安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2016年03月

 水源地を撮りに久しぶりに暮れの竹中辺りを訪れてみたのだが、校舎の壁やフェンスに看板や横断幕が有ってなんだか色々と文字が多い。この手の文言は私が竹小や竹中に在学中の頃は校歌の歌詞が彫られた石碑や「一日一善」の貼紙ぐらいだったような気がする。考えてみれば、現在は「・オ・モ・テ・ナ・シ・」から、企業のスローガン的な「・・はイワユル××でして・・」と言い換えて意味の説明を要するモノ、電車・高速道等の公共の場では「(直接は言わないが)ちゃんと書いおいたのに・・」と責任回避のため事細かく客側へ指示する注意書き、トイレの「紳士なら一歩前進」や「いつもきれいに使ってくれて・・」など、少々嫌味を感じるもので溢れている。これだけ増えるしまうと、どれも雛壇に座らせたお笑い芸人に政治経済・世界情勢などを語らせたりコメントさせるバラエティ番組の画面隅に出る小窓に映るタレントのようで、もう誰の目にも入らない。しつこ過ぎると、どう考えても出演しそうにない部類の番組に「えっ??」と驚く大御所俳優がゲストで呼ばれエンディングで主演映画や新番組の宣伝をさせるような逆効果になるものも多くなった。

 さて、この竹中の看板についてはどうなんだろう。校舎屋内ならは不真面目な生徒に対しての「戒め」や「訓示」が多い。外から見える場所に「・・君、全国○○大会優勝おめでとう!」などの「学校・生徒を賞賛や応援」するものが通常だが、例えば「登校は8時30分厳守」や「いじめを無くそう」は生徒が「そうしていない」現状を校外へわざわざ掲示していることになるので、あまり例はないだろう。

撮影月日:2015.12.30
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「たくましい 竹原っ子 運動」
 「困難に負けるな にげるな 立ち向かえ」
 (竹原市・竹原市教育委員会・竹原市竹原中学校)


めざす生徒像「直向(ひたむき)!竹中生」


生徒三訓
 挨拶をする
 時間を守る
 整理整頓をする
(竹原中学校生徒会)


[竹原市ICT活用教育推進校]
 学校教育目標
 「踏み出す力」の育成
 本校の教育理念
 ・学校は、夢を目標に変えるところである。
 ・学校は、共に生きることを学ぶところである。
 ・学校は、生き方を問うところである。


おはようございます
進んで えがおで 止まって あいさつ
(竹原中学校あいさつ運動 竹原ライオンズクラブ)


 ITCの看板については、何だが大手企業の目標・理念みたいで仰々しいが、内容はICT活用の有無に限らず「学校教育のあるべき姿そのもの」で「竹原っ子」と童謡に無難なところであろう。「めざす生徒像」は、漢検ではないので漢字の「直向」と括弧は外して素直に「ひたむき!竹中生」のほうが好印象かも。逆に「にげるな」「えがおで」「あいさつ」は漢字にしておくほうが良いと思われるが、敢えて平がなにしたのはなぜ?なんだろう。生徒三訓は、教室の黒板上の額にでも入れてたほうが良いし、学校で教えるものではなく親兄弟から教える・真似るものなので、わざわざ正門に掲げる内容では無い気もする。
 最後に「おはようございます」は、これをそのまま励行する生徒が実在すると気持ちが悪い、いや気味が悪い。また「止まって」にかけていると思わせる「進んで」は「自ら進んで」のほうが心地よいし、直立不動で「おはようございます」する必要があるのは生徒から先生に対してならまだしも、宝塚でもない生徒同士、逆に先生から生徒へならば異様な光景といえよう。これが校内ではなく、例えば竹原駅や路上で竹原訪問者等へ見知らぬ竹中の女子生徒から突然「おはようございます」と挨拶されたら、警戒心から露骨に「不審者かどうか反応を試みるための探り」をされているようで観光地イメージへ逆効果となりそうだ。まあ「あいさつ通り」とか「市内全域あいさつ運動実施中」の看板が街中のあちらこちらに有れば納得ではある。通りすがりに立ち止まらずに軽く会釈して「おはようございま~す」が程よく自然であろう。
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 黒浜踏切の傍にある製材所。昭和の時代には竹原町内に数件の製材所があり、ベルト状の鋸で丸太を板状に切り分ける加工場から心地よい杉やヒノキの香りがしていたのだが、私が知る限りでは現在はここと西小学校の校庭隣の桐谷材木店であろうか。竹原駅近くのヤマト運輸辺りにも一件有ったのだが詳細場所と名称が思い出せない。楠通り中程の「森近」は竹材が主だが、巨大な丸太群のある工場が、日本橋近くの現在ローソンがある所にあった記憶が微かにある。

撮影月日:2015.12.30
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 和風建造物があふれる町並み保存地区エリア内で明治大正ロマン臭を漂わせているのが歴史民族資料館とこの元旅館であった妙見邸(みょうけんてい)ではなかろうか。歴史民族資料館はそれなりの補修と「化粧」が施されているので映画のセット臭が混ざっていそうだが、いらわれていない妙見邸は明治大正ロマンのリアル臭がプンプン溢れる唯一の建造物といえる。角の壁に「Cafe青」の看板があるのでここを喫茶店と勘違したまま帰られた観光客もいそうだが、このランプが醸し出す雰囲気が「ここが喫茶店のハズ」を増幅している。また、亀をモチーフにしたレリーフが「のハズ」にフィルターをかけているのだ。どこが入口なのか探しまわる観光客が土蔵への矢印に気付くまで少々時間がかかっていそうだ。

撮影月日:2015.12.31/2016.01.01
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撮影月日:2015.05.03
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撮影月日:2015.01.01
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撮影月日:2014.08.10
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撮影月日:2015.12.31
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 「1697 鮮魚センター・フォーエヴァー」から4年が経過。倉庫として使われているので建物自体はそのまま残されていおり、あのタコ、タイ、伊勢エビが描かれた看板も「倉庫」の奥に未だ保管されているようだ。眠ったお宝探し隊「アメリカン・ピッカーズ」ならぬ「たけはら・ピッカーズ」がいたならば高値で買い取られていまいそうだが、幸い、そのような輩はまだ出没してはなさそうだ。2012年の状態と比較してみると「楽しいお買い物は本川商店会で!!」の看板の劣化が更に進み、ベニア板の四分の一が剥げ落ちてしまっている。次の台風時季には完全に剥げ落ちてしまうに違いない。

まだこの看板が健在であった頃に撮った写真と竹原歴史民族資料館に保存して欲しいNo.1のイラスト看板を以下に紹介する。(2005年のGWに撮影)

撮影月日:2005.05.05
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 これまで西方寺の山門脇に目立たぬよう置かれていた「5時以降の参拝ご遠慮下さい」が石段途中へ移されていた。 夜中の普明閣ライトアップを真下から撮りたくても、この入場制限を知ってからは訪れるのは止めている。 これを撮ったのは15時56分だったので、遠慮なく普明閣の境内を訪れたのだが、先客ありで舞台へは上がらず。

撮影月日:2015.12.30
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 しかし、なぜ「5時以降の参拝制限」が設けられたのだろうか。 最近まで「憧憬の路」で石段に竹灯りが燈されなかったのも気になっていたが、 墓参りで夕方に訪れる人はいないだろうから、夜中に普明閣を訪れる者が騒ぐとかぐらいであろう。 住職そっくりのキャラクタが描かれている山門左の看板に書かれている通り「本堂・本尊様へ向かってまず一礼」を実行している人を見かけることは殆ど無い。(もちろん自分は一礼の後に護摩木で祈願)
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 元々、「5時以降の参拝ご遠慮下さい」が置かれていたのがここ。 まさか境内でペットを散歩させるような者までいるとは・・・「ペットじゃの~て、れっきとした家族の一員なんじゃけぇねぇ」と言うものが沢山いそう。 普明閣の舞台から見下ろしていると首輪を巻かれリードで引っ張られた「家族の一員」が境内を散歩しているのをよく見かける。
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