古書店で買った『竹原聞きある記』に掲載されていた伝説「天池のお地蔵さん」を探しているのだが、本文にはその場所については触れられていない。その伝説を以下に転記・・・

今から約百年前の事。西神田の杉の木の所に石風呂かありました。
普段は人通りの少ない寂しい場所です。
冬はまた大変に寒く、何となく容器の漂うような所でした。
ある日、ほらふきの晋平という船とんびが船を買うため、明神に行く途中、たまたま相撲取りのかなめ石と一緒になりました。
晋平は小銭を持っていたのです。ほらふき晋平は「わしは船を買いに行くんだぞ、代金を持っているんだ」と胸を叩いて見せたのです。
大男のかなめ石は「ようし、その大金をとってやろう」と考えました。
吉名の峠を過ぎ、やがで大井の峠まで来ましたが、なかなかチャンスがありません。
とうとう大井峠も過ぎました。
天池のほとりを通り、稲浦も過ぎ、例の石風呂の所に出たのです。
大男のかなめ石は背後から切りかかり、金をまきあげて逃げました。
その晋平の出血で水路は真っ赤に染まったということです。
近所の人たちが、あわれな死をとげた晋平をとむらい、その供養のためにお地蔵さんを祀りました。


場所を特定する文中のキーワードとしては吉名の峠・大井の峠・明神・天池のほとり・稲浦・石風呂・血に染まった水路、そして供養のための地蔵さんを祀る・・・以上のキーワードから推測できる場所をyahoo地図を利用して示すと・・・
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地図左上の国道185号を西の川がくぐった先にある明神踏切、天池のほとりを流れる水路(西の川)が天池に合流する地域が稲浦、その先にて吉良崎地蔵を見つけた。(2021/11/28撮影)

先ずはここが明神踏切。
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次に天池沿いに流れる西の川。
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そしてこれが稲浦の南先にある吉良崎地蔵。
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 以上のキーワードの場所が見つかったことから、確定的では無いもののこの吉良崎地蔵が伝説「天池の地蔵さん」である可能性が高い。ちなみに『たけはらの神仏を訪ねて』に載せられていた吉良崎地蔵では別の伝説(民話)「大蛸と大蛇のハチ岩沖での乱闘による渦潮で水難事故死があった。釣り・水泳の人など注意すること」が書かれていた。この伝説についても『竹原聞きある記』には以下が書かれていた。

むかしむかし、築地木良崎海岸(吉良崎の誤記か?)の沖の方から大きな大きな蛸がやってきました。
横に折れた松の大木が有るので、それを枕に昼寝をしていました。
松の木ばかりと思っていたが、それは大蛇が昼寝をしていたのでした。
目を覚ました大蛇は大変怒って大喧嘩になり、大蛇は大蛸の足を一本喰い切って食べてしまいました。
大蛸は大変怒って残りの七本足を大蛇に巻き付け、沖へ沖へと引き込んで行きました。
そして横島のハチ岩の沖で大乱闘となりました。
海の砂の渦を巻き、底へ底へと沈んでしまいました。
とうとう大蛸も大蛇も姿は二度と見られなくなってしまいました。
それから後、そこには今も渦が巻いていて、釣りに行った人や泳ぎに行った人は、砂の海の底へのみ込まれて二度と生きては帰らない人が何人も何人もあったそうです。


この吉良崎海岸は天池(東の川と西の川などが合流した河口)の水が海へ流れ出ている海岸である。
ここが天池の水が流れ出る水門(県営大井地区ゲート)。
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ゲートの先には防潮堤(三丁堤防?)がカーブしており、突き当りには溜池の水門もある。この堤防の湾が吉良崎海岸と思われる。
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 この溜池は約200年前から昭和まで入浜式の塩田であったが、現在は野鳥を撮るスポットとして人気らしい。
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 そしてこれがハチ岩と大蛸と大蛇の大乱闘があったハチ岩の沖である。
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 このハチ岩があるハチの干潟、昭和時代は潮干狩り(貝掘り)の行楽地であった。干潟の沖には海砂を採取して掘られた穴が多数あるとのことで危険な場所であり、一見遠浅のようだが急に深くなるので沖まで歩いたり泳がないようきつく言われていたことを思い出した。どうやらこの伝説でもハチ岩沖が水流がきつく急に深くなる危険な場所であることを代々言い伝えていたようだ。
 さて、今回の散策で偶然見つけた「吉良崎地蔵」ではあるが、これが「ほらふき晋平」の弔い地蔵だったのかは謎のまま。近いうちに築地に住む知人に両伝説について訊いてみる予定である。