NPO法人ネットワーク竹原による「竹原の塩再生プロジェクト」の塩生産場所がこの設備である。理事長の佐渡さんから安芸津町(いつのまにか東広島市)と吉名町(竹原市)の境界付近にあると聞いていたのだが、なかなか見付けられず数年が過ぎていた。この夏、秘境といえる『梅が浜海水浴場』を訪れたついでにレンガ工場の海岸沿いに寄ったところ、その設備を偶然に見つけることが出来たのである。この付近には道が2本有って整備された上側の道を通ると隠れて見えない場所にあったのである。東側からだと行き止まりになりそうな不安に耐えながら可能な限り海岸沿いの道を辿って行けば、レンガ工場の倉庫の海岸側に架と小さな建物がすぐに見付けられたはず。西側からだと「私有地に付き関係者以外立入禁止」の看板があったような気もするが、整備された道から反れて海岸側へ下る分岐からすぐの場所。
この設備は竹ボウキのような竹の枝を組んだ「流下式塩田枝条架(りゅうかしきえんでん・しじょうか)」と濃くなった塩水を煮詰める「釜屋」で構成される。ポンプで汲み上げた海水を枝に垂らして水分を蒸発させ、これを循環させることでより濃い塩水(かん水)となり、これを釜で煮詰めて塩を結晶化させる「煎ごう」を組み合わせた製塩である。竹原ではこの方式とは異なる一世代古い製塩法の「入浜式塩田」によって栄えた町であり、その名残が江戸堀周辺の地名「中須」が改名された「塩町」となっている。竹原町(竹原浦)は中世時代まで海であり、江戸時代初期に新町辺りから海まで大規模な干拓が行われ、江戸時代末期には沖にあった横島まで塩田として埋め立てられて皆実町、明神、ハチまでつながる現在の地形となったのである。
この「竹原の塩再生プロジェクト」で造られた塩を何袋か購入していたのだが、その袋が見つからないのでここに載せる事は出来なかった。
この設備は竹ボウキのような竹の枝を組んだ「流下式塩田枝条架(りゅうかしきえんでん・しじょうか)」と濃くなった塩水を煮詰める「釜屋」で構成される。ポンプで汲み上げた海水を枝に垂らして水分を蒸発させ、これを循環させることでより濃い塩水(かん水)となり、これを釜で煮詰めて塩を結晶化させる「煎ごう」を組み合わせた製塩である。竹原ではこの方式とは異なる一世代古い製塩法の「入浜式塩田」によって栄えた町であり、その名残が江戸堀周辺の地名「中須」が改名された「塩町」となっている。竹原町(竹原浦)は中世時代まで海であり、江戸時代初期に新町辺りから海まで大規模な干拓が行われ、江戸時代末期には沖にあった横島まで塩田として埋め立てられて皆実町、明神、ハチまでつながる現在の地形となったのである。
この「竹原の塩再生プロジェクト」で造られた塩を何袋か購入していたのだが、その袋が見つからないのでここに載せる事は出来なかった。
撮影月日:2016.08.07