普明閣への石段途中にあるこの切り株跡をご存じだろうか?ここには松の幹のアーチが有り、昭和時代は丸木橋のように渡って遊ぶことができた。松喰虫にやられたか危険回避の為か、1982年頃には既に切られていた。その切り株の痕跡がこれである。石垣で切断面が腐らぬようコンクリートが塗られているのであまり目立たない。舞台から階段でつながる籠堂の軒下に切られた幹が多数転がっていたが、この松のものだったかは不明。1983年当時に肩で担ぐビデオカメラで撮った映像には切られた丸太が少しずつ割られて燃やされていた。「時をかける少女」のエンドロール・ラストで立ち昇る煙は、この丸太が燃やされていた煙の可能性がある。

#13:松の切り株(2003/08/12撮影)
過去の記事で紹介した「120フィルム」が実家で捨てられる前に私が(こっそりと)持ち帰っていたようで、それが今回押入れの中から見つかった。その写真にこの切り株跡となる松の幹アーチが写るものが数枚あったので載せた。フィルムは全部で12コマ、撮影場所は磯宮八幡神社(再建前)と西方寺および普明閣の境内辺りである。

#00:120フィルム・フォルダ
それでは全12コマを紹介しよう。撮影はマスコット写真機店のカメラマンによる 1950年代と思われる。被写体は私の母とその姉妹、母方親戚の家族である。
1コマ目は礒宮境内での記念撮影。石段(再建前)の右側で忠孝巖がある池の近くと思われる。右端に見える石鳥居は菅原道真公の神社のものであろう。鉄砲水による全壊にて鳥居は現存していない。石段の上には瓦屋根に赤い柱の巨大な門が有り、それをくぐるか脇から回れば本殿への石段が有った。本殿には擬宝珠が付いた欄干があり、ぐるっと回ればさらに奥の神殿があったと記憶している。この本殿の位置は現在と同じだが、巨大な門は現存せず、現在は本殿前の境内となっている。

#01:礒宮の境内(石段横)

#02:礒宮の境内(石段前)奥には門が見える。
次は西方寺と普明閣の境内での記念撮影てある。これらの写真中に写る水平幹の松が、後ちに切られて切り株跡となった。普明閣境内への石段横から幹へ伝って先へと渡ると、塀の石垣より向こう側まで行くことはできるが、もしも足を踏み外せば鐘楼辺りへ落ちる。ここで陽が暮れるまでよく遊んでいたが、どこまでいけるか競ってもなぜか落ちたことは無かった。幹で飛び跳ねると松全体が上下に揺れて面白がっていた記憶もある。この頃は十一面観世音菩薩像は普明閣のお堂の中、後ちに鐘楼横へ建てられた菩薩堂へ菩薩像が移設され安置されている。

#03:西方寺の境内(菩薩堂が建つ前の場所、後ろは78段の石段がある)

#04:普明閣の境内(鐘楼から石段を上がった場所)

#05:普明閣の境内(鐘楼から石段を上がった場所)

#06:普明閣の境内(普明閣舞台への石段横)

#07:普明閣の境内(普明閣舞台への石段横の灯籠)

#08:普明閣の境内(普明閣舞台の真下)

#09:普明閣の境内(普明閣舞台への石段横)

#10:西方寺の境内(菩薩堂が建てられる前の場所)

#11:普明閣の境内へ上がる石段(下半分)

#12:普明閣の境内へ上がる石段(途中の踊り場)頭上には切られる前の松