昨日のブログ記事「1983年夏の町並み保存地区」の元動画を youtube にアップロードしたので紹介する。旧アカウントを長らく放置してログインができなくなったことから、新たなアカウントへ全動画を再掲載したので、これらはブログへの写真掲載に加えて竹原で撮った動画を youtube へ追加していくことにした。
今回アップロードした以下の動画は全動画における20本目と21本目となる。かびていたビデオテープを壊れかけのデッキで再生しながらアナログコピーを数段重ねたことで画質は劣悪だが、私にとっては昭和時代の貴重な竹原映像資料といえよう。
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安芸の小京都 竹原 021 竹原1983夏帰省1
普明閣境内と西方寺石段下にて撮影(昭和58年8月4日)。
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安芸の小京都 竹原 022 竹原1983夏帰省2
弟が運転する車の助手席から適当に車窓を撮影。車内でカセットテープに録った歌謡曲を流し続けていたので著作権に絡むことから音声は全カットした。(忠海町先を越えて三原側から戻るまでの数分間、データ破損による停止状態がある)
この動画022に映っている乗用車の全てがフェンダーミラーだったのが興味深い。他にも1990年頃にベータからVHSへダビングしておいたものをPCへ取り込んだ動画データが多数有ったのだが、まとめて保存していた大容量ハードディスクを床に落としてしまい機構部故障(カタン・・・カタン・・のシーク音)でどうしても読み取れず。この最古の動画のみ他のメディアにもコピーしておいたのでかろうじて消失は免れた。
また、ハンディカムで竹原を撮ったHi-8やVHS-Cのテープもムービーカメラ数台と共に数10本が未だ倉庫に有るのだが、これを再生しようにもテープが内部に絡まってグシャグシャになるばかり。その中の一部である20本の動画は youtube 側へ加工&保存していた 001~020 である。
やれ FAXや印鑑は時代遅れだのとデジタル化を推進する時代となったが、このような保存データ消失事故があれば一瞬で泣き寝入りとなってしまう。ちなみに私が 1982年に就職した会社で最初に携わったのが FAXの開発、2000年からは今で言うガラケーの開発であった。母の実家が昭和の終わりまで印鑑屋であったのも皮肉なものだが、苦い経験上、大切なもだけはアナログ的にも残しておくに限るようである。
今回アップロードした以下の動画は全動画における20本目と21本目となる。かびていたビデオテープを壊れかけのデッキで再生しながらアナログコピーを数段重ねたことで画質は劣悪だが、私にとっては昭和時代の貴重な竹原映像資料といえよう。
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安芸の小京都 竹原 021 竹原1983夏帰省1
普明閣境内と西方寺石段下にて撮影(昭和58年8月4日)。
- 普明閣から廊下で通じる籠堂の窓が開け放たれたままで廃墟になっていた
- 長生寺へ抜ける境内奥には「時かけ」エンドロールのラストで映っている丸太が転がっていた
- 普明閣境内の土壁塀は無く、有刺鉄線が張られていた
- ボタンを押すと解説テープが流れる箱は未だ設置されていなかった
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安芸の小京都 竹原 022 竹原1983夏帰省2
弟が運転する車の助手席から適当に車窓を撮影。車内でカセットテープに録った歌謡曲を流し続けていたので著作権に絡むことから音声は全カットした。(忠海町先を越えて三原側から戻るまでの数分間、データ破損による停止状態がある)
- 1日目は照蓮寺前の十字路からスタート
- 右折して西田たばこ店前ら宮下お好み焼店を左折
- 胡堂から笠井邸まで直進(城原邸辺りで石畳が途切れていた)
- 笠井邸を左折して田中地区を貫通
- 国道185号へ出て竹原大橋を越えて高崎方面へ
- 高崎洞門を潜って選果場でUターン
- 北崎のフェリー乗場へ立ち寄る
- 扇橋を渡って明神方面へ、灯台をズームアップ
- 保存地区へ、ほり川や向いのクラブ天国辺りが映っている
- 石田医院の看板、胡堂を曲がってスタート地点にて終了
- 2日目は竹原大橋からスタート(00:13:31~)
- 高崎を抜けて福田~長浜方面へ、安芸長浜駅は未だ無い
- エデンの海Pは崩れる前の山だった
- 忠海高校~忠海駅の先へ(竹原市境界から先は数分間加画像が停止)
- 竹原市境界から忠海駅方面へ、忠海から旧竹原警察署を左折
- 近末の十字路を新町へ右折、大広苑過ぎて終了
この動画022に映っている乗用車の全てがフェンダーミラーだったのが興味深い。他にも1990年頃にベータからVHSへダビングしておいたものをPCへ取り込んだ動画データが多数有ったのだが、まとめて保存していた大容量ハードディスクを床に落としてしまい機構部故障(カタン・・・カタン・・のシーク音)でどうしても読み取れず。この最古の動画のみ他のメディアにもコピーしておいたのでかろうじて消失は免れた。
また、ハンディカムで竹原を撮ったHi-8やVHS-Cのテープもムービーカメラ数台と共に数10本が未だ倉庫に有るのだが、これを再生しようにもテープが内部に絡まってグシャグシャになるばかり。その中の一部である20本の動画は youtube 側へ加工&保存していた 001~020 である。
やれ FAXや印鑑は時代遅れだのとデジタル化を推進する時代となったが、このような保存データ消失事故があれば一瞬で泣き寝入りとなってしまう。ちなみに私が 1982年に就職した会社で最初に携わったのが FAXの開発、2000年からは今で言うガラケーの開発であった。母の実家が昭和の終わりまで印鑑屋であったのも皮肉なものだが、苦い経験上、大切なもだけはアナログ的にも残しておくに限るようである。
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