安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

土曜日の実験室

 12月25日にジュンテンドーへ買い物に行く際、広島FMのニュース音声から「三原市」と「旧かんぽの宿 竹原」という単語が突然聴こえてきた。耳をすませ聴いてみると簡保の宿跡を大規模改築して5階建の宿泊施設(洋室タイプ)に改装するとのことだ。三原市との関係を聴き逃したのでネットで調べてみる三原市の企業が施設と土地を取得して改装し、2025年5月に宿泊施設を新規オープンすることが分かった。
 ならば年明けか年度明けから大規模な建物の解体が始まるはず。既に2021年に「かんぽの宿」跡を撮ってはいるが、その後どうなったかは確認していなかったので本日改めて撮影しておいた。(2023/12/29撮影)

 訪れてみた結果、建物の外観は特に変化なし。
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 「かんぽ宿」跡の場所は西野町の国道2号線から賀茂川沿いにある湯坂温泉郷へ。
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 ホテル賀茂川荘の脇から更に西へ。
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 工事フェンスで囲まれた土地と建物が「かんぽの宿 竹原」跡である。なお、2021年時点でエレベータ機械室壁面の「かんぽの宿」文字は取り除かれていた。
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 そして「立入禁止」の看板にガムテープが貼られて既に日本郵政の管理ではなくなっていた。竹原市の管理となっていたのだろうか?
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 西側面から確認すると2階建の奥に3階建がある計5階建の構造。
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 正面からだと3階建の奥に5階建があるように見える。
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 そして玄関。
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 「かんぽの宿」看板があったエレベータ機械室。
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 大規模改修後の建物も5階建ということは、解体ではなく改装による工事が予測される。
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 これで「かんぽの宿」営業中(1999年撮影)、休業中(2021年撮影)、そして三原市の企業が取得した後の状態(2023/12/29撮影)が加わり、時間経過的な補間をすることができた。あとは改築中と完成の写真撮影で補完となる予定。

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 普明閣の御堂の格子から中を覗いたことがあるだろうか?普明閣の御本尊は眼下の守護堂(収納庫)へ安置されているので不在のまま。しかし、中央奥には仏様ではなく神社本殿の御神体のような銅鏡が祀られていることから写真撮影は控えてきた。そして上へ目をやると鮮やかで繊細なタッチの絵画が奉納されているのを見つけて2013年に初めて撮影。あれから10年以上経過したことから改めて格子越しに中を覗いて奉納画を撮影してみた。(2023//11/07撮影)

 これがその奉納画(右側の額)。正確には「奉献画」である。
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 この格子戸から中を覗くと右上に献奉画と正面に御神体?がある。以前には賽銭箱と半鐘から紐が吊るされていたが、いつのまにか撤去されていた。
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 その献奉画がこれである。朱色で後から書かれた「献奉」の文字が少々不気味。描かれた場所が竹原か否かは未だ特定できていない。
 この絵画、当初は描かれている場所が普明閣の境内かと思っていたのだが、拡大してみると水際付近のようで違うようだ。 西方寺の住職の話では先代住職の時代から既に飾られていたとのことで、 いつ頃のものか、何処が描かれ誰からの奉献なのかは全く分からないとのこと。
 一見、絵の雰囲気はかなり古い時代を感じさせるのだが、着物を着た女性が持つ傘が「蛇の目」ではなく洋傘に見える。 また、遠近法が使われていることから確実に江戸時代より後で、「奉献」の文字が右から左に書かれていることから昭和初期以前のものと推測される。(今年の調査報告会に出席できていたら特定できたかも・・・)
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 ちなみに10年前頃に撮影したのがこれ。当時使っていたカメラ&レンズとの差で色合いや解像度が異なる。(2013/01/03撮影)
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 新町アーケード商店街に古くからある山陽書房の建物跡に昨日から新たな動きが見られた。建物の解体なのか改築なのかは本日の夕方時点では未だ分からないが、長らく閉じられたままのシャッターが開かれて産廃が屋外へ運び出されていた。(2023/12/25撮影)

 以下は昨日午後の状態。シャッターが開かれて店舗内が見えており、本建物まで伸びていたアーケードは撤去されていた。
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 以下は昨日午前の状態。これまで営業中にしか見たことが無かったガラス戸に左右の扉、その扉の上に「山陽書房」の看板もあったことが遠い記憶の片隅からよみがえった。
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 本日午後には外壁看板へブルーシートが被せられており、二階まで足場が組まれ始めたことから建物全体に防塵幕が張られるようである。

 なお、湯坂の簡保センター跡が新たな洋式の宿泊温泉施設に生まれ変わるとのニュースを本日FMラジオで聴いた。来年以降は大小各種の旧建築物の動きがあるようだ。

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 2年以上前にフログ記事にした「番屋法界地蔵」だが、あれから世話人によって更に祠の周囲が整備され大切に祀られている。その法界地蔵(道標的存在か?)がある「番屋」について著書『竹原聞きある記』に書かれていたので紹介する。(2023/12/24撮影)

 この法界地蔵が祀られている祠のある一帯が「番屋」と言われる地域である。そして祠の脇に流れる本川(戸野崎川)に架かる橋が番屋橋なのだが、度重なる水害への緊急対策の為、県によって番屋周辺の河川幅拡張と番屋橋の架け替え計画が現在進行形である。この下流にある古庭橋と同様に盛り上がった形状となり、この橋の下で中通側から流れてくる番屋川と合流しているポイントも下流へ移動、小田山側からの合流は家並みを解体して幅拡張&ポンプによる強制排水式となる本川治水計画と聞いている。
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 新たな番屋橋が盛り上がるとこの祠も移設なりの影響を受けそうだが、元々は各河川の合流中心にそびえていた楠の下に有ったので向きも場所もここより位置がズレていた。
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 祠の隣りに「法界」の石碑がコンクリート敷に嵌め込まれている。
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 では・・『竹原聞きある記』(P140)に書かれていた「番屋」について以下に転記した。

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 二十 番屋の法界地蔵

 上市の北、柿井酒造の手前の番屋橋のたもとに、法界地蔵堂がある。年代は享保元年(一七一六)と刻まれている。
 近世下市村は、賀茂郡の群元で、代官屋敷をはじめ代官下役の勤番所などが設けられていた。
 現在に至る番屋という呼称は、その頃の名残りと思われる。後年この場に牛馬の市があり、大変にぎわったそうで、うどん屋、小間物屋が店を並べていたそうである。
 古老の話によれば、年に一度、牛の健康のために血液を採取して、それを飼主が今度は自分の健康のために呑んでいた。それらはすべて獣医の指導で行われていたそうである。
 ついこの間まで番屋川に橋があり、土橋のほとりには楠木が繁り、その根元に地蔵堂があって、いつもきれいな水をたたえ、子ども達はふなやドンコを追い回し、水にたわむれて、喜々として遊んでいた。現在はすっかり整理されて、昔をしのぶよすがもない。
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 この解説にも書かれているが、楠木の根元に地蔵様の祠があって、その下の川にサンダルを履いて降りて私や遊び仲間がドンコーやフナを網で追い回していたのてある。

-以上-

もう半月以上前の「気付き」となってしまったが、初めて「えしま家」を訪れた際に忠海港へ自動車を停めて歩いたのだが、そこで感じていた「うさぎの島への玄関口(忠海港)」への違和感。そこで過去に撮った写真(2021年改装時)を探し出して比べてみると、いつのまにか外装へ更なる改装が施されていたことが分かった。(2023/12/03撮影)

 それとこの「映える」ミニクーパーGBの登場。営業車なのか送迎車なのかは未確認たが、鉄橋を撮影中に踏切を渡ってここに到着したので目が釘付けとなった。
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 では外装のどこが改装されたのか?以下の写真2枚が今回の改装前である。(2021/08/15撮影)
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 二階の外壁が白からレンガ色へ塗り替えられていた。
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 そして西面に描かれていた黒くて四角いアイコン?3つが消されて茶色い兎とレンガ模様のような無限マーク(∞)。大久野島の外周をモチーフにしたデザインでも無さそうだ。
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 まともに撮れていなかったが、二階の「うさぎの大時計」の文字盤も黒からレンガ色へと全面変更。
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 「うさぎの島への玄関口」の公式サイトをザッと確認してみたが、この更なる改装や送迎車?についての情報や写真等は見付けられなかった。なお、外部サイトを色々と探ってみたところ今年の10月に投稿されていたSNSには正面から撮られた施設がレンガ色の外壁&大時計になっていた。

-以上-

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