安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年02月

2020.02.29

 昨年末に建築中を確認した「竹原市立たけのここども園」が内装工事を残す状態となった。残る一か月で入園式が余裕でできそうな仕上がり具合に見えた。それにしても竹原市のホームページで工事状況が詳細に履歴更新されているのには驚きである。他のページもそうだが、垢抜けて充実したコンテンツ、分かり易いデザイン、リタルタイム性に優れており、専門業者への発注では不可能と思える出来栄えである。市役所内に専属の専門職が居るに違いない。1997年頃に竹原市公式ホームページ開設の話がメールと郵送で届き、仮作の成状態を見させて頂いたことが有るが、あの頃とは比べものにならない仕上がりと運営となっている。
 4月の開園を機に「竹原市立たけのここども園」のホームページが開設されると思うが、市立なので竹原市が作成と運営を同品質で行うであろう。
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#01-04:竹原市立たけのここども園(2020/02/23撮影)

2020.02.28

 保存地区圏から外れているが、この理容店(神谷邸)も歴史が古い。母屋と店舗が繋がっており、母屋は1896年(明治27年)の建築である。また、店舗側は昭和30年(1955年)頃のものであり、この写真の通り昭和レトロ感たっぷりの建物である。
 場所は栄町(さかえまち)で松屋二重焼店から市道を渡って保存地区へと向かうところである。ここへ散髪に行ったのは昭和40年代の一度ぐらいだったが、タイル張りの床、皮製ベルトで髭剃りを研ぐ様子、足踏みで上下する椅子、陶器の泡立器などを店主が使用しているのを眺めながら順番待ちしていた。竹原市の資料ではこの頃の店内の様子は現在もそのままとのことだ。
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#01-07:理容カミタニ(2020.02.23撮影)


 以下は2011年頃の理容カミタニの店舗である。何だか現在より古く感じるのだが、部分的に補修されながら徐々に朽ちて行く過程を繰り返しているようである。営業は続けられているので、この近くに有ったレトロな銭湯「玉純湯」のように解体されることは無かろうが、これほど魅力的な建物なのに観光客が素通りなのは残念である。
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#08-10:理容カミタニ(2011.08.18撮影)

2020.02.27

 本川沿いの宮原地区、大王地区への入口に中通簡易郵便局ができていた。これは旧中通簡易郵便局の移転で 2020年2月3日からの開局である。旧場所はジョイフルやコインランドリーが有った下野町で 2018年に閉鎖されて一般住宅になっている。「中通」は下野町なのだが、移転後は本町なので厳密には「中通」ではないと思うのだが・・・。扱い業務は極めて限定的であり、振替に切手を買って郵便を出す程度、巨大な郵便ポストのようなものといえる。ここにATMがあれば嬉しいのだが、3分程度歩けばファミリーマートがあるのでコンピニATMの利用となる。少し離れたパルティフジ食品棟にゆうちょATMもある。窓口で他行への振込ができると利用度はかなり高くなるのだが、振替(ゆうちょ内の送金)しかできないので竹原局へ行くしかない。
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#01-02:中通簡易郵便局(2020/02/22撮影)

 郵便局の駐車場には格子を利用した「地域掲示板」「自由に掲示して下さい。」があり、なぜか時計も掛けてあった。となりの掲示板は常念寺専用だろうか?「この世はご縁をいただきにきたところ」と書かれた貼り紙があった。本川向いの畑が更地となって縁石工事中であったが、ここも戸建住宅地になりそうである。
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#03:中通簡易郵便局(2020/02/22撮影)

2020.02.26

 最後となる竹原帰省から戻って滞在期間中に撮りだめた写真記事へ復帰した。自転車での散策の為、行動範囲が狭くて忠海や吉名を訪れていないのが悔やまれる。この帰省では北崎まで行ってみることにした。北崎はフェリー乗り場辺りなのだが、この地区の集会所名が「喜多崎」となっているのが面白くて、時々、山沿いまで回ってみることが多かった。この辺りでは浜田省吾の生家が有名だが、今回は東幼稚園跡がどうなっているのかを確認。外見は荒れることなく変化が無い。廃墟のはずだが逆に生活感がうかがえるほどであった。建物内には雲梯や各種用具が詰め込まれたままだが、一角は何かの作業所として使用されているようだ。これまでは建物の裏側だけしか確認しなかったが、園庭をぐるっと回れる道の存在を知り、反対側の様子も見ることができた。写真の通り園庭は整備され荒れた様子はない。軽自動車が停められており、無断駐車でなければ誰かが何かに使用しているといえる。西幼稚園も3月で廃園となり、園児は竹の子こども園?へ移ることとなるが、西幼稚園跡はどうなるのであろうか?あの遊戯場に掛けてある「動物ワールド」はどうなるのだろうか?
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#01-07:東幼稚園跡(2020/02/23撮影)

2020.02.25

 竹原郵便局裏の通りにある「スポーツマン」を御存知だろうか。昭和時代、竹原のスポーツ用品店といえばここぐらいしかなかったようだ。バドミントン、ソフトボール、野球、テニスなどの用品が売られていたと思うのだが一度も訪れたことは無かった。
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#01:スポーツマン営業中(1997/04/28)

 21世紀になると店名「SPman」ロゴが取り除かれ電光掲示板が取り付けられた。表示される内容はスポーツに関係がないものばかりで、この写真では「自衛隊のイラ・・」が表示されていた。また、色褪せた垂れ幕「税金・金融・経営 くらしの相談は竹原民商へ!」が下がっている。店頭へは自販機が置かれ、この時期はスポーツ用品店ではなさそうな状態であった。
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#02:スポーツマン営業中?(2004/05/05)

 2010年代になると電光掲示板も朽ち果て、スポーツメーカーの看板や帆船のマークも剥げ落ちて廃墟状態となってしまっていた。
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#03:スポーツマン閉店(2012/12/29)

 そしてこれが2020年の状態である。自販機はコカコーラからキリンへ変えられていた。もう店舗としては使用されておらず徐々に劣化が進行中。
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#04:スポーツマン跡(2020/02/23)

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