安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年02月

2020.02.14

 2月の代表的な風物詩といえば「しんめんさん」であろう。このイベントの呼び方には色々あって「神明(しんめい)さん」、「しんめんさん」、「とんど」などがあり、どう呼んでいるか、どう呼ぶのが正しいかで毎年議論が交わされるのがこの時季である。ちなみに私は幼少から「しんめんさん」と呼ぶことが多かったので記事タイトルはこれにした。
 この時季には帰省しなかったので撮れなかったのだが、2001年に照蓮寺さんから竹小での「しんめんさん」写真を頂いたことから旧ホームページに載せたることができた。今回はその写真の全てを原寸のままで紹介する。(一応、顔はボカしたが・・・)

 開催日は2001年2月8日である。開始予定の午後1時半前から雨が降ったので30分遅れとなったようである。竹小時代に何度か参加したことが有ったが、その様子が再び思い出せた貴重な写真であった。この写真では鬼の絵が多数貼られているが、当時は正月明けに書いた習字などが多かった。また、真ん中あたりに半分に切ったミカンが見えており、これを食べると病気にならないと言われたが、焦げた味がとても不味かったのも憶えている。ミカンをストーブの上に置いてこの不味さを再現してみせていたことも懐かしい。
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#01-15:竹小での「しんめんさん」(2001/02/08撮影)

 この行事は竹原では各地で行われていたのだが、火の粉による火災の懸念や煙の苦情などで開催場所が徐々に減っていった。竹原市公式HPのイベント情報では「二窓の神明祭(しんめいさい)」のみが紹介されているが、昭和時代は竹原全域の小学校、幼稚園、地域の公園などで開催されていたが、今はどのくらい残っているのであろうか?


 以下はGW時期の「道の駅たけはら」に展示されていた「しんめんさん」である。竹原郷土文化研究会による説明書きにも「しんめんさん」と書かれており、竹原では「しんめんさん」と呼ばれるのが主流のようである。
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#16-18:道の駅の「しんめんさん」(2011/05/01撮影)








2020.02.13

 あいふる316(竹原駅前商店街)の「情報を売る店 いわせ書店」が 2017年6月30日に閉店(廃業)となった。創業は昭和25年とのことである。いつ頃かは憶えていないが私がよく通っていた旧店舗から駅前へ移転していた。駅前店には数えるほどしか訪れておらず、旧店舗で長らくお世話になっていたことをいつか話をしたかったのだが、2017年のGW帰省後にSNSで廃業を知る。
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#01:廃業後のいわせ書店(2017/12/29撮影)
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#02-03:廃業後のいわせ書店(2017/08/11撮影)

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#04:廃業のお知らせ(2017/08/11撮影)


 これは 1998年当時の駅前店である。旧店舗名は「岩瀬書店」だったと記憶しているが、駅前への移転後は「情報を売る店 いわせ書店 駅前店」となっていた。
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#05:いわせ書店(1998/08/04撮影)

 2011年10月テレビ放映の竹原舞台アニメ「たまゆら~hitotose~」で賑やかになった頃の様子である。店舗には「たまゆらグッズ」が多数飾られるようになり、ファン作成によるロケ地マップなども置かれていた。
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#06:いわせ書店(2012/08/12撮影)
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#07:いわせ書店(2012/11/04撮影)


 あいふる316が「たまゆら」を機にイメージチェンジが施された頃である。アーケードの照明は無段階に色を変えるLED照明となり、加盟店の看板は「逆さハート」から「ももねこ」をモチーフにしたものへ付け替えられた。アーケード柱も「ももいろ」に塗り替えられて3ヶ所のアーチも取り外された。商店街のBGMも「たまゆら」関連が流れるようになり、中心部に建立された「ももねこ石像」が商店街の守護神となった。
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#08:いわせ書店(2015/12/29撮影)


 旧店舗がこれ。書店の看板は撤去されたが、店舗前サッシとテントはそのままである。ここで1970年代は「初歩のラジオ」「ラジオの制作」「CQ」などを定期購入していた。出始めだった「ASCII」もここで買ったはずである。それらの雑誌はもう持ってはいないが、ここで「売られていた情報」が私のその後の進路を決めたのである。
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#09:旧岩瀬書店(2008/12/28撮影)

 ここで買ったと思われる本が手元に1冊ある。(もしかしたら山陽書房かもしれないが)「新訂 人名辞典(保育社)」(昭和46年新訂)である。学校の何かの授業で竹原輩出の人について調べるために買った(買わされたかも)ものだが、その目的は「頼山陽」を調べるためであった。嬉しいことに「ら」の始めに「頼山陽」が載っていたのだが、読んでみたら「竹原」の地名はどこにも書かれておらずガッカリしたのを憶えている。そして、今、本をめくってみて初めて気が付いたのだが、「い」には「池田勇人」(政治家。広島県の人)が載っていたのである。

頼 山陽(1780~1832)
江戸時代後期の儒学者。名は悳(のぼる)。儒者頼春水の子として大阪に生まれ、父とともに安芸(広島)にうつり、そこで成人した。18歳のとき江戸に出て尾藤二州について儒学を学んだ。まもなく安芸に帰ったが、藩の規則をやぶって、かってに京都・大阪へいったため監禁された。のち京都に住んで著述と詩作にはげみ、また各地に旅行した。監禁中に書きはじめた源平時代以後の歴史書『日本外史』は名文で、その勤王精神は幕末の志士たちに大きな影響をあたえた。詩文にすぐれ、書もたくみであった。ほかに『日本政記』『山陽詩鈔』『日本学楽』など著書・作品は多い。子の頼三樹三郎は反幕府運動に活躍し、安政の大獄で死刑になった。


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2020.02.12

 今日も明日も引越の準備が続いている。残すものと捨てるものを選び始めると荷造りダンボールの増えるペースがダウンする。選ばずに何でもかんでもダンボールへ詰め込むと引越し先へ収納しきれないというジレンマである。今日はベッド下の収納部に隠されていた児童本やおもちゃ類、ドラマやアニメの市販VHSテープがとっさり。その他ガラクタの山の中に懐かしい物を見付けてしまった。捨てたはずだったのにナゼ?それがこのカシオ製のデジタル目覚し時計とプログラム電卓である。どちらも「あいふる316」中心にある「イマイチ」で買ったものだ。竹原との関連は「イマイチで買った」というだけだが、なぜか捨てられなかった「思い出の品」なのであろう。どちらも電池を入れたら動作したので驚いている。

 時計は1982年3月、入社が決まった会社の寮で使うための目覚し時計である。当時としては未だ珍しかった7セグ型液晶の小型のもので、イマイチのガラス陳列内に飾ってあったこれに一目ぼれ。秒ごとに回る風車にアラームはブサーとメロディが選択できる。今、裏面を確認したら製品名は DA-101 (たぶん Digital Alarm の頭文字だろう)であった。正式名称は「CASIO MELODY ALARM CLOCK DA-101」なのだが、試しにネット検索してもこれのみ(風車の色が少し違う)だった。この後継機として DA-105 があり、風車が人工衛星とロケットに変ったものもある。買った当時の色はアイボリーだったが、38年の迷年変化でこのような黄ばんだ色へと変色していた。
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#01:カシオ目覚し時計(1982年3月購入)

 もうひとつはカシオのプログラム電卓で、1980年~1981年頃、大学の実験授業で関数電卓が必要となり、大学指定の機種「CASIO PROGRAMMING CALCULATOR FX-502P」をイマイチで注文購入したものである。外見は関数電卓なのだが、最大256ステップの計算式とプログラムを記憶&実行できるのである。
 大学の実験で小数第 3桁 x, yデータ 30個分による最小二乗法をの解を求めたら約 2時間かかったのだが、x=? と y=? の30個分を入力したら最小二乗法の計算をするプログラムをこれに予め記述したら x と y をそれぞれ入力するだけで「答えイッパツ」だった。かかった時間は x と y の数値を入れた実時間の 5分程度。入力を間違えても EXE を押すまでは訂正できたし、複雑な計算式の過程を知りたければ、記述したプログラム(機械語)を逆翻訳(逆アセンブル)すればよい。 この FX-502Pは 7セグ表示なので表現できる文字は 0~9 とa,b,c,d,E,F に限られており、加減乗除やその他の科学計算、メモリへの代入や読み見出し等は FF-01、 FE-89 などの 5文字で全て表現されるので、これを全て頭に記憶しておけばよいのである。この電卓には別売のアダプターも用意されており、プログラムをテープレコーダへ保存/読出しできたり、プログラムの代わりに音階と長さを記述すれば、いかにも電子音的な音楽を再生させることもできた。
 だが、会社の仕事で必須だった 16進数計算の機能がこれらの電卓には未だ標準搭載されておらず、当時はインテルのプログラマ専用電卓が使えたことから、もうFX-502Pを使う機会がなくなってどこかに仕舞われたようだ。それを本日、ベッド下の収納部から見つけ出したのである。
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#02:カシオプログラム電卓 FX-502(1981年頃購入)

2020.02.11

 大広苑裏辺りの本川(番屋川=番屋橋から古庭橋区間)は狭い川でありながら潮の干満の影響が激しい。普段はこのように水位も低く穏やかなのだが、満潮となると一変する。
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#00:普段の本川(2016/08/06撮影)

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#10:普段の本川(2008/12/28撮影)


 満潮が始まると水の流れが何度も逆流を始めるのだ。逆流の先端にはこのような波が何度も訪れる。この第1波は満潮時刻の2,3時間前から待ち構えていないと目撃できないのだが、偶然にも撮影できたのがこれである。ちなみに石垣が既に濡れているのは前回満潮時の水位の跡である。
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#11:普段の本川(2008/12/28撮影)


 この波が何度も本川を遡りながら水位は徐々に高くなって行く。ここからが今回記事のメインだ。これまでの満潮時には大型のボラが遡ってくるのが普段の光景だったが、ここ数年はこのような小型の魚群が泳ぐようになった。瀬戸内海の生態系が変わったのか、本川末端の巨大水門が何か影響しているのか、ここまで群れていると気味が悪い。ここへ群れているたのは石垣に生活下水の排水口からがあるからである。米の研汁だったのか道端から真下を覗いても大型ボラのようには逃げる様子もなかった。ここが淡水なのか海水なのか微妙な場所であり、一体何の群れなのだろうか?
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#01-05:大潮時の本川(2017/08/11撮影)

 この魚の群れはこの一カ所だけでなく、川面のあちらこちらで目撃できたのだが、昨年、二人の大の大人がニヤニヤ笑いながらエアガン?で川面を「バリバリバリッ・・・・バリバリバリッ・・・・」と何度も撃っているのを偶然に目撃した。もちろんターゲットはこの魚の群れである。その銃撃の様子をもう一人がガムを「ぬっちゃこ、ぬっちゅこ」と噛みながらスマホで撮っていたのである。魚に飽きれば次は犬猫へ、そして最後には・・・。

2020.02.10

 直接竹原に関連するものではないが竹小時代に購入した本『学研版 小学生のための日本万国博(記念特集号)』(1970年4月1日発行)を押入れから発掘したので紹介する。竹小では校内で学研の「科学」と「学習」が定期購入できた。これはその一環として注文販売されたはずなのだが、なぜか校門の橋の上で売られていたものを小遣いで買った記憶しかない。もしかしたら色付きヒヨコかゼニガメの校門販売と記憶がすげ替わったかもしれない。
 この本は1970年に大阪で開催された日本万国博覧会のガイドブックである。綴糸が切れてしまい裏表紙が無いので価格が分からないが300円ぐらいか。パビリオンのマップや見どころ、万博の歴史などが 200ページ程度にわたって解説されている。だが、これを買って万博へ行ってきたわけではなく、行けないからこそこれで我慢した悲しい思い出本といえよう。とはいえ実際に万博へ行った生徒は学級で2,3人だったので同様の仲間は多数いた。まぁ、あまり自慢したくないから黙っていた生徒もいたことが後に分かったが・・・。その当時は新幹線はどこまで来ていたのか、大阪まで新幹線に乗ったことも話題となっていた。
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#01:学研版 小学生のための日本万国博(記念特集号)(1970年購入)

 1970年の万博が未来の生活を紹介している。

 これは三洋電機の未来のお風呂「人間洗濯機」である。21世紀の現在、バブル&ジェットバスは実用化されているが、回転いす、マッサージボール、赤外線ランプ、超音波と石鹸水は未だのようである。
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 次も三洋電機の万能テレビと電電公社のテレビ電話である。これは1960年代放映のスタートレックに登場するコントロールパネルとコミュニケータ(通信は音声だけだが)程度の発想だろう。万能テレビは現在の在宅勤務やテレワークを予測した大型の家庭用コンソールで、テレビ電話機能も含めこれらを小型化したのがスマートフォンといえよう。
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 「ゆめの台所」、これもスタートレック的な発想であるが、現代の食洗器、電子レンジと冷蔵庫が一体化したアイランドキッチンで、ワークスペースが食卓に早変わりするキッチンも実際に販売されている。1970年には「電子レンジ」や「食洗器」という機器が実用化されていたことに驚いた。電電公社による線の無い電話機「ワイヤレステレフォン」はもちろん現代の携帯電話である。1960年代の「鉄腕アトム」では21世紀も黒電話だったのが逆に不思議と言える。
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 「自動運転」と「リニアモーターカー」、これらは実用化間近だ。
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ついでに科学館で開催された「日本を変えた千の技術博」に展示されていた実際の「ワイヤレステレフォン」と「初代電子レンジ」も載せておく。
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