安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2016年05月

 数年前の竹中同窓会にて「1735 『潔く柔く』 2013年2月 磯宮八幡神社で撮影」のロケにエキストラで出演した同級生から色々と聞いたのだが、シーンは夏祭りだが実際のロケ時期は真冬だったようで、キャストは口に氷を頬ばって冷やすことで白い吐く息を消したらしいとか、実物の長澤まさみさんを傍で見られた野郎どもは口をそろえて「色が白くて細くてこの世のものとは思えないほどの美しさ、まるで天女か天使のようで、女優オーラが出でいた」とか酔った遠い目で語っていたのを思い出した。
 なぜ、この今頃になって古い映画の話題か・・・・だが、5月12日に届いた「たまゆら~卒業写真~4部」のBDを再生してみて「映像特典:エンドクレジットなし版」で知った「エンドクレジットの意味」がきっかけなのだ。4部を映画館で観た時はエンドロールのラストで「竹原のみなさま」(実名)と「たまゆらファンのみなさま」(応募名)約600人の名前が延々と出たのだが、これは劇場販売限定版BDを3部まで買って抽選応募した当選者だけが得られた名前表示特典。放映初日に早朝から劇場限定BD購入で並ばない限り獲得できないもので、私のようなアマゾン等で4巻揃えて買った者には縁はない特別なもの。よって、劇場販売放映版BD以外には名前が流れる映像は入っていないはずと確信していた。しかし、早速再生してみたところ映画館と全く同じ映像が入っていたので「あれれ!!」メインメニューに「映像特典:ノンクレジット版ED」が有ったので「これが名前が一切出ない一般向け映像なんだ」と再生してみてまた「アレレ!!」エンドロールに確かにキャストやスタッフ等の文字は全く出ない映像だったが、その後に続いて「竹原のみなさま」と「たまゆらファンのみなさま」の文字が流れ始めた。「ノンクレジットED」のはずなのに無数の文字が残っていたので「編集漏れ?それともエンドクレジットって一体?」と感じただけのこと。

 前置きどころではなくなったが『潔く柔く』のエンドクレジットを観ていてビックリ。色々と知った名前等が見つかったのだ。その多さにビックリ。どのシーンに使われたのか、どのような協力をしたのか・・。ロケ地は忠海町と磯宮八幡神社とみたが、さすがに詳細は竹原に住む同級生に聞かないと分かりそうに無い。

「撮影協力」の中に見つかったのは

・竹原市(竹原市役所?)
・磯宮八幡神社
・国家公務員共済組合連合会呉共済病院忠海分院
・忠海公民館
・竹原駅前商店街振興会
・竹原町女性会
・社団法人竹原青年会議所
・NPO法人 ネットワーク竹原
・スポーツクラブ・エンジョイ竹原
・有限会社吉本ガス産業
・田原商店
・株式会社エムケイ興産
・大源商事
・AUTO BEAT
・アヲハタ株式会社
・JA三原農業協同組合・忠海支所

エキストラ協力では

・竹原市のみなさん
・竹原三四五バンブー会


この「竹原三四五バンブー会」(たけはらみよいバンブーかい:昭和34,35年生まれの竹中同窓会)が冒頭で紹介した同窓会なのだ。では、もしもロケ当時に竹原に住んでいたらエキストラに応募したか?だが、実物の長澤まさみを見に行く行かない程度で関心無しかと思う。もちろん「時をかける少女」「たまゆら」どころか、このホームページ自体が存在するはずがない。普明閣の舞台に座り込んで遠い三井の煙突を眺めることもしなかったろうし、カメラさえも持ち歩かなかったに違いない。
1994c
1994d
配給:東宝、製作:「潔く柔く」製作委員会

 法事で竹原帰省していた家内の「竹まつり」4日のレポート。先ず初めは歴史民俗資料館にて開催の煎茶へ訪れた際に展示されていた「竹原の偉人」(観覧無料)である。竹原輩出の偉人といえば、昨年発行された『1936 切手シート「郷土竹原の偉人」』の池田勇人氏と竹鶴政孝氏の二人を思い浮かべるが、本展示では3人目に三村剛昂(みむらよしたか)氏が加わった。えっ、竹鶴政孝氏同様に竹原では学校の授業で頼山陽と元総理大臣しか教えてくれなかったし、株主優待券の桐谷さんが載っているWIKIPEDIA「竹原市」にも見当たらないし、名前「剛昂」が難読だし、そして「波動幾何学」は初めて聞く分野なのだ。竹原市の公式系HPでは関係する情報は探せなかったが、以下の論文ならば三村剛昂氏の詳細な経歴と功績、そして「波動幾何学」について知ることが出来る。

広大理論研設置をめぐる三村剛昂とその周辺 小長谷 大介」(pdf形式)

だが、これを読んでも「波動幾何学」については大型書店のサイエンス誌棚に並ぶムックをめくっているようで別次元・亜空間・パラレルワールドみたいな難解な世界だ。それにしても竹原に宇宙物理学や場の理論、時間空間論を研究する全世界的にも特異な研究所「広島大学理論物理学研究所」が一時的に有ったとのことだが、その場所は的場海水浴場とキッチン・ママの間にある「広島大学広島大学院 生物圏科学研究科附属瀬戸内圏フィールド科学教育研究センター 竹原ステーション(水産実験所)」だったのだろうか?過去にこの辺りで「・・物理学・・!!??」の文字がある碑か銘板をどこかで見た記憶が有るのだが・・・。いや、絶対ここだ!!


しかし、煎茶をすすりながら「よいウヰスキーづくりにトリックはない」と「所得倍増計画」そして「波動幾何学」を語り合うのはシュール以外の何ものでもない。

撮影月日:2016.05.04
1993a
1993b
1993c

広島大学理論物理学研究所の有った場所 撮影月日:1997.12.27
1993d

 今年のGWは竹原帰省できなかったので新たなネタが無いのがつらい。まあ、毎年同じアングルで「竹まつり」を撮っても新鮮味は無いので、帰省したとしても保存地区から離れたネタを捜し求めていたと思われる。とはいえ、関東に留まっての竹原関係といっても、以前に紹介した「1730 呉線105系0番台新広島色Nゲージ」にて書いた「忠海駅で普段使われない2番線で待っている105系500番台(非ワンマンの4扉)」がトミーテックの鉄道コレクションでNゲージスケールの模型として製品化・発売されたので紹介する。

 これは「JR105系可部線(K10編成・広島色)2両セット」なので厳密には「竹原」とは何の関係も無いのだが、これが竹原市内の呉線を走っていた時期が有ったので関係皆無ではない。発売は2016年4月下旬、価格は税抜き2400円。本体より高価な別売の動力ユニットを組み合わせない限り、プラスチック製の動かない飾り物にしかならないが、アキバのオキテ「見付けた時には即購入」に従って購入することにした。今年春のダイヤ改正でこの4扉車編成は使われなくなり、残った全てが3扉車となってしまったので今後は実車を撮ることは不可能。

購入月日:2016.04.30
1992a
1992b
1992c
1992d
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1992f

 このK10編成はクハ105-11とクモハ105-526の2両で構成されている。では、この実車を竹原市内にてこれまで撮ったことがあるか探してみたのだがナシ。これまでにも紹介している忠海駅で撮ったK12編成のクモハ105-528とK105-1の4扉車のみであった。このK12編成も「郵パック」カラーからその後は黄色く塗られてしまい現在は走っていない。K10とK12共に元々は国鉄時代に103系として常磐各駅停車線で走っていたもので、動力車のクモハ側は1984年に広島へ転属されたとのこと。もしかしたら両時代にこれらの車両へ乗っていた可能性がある。

撮影月日:2011.08.17
1992g

 参考までに広島駅で息子が撮った可部線のK10編成と黄色に塗り替えられたK12を載せておく。また、呉線上り方面で竹原へ帰れる最終の「竹原行き」113系もついでに・・・。これも3月のダイヤ改正で新型車両に変わっている。

撮影月日:2015.01.01
1992h

撮影月日:2015.04.02
1992i

撮影月日:2015.01.01
1992j

撮影月日:2015.01.02
1992k

撮影月日:2015.08.11
1992l
1992m

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