2019.12.11
12月上旬が過ぎるとテレビ番組がTDLやイルミネーション特集を始める頃となる。我が家の家系は代々浄土真宗照蓮寺のお世話になっているのだが、自宅でのクリスマス・ケーキと豪華な夕食だけは毎年欠かさず続けている。寒い中、クリスマス仕様のTDLや神戸ルミナリエゆかりの有楽町ミレナリオなどにも何度か出かけて家族の思い出作りに励んでいた年もあったが、休日に灯油が燃える臭いのする暖かい自宅で家族と一緒に過ごすのが一番の幸せと感じる歳に達したようだ。
旧ホームページを見直すと2017年の除夜の鐘へは訪れてはおらず、礒宮の初詣へは元旦の真昼だったようで、2018年の除夜の鐘から年明け直後の初詣の写真は更新をサボって載せてはいなかった。今年は実家がリフォーム最中なので泊まれそうもない為、暮れの竹原帰省は考えていない。ということで2018年のそれら未掲載の写真をこの記事にしてみることにした。
照蓮寺での除夜の鐘スタートは西方寺との協定で23:45となっている。さてどちらで鐘を突くかだが、お世話になっている照蓮寺で鐘を突くと同級生が住職の西方寺を訪れた頃には108番目までには間に合わない。順を逆にしてみたら照蓮寺での列が長くなってしまい神田の紅白餅が貰えなくなる可能性もある。ということで2018年末は照蓮寺だけの除夜の鐘にすることにしたようだ。
紅白歌合戦が終わって自転車で照蓮寺の境内へ23:30頃に訪れるてみると若者2,3人の人影、毎年世話をしてくれている人達は事務所でまだ準備中のようであった。40分頃になると列ができ始めて鐘突き6番目を確保。普段は上れない鐘楼の急な階段が開放されて最初のグループに混ざることができた。23:45定刻で1番目の若者による1打目が打たれた。「ゴ~~~~ん」と心地よく長い余韻の重厚な音である。
西方寺は頭上で打ち、照蓮寺は胸から腰辺りで打つ。鐘の形状と大きさが異なることから音色と音程も異なり、竹楽辺りの中間地点で両寺の鐘を聴くと音階が異なって見事なハーモニーが聴けるのである。
照蓮寺の鐘がこの写真である。5番目の人が付き始める前に撮ったものであり、念仏を唱えて胸辺りに下がった長い柱で一気に一発突くのである。
#01:照蓮寺の鐘楼の鐘(2018/12/31撮影)
6番目に鐘を突き終わって急な階段を下りてみた時は階段待ちが10人程度だったが、0時を過ぎたあたりから急に参拝客が増え始めたようだ。鐘楼の急な階段を上る2人と金を突く寸前のV字のロープが窓から分かるだろうか。
#02-04:照蓮寺の急な階段(2018/12/31撮影)
この階段は上る時と降りる時の向きを同じにすれば恐怖感も危険も無い。先代の住職から聞いていたワザなのである。正面を向いて降りると手摺りを掴むことができず、絶壁の下を手放しで見下ろした恐怖感となる。
神田の紅白餅をもらって年明けのカウントダウンが済んだので次は礒宮への初詣へ移動することにした。門をくぐって見上げると「龍頭山」の立派な額。浄土真宗本願寺派 龍頭山 照蓮寺が正式な名称である。この鐘楼門には左甚五郎の彫を思わせる立派な龍が彫られており、この門のことを昔は「ええもん(立派な門の意味)」と呼んでいた。竹原では御菓子も「ええもん」と呼んでおり、親に「ええもんくれっ」とねだると「しょうれんじへ行ってこい」とつれない返事だった。
#05-07照蓮寺のええもん(2019/01/01撮影)
さて階段を下りて自転車に乗って保存地区を抜け、向島から礒宮神社へ向かった。三原への県道が整備されてからは横断しづらくなったが、神社に近づくにつれて初詣客がぞろぞろと増えてくる。それを抜いて列ができる前に参拝するには自転車で駆けつけるのが必須である。
本殿への石段を上がってみると参拝列は20人程度、3分程度待つと自分の番が訪れた。賽銭を入れて頭を撫でてもらい鈴を鳴らして2礼2拍1礼で参拝が終了。学業成就と家内安全のお守りを買って暖かい実家へ戻ることにした。
2011年末頃までは境内に露店が並んでいたのだが、徐々に寂しくなっている。家族連れ参拝客の破魔矢を持つ親父や晴れ着姿の女性が年々減ってきており、色とりどりのユニクロのダウンばかりとスマホいぢりで列に隙間が何度も空くイライラ列待ちへ変わってしまった。20年前は0時を過ぎると忠孝巖の池辺りまで列ができており、賽銭箱へ到達するまで30分以上かかっていた頃が今となっては懐かしい。その頃から変わっていないのは、元旦の真夜中の境内から見える遥か向こうにそびえ立つ三井の煙突と真冬の夜空にたなびく白い煙ぐらいである。