛土だったのかは解説パネルを撮ってみて読めば分かるかもしれない。
そして2020年に「かぐや姫号」の車窓から撮った写真がこれ。解説パネルは未だ設置されていないことから、2020年以後に観光スポットとして新たに整備されたようである。整備前の全景を見ると古墳というよりは段々畑の横に掘られた防空壕か農具の物置にしか見えない。(2020/02/24撮影)
ネットで調べると中国新聞に「説明板看板」の記事(2021/05/31掲載)が見つかった。記事によれば古墳の盛土が流出してしまい横穴式の石室が残った古墳であることが分かった。また、石室の中まで撮られたサイトも多数見つかった。そして撮りたい解説パネルも2023年夏に既に・・・撮られていた。東野町にある青田古墳の動画には驚いたが、古墳マニアの機動力はすごい!
古墳なので土を盛った小山のような墓を想定していたが、実際には山肌に掘られた防空壕のような横穴であったし、横大道古墳へは道案内が見当たらず到達できず。
今回、葛子古墳を再度撮ろうとしたのは横穴の傍に新たに解説パネルが設置されていたからである。(2023/09/05撮影)
新幹線高架側から下って来ると「葛子古墳」の案内看板があるのだが・・・
路肩も路側帯も無い場所。ここへ停めたい時に限って後続車がいるので解説パネルが撮れない。
山頭火碑にてUターンして再トライするも、結局、停める場所が無くて撮影できず。
ところが今回、Uターン時に撮っていた動画を拡大してみると細長い看板を発見。「葛子古墳駐車場」が設けられていたことを初めて知る。
通りすがりでは目に留まらない。ガードパイプの切れ目に大きな矢印パネルがあるが、そのすぐ先には鉄格子の門がある。
googleマップの空撮写真で確認してみると、鉄格子の門は太陽光発電所の扉であった。・・・なので扉までの短い空スペースが葛子古墳駐車場であろう。ここに停めれば約50m歩けば葛子古墳まで行ける事が分かった。
新幹線高架下横の謎の廃墟を至近で撮りに行く際に、葛子古墳の解説パネルも撮る予定である。
ちなみにママチャリで2009年正月に訪れた際に撮った写真も掲載。解説パネルは未だ設置されていない。自転車に乗っている自分と電柱の影が写っていた。(2009/01/02撮影)
この案内看板は現在と変わらず。この看板で「葛子」の読みが「くずこ」ではなく「かづらこ」だったことを初めて知った。また、パソコンで「くず」と打つと「葛」、「かづら」と打っても「葛」で漢字としては同じであった。
現在の古墳と見比べて欲しい。今は石積みされた横穴だが2009年に撮った写真は石積みは無い。長い年月で埋もれた土を取り除いて本来の姿を現したのか、そもそも古墳としての盛土だったのかは解説パネルを撮ってみて読めば分かるかもしれない。
そして2020年に「かぐや姫号」の車窓から撮った写真がこれ。解説パネルは未だ設置されていないことから、2020年以後に観光スポットとして新たに整備されたようである。整備前の全景を見ると古墳というよりは段々畑の横に掘られた防空壕か農具の物置にしか見えない。(2020/02/24撮影)
ネットで調べると中国新聞に「説明板看板」の記事(2021/05/31掲載)が見つかった。記事によれば古墳の盛土が流出してしまい横穴式の石室が残った古墳であることが分かった。また、石室の中まで撮られたサイトも多数見つかった。そして撮りたい解説パネルも2023年夏に既に・・・撮られていた。東野町にある青田古墳の動画には驚いたが、古墳マニアの機動力はすごい!
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