安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2014年09月

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 撮影月日:2014.09.14

 「1825 磯宮八幡神社例大祭」の奉納行事のひとつ、復活した「ふとん太鼓巡行」をこの目で初めて見ることができた。 幼少の頃楽しみだった「祇園さん」の布団太鼓と神輿の巡行。 いつ頃からこの行事が無くなったのかは憶えていないのだが、長い間、磯宮神社境内の扉の無い納屋に朽ちかけた布団太鼓が放置されていた。 商工会議所青年部の皆さんによって復活してからは専用格納庫ができて、 ガラス越しに布団太鼓を鑑賞できるようにはなったが、動かない布団太鼓は「後ろ向きで動かないう上野のパンダ」に等しかった。 偶然、竹原帰省時にその動く布団太鼓を昔のように付かず離れず追うことができたのである。 ここで撮ろうと予めコースは調べておいたのだが、秋晴れにしては気温も高く陽射しが痛いほど暑い。 東は竹小、東幼稚園跡、西はワコー跡、南は明神の湊神社、北は大広苑裏の番屋橋とエリアが広くコースが非常に複雑で先回りには苦労した。 保存地区では一般観光客の顔が写り込むので撮ってもここには載せられないし、 朝日山をバックにと西幼稚園前で待っていた時は、照蓮寺の駐車場を使った休憩所に近いためか躍動感に欠ける。 日の丸写真館をバックにと一冨士近くで待っていた時は、観光駐車場から新町交差点方面へと交差点を曲がったのでベストタイミングを逸した。(顔にボカシを入れて御免なさい)

 この布団太鼓巡行、嬉しいことにあの「鼻ボケ」「キジン」と「ひっかけハバア」らしき3人と獅子舞が一緒なのである。 幼い頃の記憶では天狗面、般若面、無表情で顔面蒼白の翁面だったような気がするが般若面3人に天狗面が1人の構成だ。 秋田県男鹿のナマハゲのように家まで入っては来ないが、見物客の中に子供を見付けると「うぉーっ」とくぐもった声で叫びながら寄って泣かせる光景は涙が出るほど懐かしかった。
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 撮影月日:2014.09.13

 安全タクシーのリムジンバス(9人乗り)で広島空港から昼前に竹原到着。 何と乗ったひとつ前の便では積み残しが出るほどに利用客が多かったそうなので、帰りの便を即電話予約。 その時に聞こえてきたのがトン・・トントントンとイベント予告に使われる旗火?の音。 この時期、竹原町で何かイベントが有ったかなあ・・・と保存地区や街に出て見ると至る所に祭りに使われる縄が軒下に張り巡らされているではないか! コレ!幼い頃にお宮(磯宮)の祭りぎょんさん(祇園さん)でよく観られた光景。 もしかしたらと磯宮へ行って見ると大当たりだ。 竹原に住んでいれば恒例の祭りなの驚く程のものではないだろうが、年に二三度しか帰省できない者にとっては富くじの「大当たり」なのである。どうやら祭りは17時半からのようで特設ステージや露店も準備前の状態。 祭りイベントの始めは富くじなのである。 普明閣の舞台でエネルギー充填したりして夕方に再度訪れて見ることにした。

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 17時過ぎに再び磯宮へ。 先ずは社殿にて賽銭を入れ二拝二拍一拝(後ろからタネットさんに撮られたかも・・・)。 富くじに列ができていた。豪華景品・自転車2台・その他(ティッシュゆサラダ油とか) 参加はしなかったが商店街のガラガラがお御くじになったようなものかと思われる。 新聞折込チラシが置かれていたので内容を確認。

13日
 神事:午後5時~5時30分(社殿)
 富くじ発売:200円 午後5時30分~(社殿前広庭)
 宵宮競演大会:午後5時30分~(特設ステージ)

14日
 神事:午前10時~10時30分(社殿)
 ふとん太鼓巡行:正午より
 おやじバンドライブ
 石川真帆ステージ

布団太鼓のコースと予定時間は・・・
12:00 磯宮八幡神社発
12:10 元東幼稚園
12:30 磯宮八幡神社 栄町・享保町
12:45 竹原小学校
12:55 町並み保存地区 住吉神社・榎町・
13:45 かわの医院 秋葉神社・新町裏通り
14:00 新町観光駐車場 新町表通り・日の丸写真館・竹原郵便局
14:10 イズミ ハローワーク・会議所P
14:15 竹原高校 中須
15:35 JA葡萄支所 藤三
15:50 竹原駅 あいふる316
16:00 本川通り 日本橋通り
16:30 磯宮八幡神社着

さて、どこで待とうかな・・・

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