道の駅から町並み保存地区への途中にある「栄町通り(京栄区)」の一般古民家、その玄関横に「残置燈」と書かれた板が掛けてある。この「残置燈」とは一体何だろうか?以前からこれが気になって仕方がない。(2021/11/16撮影)

「竹原町警防団 残置燈 責任者第二分団」、字体からも第二次世界大戦中の雰囲気がする。

この「残置燈」をネットで調てみたのだが、なかなか「なるほど」と言える情報は得られなかった。散在する情報をまとめてみると戦時下における特別な街燈のようで、空襲警報時に暗がりでも避難ができるよう消さずに残して置かれる街燈であり、上空の爆撃機から明りが目立たぬよう形状・明るさと照射角度に規定があったようである。
この古民家の軒下を探してみたところ、保存地区内の至る所で見掛ける傘付きの裸電球のようなものは無いのだが、それらしき照明が取り付けられていたと思われる切断されたパイプは残っていた。
ちなみに「警防団」とは、第二次世界大戦に地域住民を空襲や災害から守るために結成された団体である。ここに設置されていた「残置燈」の点灯消灯の管理責任者は、竹原町警防団第二分団だったのであろう。戦時中に栄町通りが薄暗くなると点灯、夜明けには消灯する操作を毎日欠かさず行わなければならない。もちろん自動的に点灯消灯させる原始的な照度センサ(CDSセル)や間欠タイマなど未だ無い時代である。

「竹原町警防団 残置燈 責任者第二分団」、字体からも第二次世界大戦中の雰囲気がする。

この「残置燈」をネットで調てみたのだが、なかなか「なるほど」と言える情報は得られなかった。散在する情報をまとめてみると戦時下における特別な街燈のようで、空襲警報時に暗がりでも避難ができるよう消さずに残して置かれる街燈であり、上空の爆撃機から明りが目立たぬよう形状・明るさと照射角度に規定があったようである。
この古民家の軒下を探してみたところ、保存地区内の至る所で見掛ける傘付きの裸電球のようなものは無いのだが、それらしき照明が取り付けられていたと思われる切断されたパイプは残っていた。
ちなみに「警防団」とは、第二次世界大戦に地域住民を空襲や災害から守るために結成された団体である。ここに設置されていた「残置燈」の点灯消灯の管理責任者は、竹原町警防団第二分団だったのであろう。戦時中に栄町通りが薄暗くなると点灯、夜明けには消灯する操作を毎日欠かさず行わなければならない。もちろん自動的に点灯消灯させる原始的な照度センサ(CDSセル)や間欠タイマなど未だ無い時代である。
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