安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2019年12月

2019.12.16
 2009年の12月11日(金)の朝にTBS「朝ズバッ!」(MC:みのもんた)にてイキナリ竹原が紹介された。だが、慌てて録画を開始したのは翌日12日の0:51で、そのコーナーが「今日、12月16日は何の日?」と次週のことを言っている。まるで時間旅行をさまよっている事になったが理由はもう分からない。

 では「今日、12月16日は何の日?」なのだろうか?その冒頭だけブラウン管を撮った写真を紹介しよう。
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#a01-a04:TBS朝ズバッ!(2009/12/12撮影)

  そう、今日12月16日は「広島県竹原地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定された日(昭和57年1982年)」だったのである。5分程度のコーナーで以下内容がナレーション付にて写真と動画で順次紹介された。

・みのもんたのコーナーオープニング

・松阪邸

・朝日山から竹原町の眺め

・竹原駅ロータリー

・笠井邸2階窓からの眺め

・吉井邸前を集団登校する竹小生

・竹中生も登校

・旧郵便局ポスト前の集配赤バイク

・朝日山から阿波島を臨む

・賀茂郡竹原下市村開濱二寸拾間図(地図)

ここからテロップ「357年の歴史 安芸の小京都 竹原」

・竹原絵図屏風(俯瞰図)

・県史跡 頼惟清 旧宅

・頼華水 頼春風 頼杏坪(絵)

・日本外史 稿本

・頼山陽(絵)

・市 重要文化財 森川邸(門、室内、庭など)

・塩田作業(モノクロ写真:浜引き、潮かけ)

・竹原駅ホームの蒸気機関車(モノクロ写真)

・三井金属(モノクロ写真:塩田最盛期)

・塩田作業(モノクロ写真:へり入れ、すくい込み)

・昭和35年 竹原塩田 廃止(モノクロ写真:浜引き)

・朝日山からの塩田全景(モノクロ写真)

・朝日山からの現在全景(写真)

・普明閣境内からの甍の眺め(写真)

・竹鶴酒造の上から笠井邸への眺め(写真)

・旧村上邸(写真:現在の竹楽)

・明治38年 日露戦争の勝利を祝う町並み(セピア写真)

・新町観光駐車場向いの邸宅(セピア写真)

・同上(写真:現在)

・亀田邸(写真:現在)

・同上(セピア写真)

・初代 竹原郵便局(セビア写真)

・同上(写真:現在)

・竹原市伝統的建造物群調査報告書

・同上(美化計画図:鎮海山のスカイライン大功)

・同上(美化計画図:アスファルト色は不調和)

・同上(美化計画図:コンクリ電柱)

・旧村上邸前(石畳化前写真:石田無内科医院の頃)

・町並み保存センター前(石畳化後写真)

・昭和57年12月16日、竹原地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定される(写真:胡堂)

・水儀支店ビルからの本通りの眺め(写真)

・竹鶴邸(写真:現在、外観、屋内・・・)

・小笹屋の屋号で享保18年(1733)より酒製造を営む(酒造中写真)

・杜氏 石川達也さん(写真)

・タンクかくはん中

・岩本邸(写真:外水撒中、屋内、)

・岩本重夫さん(82歳)麗子さん(77歳)

・松阪邸前の観光客(写真)

・岩本重夫さんの話

・大小路(写真)

・国 重要文化財 春風館 頼家住宅(写真、外観、屋内)

・吉井邸前の観光客(写真)

・同上 元禄3年(1690)建築(外観、屋内、空撮)

・100年で1分(約3mm)風雨に削られたという

・ゲストのコメント(アグネスチャンなど)

・みのものたのコーナークロージング

 

では重要伝統的建造物群保存地区に選定とは一体何なのか?

文化庁のHPから引用すると

昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。

市町村の保存・活用の取組みに対し,文化庁や都道府県教育委員会は指導・助言を行い,また,市町村が行う修理・修景事業,防災設備の設置事業,案内板の設置事業等に対して補助し,税制優遇措置を設ける等の支援を行っています。

平成30年8月17日現在,重要伝統的建造物群保存地区は,98市町村で118地区(合計面積約3,924.9ha)あり,約28,000件の伝統的建造物及び環境物件が特定され保護されています。

と書かれている。

 市町村が決めた伝統的建造物群保存地区のうち、選定の申請を受けて文化庁が重要と決めたもに対して「重要」のお墨付きが付き、保存事業への半額国負担と相続税・固定資産税一部免除の優遇措置がとられる。広島県では呉市の豊島御手洗、福山市の鞆の浦、そして竹原市の「竹原地区」が選定されている。竹原市は「意匠を凝らした格子が文化と繁栄を示す塩の町」(伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの)として認定されている。

 要約すれば・・・

 竹原市の町並み保存地区が、保存事業への財政的援助や指導・助言を国から受けられる地区になったのが昭和57年12月16日だったということである。(誤植なのか「暮らしのガイドブック あなたと市役所 市制施行30周年記念/昭和63年3月発行」では11月16日指定しなっていた)

 だが、いつ頃から上市・下市区が町並み保存地区となり、いつ頃から観光地化が始まったのだろうか。国への竹原市伝統的建造物群調査報告書1979年(昭和44年)発行なので、その頃は既に計画が進行していたと思われる。観光地化は昭和57年(1982年)頃から聞こえ始めた記憶が有るのだが、普明閣と西方寺石段、照蓮寺の国重文の鐘、頼惟清生家と頼山陽が観光の目玉だったようだ。その証が絵葉書と旧橋本金物店(現、村上BK)とシバデン前に有った移設前の頼山陽像であろう。

 手持ちの「観光と産業 たけはら」(昭和57年10月/発行ブレーン企画)では、昭和52年に「竹原市総合計画」が策定され、竹原市の将来像を「自然と産業が調和した魅力あふれる瀬戸内海の公園都市」と位置づけている。

 本書への当時の市会議長の筆では、昭和55年に国土庁による「伝統的文化都市環境保存地区整備事業」の推進都市として指定され、約2億円を投じて町並み保存センターと修景広場などを整備し、57年秋には「伝統的建造物群保存地区」として上市と下市区の町並みが指定されるとある。観光の質の変化が言われる時代となり、この集中的に温存された古い町並みは、今や全国的な注目を浴びており、受入態勢の充実を図る中で希望をもって観光問題に取り組む所存である。

と書かれており、やはり観光化の始まりは1982年の「時をかける少女」ロケ中の頃だった記憶に確信が持てた。胡堂の前で可愛い女の子(原田知世)がヘアメイクに髪を解かしてもらっていたのを母が興味津々で観ていたのを聞かされた遠い昔である。

2019.12.15



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#01-02:吟ずる者たち

  現在制作中の「吟ずる者たち」については過去記事の「竹原@TAU」で紹介した。その時に配られたのがこのチラシである。2019年6月に広島先行上映のスケジュールであったが、2018年の豪雨災害やロケに使う本物の酒蔵を探す関係(仕込みの時期は使えない)で進捗が遅れており、現時点では2020年春を目指しているとの情報が公開されている。

 この映画は竹原出身の「日本のウヰスキーの父」竹鶴政孝の日本酒版といえる安芸津出身の「吟醸酒の父」三浦仙三郎(みうらせんざぶろう)に因んだ安芸津が舞台なのである。頑なに竹原に拘る筆者なのになぜ安芸津モノを記事にしたかというと監督と脚本家が竹原出身だからである。制作進行中のためかキャストとスタッフの公開情報は極めて少なく、もしかしたら竹原出身か竹原ゆかりの俳優も出演しているかもしれない。

 2ヶ月前にテレビで日本酒の映画「恋のしずく」を観たのだが、こちらは西条にある架空の酒蔵が舞台であった。驚いたのが映画の冒頭とラストのシーンが忠海だったことである。絶景スポットの記事で紹介した二窓の呉線カーブを走る電車が忠海港の鉄橋を竹原方面へ渡って西条駅に到着する。どうやら東京から研修で広島を訪れた主人公は、間違って三原駅から呉線に乗ってしまい、三原~忠海~竹原~呉~海田市~西条という大回りの経路で西条駅ホームへ到着したようだ。だがラストの東京へ戻るシーンでも同じ二窓カーブが逆方向で映るので、間違ったのではなくエデンの海がもう一度見たくて敢えて大回りしたのか、架空の瀬戸内路線を仕立てたかであろう。どちらにしても西条駅名は確実に映っており、実在する賀茂鶴などの煙突が登場するので西条自体が舞台であることは間違いない。

 映画の舞台は「恋のしずく」が西条の酒蔵で「吟ずる者たち」は 安芸津の酒蔵でありどちらも東広島市である。ストーリーでは前者が東京の学生(川栄李奈)が単位取得の研修で東広島の酒蔵を訪れる。ワイン好きだがトラウマで日本酒嫌い、これを克服しながら酒造りの世界へ徐々にのめり込んでゆく。後者は東京で暮らす会社経営者(比嘉愛未)が会社を閉じて故郷の安芸津へ戻るが、酒蔵を営む父が病に倒れて後を継ぐことになる。家宝だった三浦仙三郎の手記を読んでから杜氏を目指し奮起するも「吟ずる者たち」の技術へは到底及ばない。仙三郎の「百試千改(ひゃくしせんかい)」の精神で酒蔵経営者でありながら杜氏でもある女性へと昇りつめて行く・・というもの。

 公式サイトのストーリーでは触れられていないが、安芸津にある今田酒造の取締役が杜氏でもあり女性である。今田酒造の銘柄「富久長」を命名したのが三浦仙三郎で百試千改の精神で経営・営業から杜氏までをこなす女性であることから、今田酒造がモチーフとなったフィクションのストーリーではなかろうか。NHK朝ドラに今田酒造が使われれば竹原がロケ地に使われる可能性もありかと考えた時が有ったが、吟醸酒造りでは灘が舞台の「甘辛しゃん」が既にあったので絶望視していた後にマッサンが到来。

 

 監督・脚本は油谷誠至(あぶらたにせいじ)さん、脚本は仁瀬由深(ひとせゆみ)さん、どちらも竹原の出身なのである。出演者も広島出身者が多数を占め、ロケ場所やエキストラも広島で募集をしている。油谷監督は竹原輩出の著名人のひとりであり、地元でも詳細が語れる人は多い。ただ苗字の読みは「あぶらだに」だったと記憶している。

 監督としての経歴は、最古では「少年探偵団BD7」(1975年放映)が助監督のデビューである。ウンチクマニアもニンマリする別格の刑事ドラマ、あの勝新太郎による「警視-K」(1980年放映)でも助監督を務めている。その後に火曜サスペンス劇場などのテレビドラマ数百本も手掛けられ、初の映画監督としては「飛べ!ダコタ」があり「吟ずる者たち」に至っている。

 来年4月頃に「吟ずる者たち」の広島先行上映が予定されており、東広島が舞台であることからフジグランの映画館T・ジョイか市民館ホールなどが予想される。もちろん西条よりも安芸津に近い竹原の市民館でも上映されるに違いない。と期待している。

2019.12.14
 師走はもう中旬が過ぎ、ボーナス日の週末は郵便局内や道路が人であふれ始める頃。こちら関東地方では暑いのか寒いのかハッキリしない日々が続いている。竹原の冬は特別で朝方は乾いたような寒さとなる。朝日が昇って外に出れば枯葉を集めてパチパチと燃やす焚火から舞い上がる煙、目には染みるが臭いは心地よい。夕陽が沈んで家に帰れば石油ストーブの燃える臭い。上に置いたヤカンから噴き出す蒸気が冷たいガラスを結露させ、その曇ったガラスへ描くのは決まって「へのへのもへじ」といった懐かしい竹原での暮らしだった。

 こんな季節に時々欲しくなるのが酒粕だ。昔は板状のものをちぎってはストーブに載せて、焦げ始めた頃にアチチッと言いながら素早く裏返す。何度か裏返して香ばしいかりが漂い始めたらお皿へ乗せ換えて準備完了。用意しておいた砂糖醤油の小皿へ丸めた酒粕をチョンと浸け、コフ~コフ~と口に入れて噛むと、熱い酒粕の中から酒香りとアルコーム分が広がる。熱燗をお猪口で飲んだ時のようにホンノリと酔った気分になった頃に満足感が訪れる。

 石油ストーブがファンヒーターに変わってしまったこの頃は板状の酒粕が手に入っても焼くことはできない。ガスコンロやカセットコンロで試した時は遠赤外線に乏しいのか丸焦げになるまで焼かないと中まで熱くならず美味しくないのだ。

 遠い昔は板状の酒粕を婦人ショップ(現ヤマト運輸)扇町の生協(現更地)や三原スーパー(旧まりも/現警察署)などで買っていたが、2017年の大晦日に道の駅たけはらの売店レジ近くで偶然見付けたのがこれである。見慣れた板状のものではなく粘土状の酒粕だった。

 さて酒粕は欲しいのだがどうやって食べれば良いのだろうか。思い出したのが母が真冬によく作ってくれていた団子汁である。イリコ出汁の味噌汁の中に薄く切ったジャガイモと練ってちぎった小麦粉の団子が入っている。豚汁の肉の代わりにダマ状の団子が入っているようなものだ。コーンスープの底にとどった塊りと言ったほうが分かり易いかも。この酒粕を手でちぎってマグカップへ入れて、熱湯を注ぎながら掻き混ぜれば粕汁(かすじる)の出来上り。
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#01-02:宝寿龍勢の酒粕(2017/12/31購入)

 この酒粕は藤井酒造の宝寿と龍勢を作る時の搾りかす。宝寿と龍勢の酒粕を地蔵町の若竹でちぎり加工したものであり、お馴染みの前川酒店による販売という完璧な竹原製品なのだ。これを正月に竹原で食べれば地産地消というか、日持ちは良いのだが要冷蔵なので自宅へは持ち帰ることは諦めた。これだけをクール便で送るのもムダ。

 これを実家へ買って帰り試しに粕汁を作ってみたところ、予想外に美味しかったのである。砂糖などの甘味は入れておらず、純粋に酒粕と熱湯だけ。熱い粕汁が喉元を過ぎると肩や背中から徐々に温まって濃いアルコール分が息と一緒にでてくる。酔った気分というよりは、本当に酔ってしまうほどの濃いさなのである。裏のシールにはこう書かれている。「表面が白くなったり、ピンクになることがありますが、酒質本来の性質です。安心してお召し上がりください。アルコールが若干含まれていますので、乳幼児・お子様・車の運転はお控え下さい。」とあり、運転を控えるぐらいに濃く、酒粕でありながらアルコール度数を確認したくなる大人の酒粕だった。

 2019.12.13

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#01:出雲神社(2014/05/06撮影)

 竹原駅から町並み保存地区へ徒歩で訪れる観光客が、神田もち店側か新湊橋側へ渡る信号で足止めされて「こんなところに出雲大社があるんだ~ ちっちゃ~」と話しているのを偶然見かけた。ここは出雲大社ではなく出雲神社なのだが、予想外な建造物へ興味を抱いてくれたことが妙に嬉しかった。

 小さな鳥居はあるが神社の名前は見当たらず、狭い境内には阿吽の狛犬&獅子もいない。ただ本殿?祠?の左右に灯篭が2基あるだけ。この格子戸から中を覗くと裏へ続く離れとなる朱色屋根の祠(ご神体が祀られている)があるのが分かる。また、裏庭の右には別の小さな祠があり、その更に後ろには扉の有る倉庫のような建物が建てられている。

 この信号待ちの時間内で何神社かを咄嗟に知るには解説看板へ目をやるしか手段がない。だから脳内変換で「出雲神社」が「出雲大社」に見間違えたに違いない。

 説明看板なのだが現在の写真は撮っていなかった。2008年と2014年の写真は手描きでベニヤ板製だったが、最新のものは活字で情報量も5倍以上かつQRコードまで付いてグレードアップされているようなのだ。また、境内には横になって寝られる長椅子も用意されており、本殿?軒下へは新調された出雲神社額に鈴と縄紐も付け加えられようだ。なお、賽銭箱は新調されず扉に開いた穴の代用が維持され「賽銭投入口」説明だけ活字へと変わっている。

 グレードアップされた説明看板の内容も知りたいが、額や鈴が新調された経緯にも面白そうな理由がありそうだ。

 ということで最新の写真を撮れていないが悔やまれるが、あの味わいの深かった手描き看板はもう見ることができない・・ということで古い写真を載せておくことにした。


出雲神社の由来(2008年頃の説明看板)
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#02:出雲神社の由来(2008/12/30撮影)

出雲神社の由来(2014年頃の説明看板)

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#03:出雲神社の由来(2014/05/06撮影)

  比較してみても殆ど内容は同じで「製塩業の守護神として1706年に建立された神社」が分かる。北堀が国道185号バイパスとなったことは出雲神社の由来とは別の話なので今回は割愛。なぜ塩田の守護神が出雲神社の神(大国主大神=だいこくさん)なのか?もし私が竹原観光ガイドのひとりだったら、この疑問に対してどう答えたら良いか分からない。商売繁盛のご利益がある大黒神社や胡堂(恵美須社)よりは100年以上前の建立なので商売繁盛以外の目的で建てられたに違いない。また塩田自体ではなく塩を出荷する船の守り神なら金毘羅神社のテリトリーだし、ならば住吉神社(北前船の航行守護?)や楠神社(楠正成の祀り?)のミッションは?更に明神にも塩の港を守る湊神社があり、地蔵町には塩田を守る地蔵堂、もみじ銀行隅(バス停の長椅子)にも塩田に因んだ小さな石の祠があるので、もう脳味噌が塩田守護神のカオス状態となってしまった。

 そもそも出雲大社は「まんが日本昔ばなし」のレベルでいえば、神無月に全国の神様が集まって縁結びの相手を選ぶ会議が延々と開催される場所だ。そのサテライトか支社的な役割が出雲神社であれば、何かの縁を結んでくれる有難い守護神ということになるが、さすがに18世紀には不相応に思える。

 その答えが現在設置されている活字の説明看板とQRコード先サイトに詳細に書かれているとものと期待して、次回帰省では忘れずに撮ることにしよう。何だか中途半端な締めくくりとなってしまったが、出雲神社の由来と額&鈴、長椅子がなぜ新調されたの経緯についてはクリアにしてみたい。

2019.12.12
 トマソンに関するものにはトマソン人物、トマソン物件、トマソン建築、トマソン芸術・・・と各種カテゴリーがあるが、なかでもトマソン物件に関する著書「超芸術トマソン」が最も有名であろう。そもそもトマソンとは何なんだ?詳しくはWikiなどで調べてもらうことにして「そこに存在する意味が無いのに、なぜか大切にされている何たら」の「例え」とでもしておこう。一般には建造物が対象なのだが、広範囲に広げた解釈として超存在トマソンと命名することにした。その認定条件はこれである。

 ****超存在トマソン認定条件****

1.一見、存在価値はないのだ存在自体は気にならない

2.利用されているのか否は確定できない

3.大切にされながら生きながらえている(いた)

 

では今回は認定1号から5号までを紹介しよう。

 

****認定1号****

 例えばこれはどうだろうか。どこで撮ったかが分からないので現在も存在しているかも確認できていない。不二家の自販機自体が珍しいのにベースボール・ルーレットという当たりくじ機能を搭載したアミューズメント性の高いドリンク自販機である。コインを入れてドリンク選択をするとピコピコ鳴って当たりが出る超機能版。

 仕掛けとして本塁から4筋のLED列が見えるのだが、コインを投入してドリンクを買うと4筋のどれかのLEDが内野か外野それともホームランの位置まで伸びて行く仕組みと思われる。画質が荒いので拡大しても説明は読めないが「めざせ!ホームラン王」となっており、ピッチャーのグローブ、腹、膝、かかと、ホームベースの先にもLEDを備えている。

 これらからドリンクを購入した本数分のバッティングトライができ、ピッチャーのLED点灯がベースまで流れてきたタイミングで何れかの選択ボタンかコイン投入口横の長い板をパンと押すと、ランダムで4筋の何れかが内野手~外野手の先まで伸びるのであろう。LEDの流れが途中で止まればアウト、ホームランまで伸びれば観客席が光ってファンファーレが鳴り、追加のドリンクが選択できる状態となる仕組みが予想できる。

 この自販機を撮った時期に動作中(販売中)であったかも分からないが、ドリングがまた超存在である。本来ならばネクターが最低1本あるはずだが、サントリーのボス、ポッカコーヒー、聞いたことが無いカスタム・コーヒーとメーカーも分からないおしるこの4種が入れてある。一律¥100の時代であり、ホットとコールド兼用の超高機能な自動販売機なのである。使用不可などの貼り紙の痕跡が無く、ドリンク見本が色褪せた缶であるため大切に放置されている超存在トマソン第1号に認定した。

 なお、「木目調ドリンク自販機」と「電気式飲物売機」は先ず現役であり、なぜ落選かは言うまでもないであろう。
#01
#02

#01-02:超存在トマソン第1号

#07
#08
#07-08:超存在トマソン第1号落選

****認定2号****
 続いて第2号を紹介する。これも撮影場所は不明。もしかしたら竹原駅前のアンデルセン・ベーカリーか本川橋前にあったタカキベーカリーの店頭かもしれない。先ずはアンデルセンだが、タカキベーカリーが広島で期限であるセルフサービス式(トンクで掴んでトレイへ入れる販売スタイル)のパン屋から始まり、全国展開にまで拡大したベーカリーのグループである。であればアンデルセンかリトルマーメイドの人魚ロゴのはずだがタカキベーカリーのロゴでもない。パンを抱えたヘンゼルとグレーテルのシルエットに見えるがそれはグリムなので違う、記憶の限りではタカキベーカリーのかなり昔のロゴに思える。

 そのロゴのみでも超存在であるがアンデルセンのアイスクリームは畑違い事業に近い。その見たことが無いアイスクリームを雪印アイス(2号候補の落選)のような冷凍庫を模倣して製品展開されたものである。通電はされておらず中身も空のようだが、朽ち果てるまでどのような利用方法があったのか予想さえできない存在であり超存在トマソン第2号に認定した。

 落選した雪印アイスクーム冷凍庫は、何かに使うための蓋の役目を果たすトタンかベニヤ板が被せてあるものの大切にされた感は微塵もない。
#03
#03;超存在トマソン第2号

#05
#03;超存在トマソン第2号落選

 ****認定3号****

 次の第3号はさすがに現在は存在していないだろう。そもそもこれが長らく存在していたNTT竹原は眼鏡市場となっている。この写真はあの巨大な「かぐや姫電話ボックスの竹筒の中に設置されていたもので、その後は国際電話専用で薄茶色の公衆電話を設置した特大ガラス張り電話ボックスの中に併設され続けていた。国際電話が使われているのを見たことは無く、カード取出口の横に書かれた「OUTLET for cards」がその物悲しさを漂わせる。自販機内のテレカには竹原ゆかりのものも無く、二つ折りガラケーの猛威に耐えながらも外国人を待ちながら国際電話対応型公衆電話機と共にボックスが撤去されるまで生きながらえた存在として超存在トマソン第3号に認定した。

 町並み保存センターの電話ボックスはギリギリで落選。目立たないよう隠されているが緊急時に出番が訪れる大切な存在である。
#04

#04:超存在トマソン第3号

#16
#16:超存在トマソン第3号落選

 

****認定4号****

 ナショナル乾電池の自販機である。コンビニやダイソーで24時間購入できる時代に存在していたものだが、どこかで未だ生きながらえている可能性大である。中にはマンガン単一と単二、アルカリ単三と単四電池に加えてフジカラーの35mm400フィルムが入っている珍しいものだ。設置場所は移転前の中国銀行バス停である。フィルムと長椅子のカラーで向いの日の丸写真館の所有だと推測するが、褪せていない近所の商店広告用にも使われており、どの程度売れているかは別として大切にされている存在のため超存在トマソン第4号に認定した。

 落選の東芝乾電池の自販機には電池のサンプルは入っていない。前に置かれた木箱は背の低い子供が楽に買えるよう考えぬいた物でもないだろう。
#06
#06:超存在トマソン第4号

#09
#08:超存在トマソン第4号落選

 ****認定5号****

 10年経過3枚写真の芸陽バス竹小バス停と旧竹原警察署バス停看板である。どちらも小梨町への路線が廃止されてからも不正ゴミ出しへの警告書や鎖用柱として長らく使われており、その地域の一部として溶け込んでいる存在となっていたので超存在トマソン第5号に認定した。因みにどちらのバス停看板も現存していない。

 落選の中仁賀バス停は路線が廃止された後のものだが、大切にされている存在ではないだろう。
#10
#11
#13
#14
#10-11,13-14:超存在トマソン第5号

#15
#15:超存在トマソン第5号落選

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